172 強い人間とは
重富対森脇は、言うに及ばず重富が圧倒していた。
なぜなら、素人の森脇に、板のボールなど返せるはずもないのだ。
加えて重富は、変化球サーブをふんだんに出していた。
重富は、相手が素人であろうと手を抜くことはなかった。
というより、卓球部の一員として初試合であり、必死だったのだ。
「さすがインターハイを目指してるだけあるなあ」
大村は、重富の出来栄えに、いたく感心していた。
「ほんまやなあ。僕らもあれくらいできると一回戦ボーイから脱出できるのになあ」
山内は、まるで他人事のように言った。
「いいぞ~~!重富。その調子でぇ!」
中川はずっと大きな声援を送っていた。
「中川さん」
コート後方の通路から日置が呼んだ。
「よーう、先生。どこをうろついてんでぇ」
中川は振り向いて、日置の元へ行った。
「重富さん、頑張ってるね」
「おうよ。徹底的に叩きのめしてらぁな」
「阿部さんは?」
「森上の応援でぇ」
「ああ、森上さんが出てること知ってるんだ」
「そうさね。まったくよー、驚き桃の木さね」
「きみも、しっかりと重富さんを応援してね」
「あたぼうよ!」
日置はまさか、三番のダブルスに中川が出てるとは思いもしなかった。
「じゃ、僕はここで見てるね」
「先生よ、重富にアドバイスしろよ」
「いや、きみがいれば大丈夫」
日置は、アドバイスの必要などないと思っていた。
それにチームの者に、余計な気を使わせたくなかった。
そして中川は元の位置へ戻り「いいぞ~~!重富~~ガンガン行け~~!」と声援を送っていた。
結局、重富は1セット目、21-3、2セット目、21-4で完勝した。
重富はチームメイトに拍手で迎えられていた。
「重富さん、あんた強いなあ」
大村は、予想以上の強さに、驚きを隠せないでいた。
「勝ってホッとしてます」
重富は、一勝できたことで安堵の表情を見せていた。
普通、どんなに実力差があろうと、「初舞台」というのは、地に足がつかないものである。
対戦相手の森脇は、敵わないと見るや、時々筋肉を見せつけ、如何にも強ぶった態度も示していたが、重富は自分のことだけで精一杯で、いわゆる眼中になかったのである。
「重富、先生来てんぞ」
中川がそう言うと、重富は通路を見た。
すると日置はニコニコと笑って手を振っていた。
重富は、小さく右手を挙げてニッコリと微笑んで応えた。
「中川さん」
重富が呼んだ。
「なんでぇ」
「先生、あんたが試合に出ること知ってるん?」
「知らねぇよ」
「え・・言うてないんや」
「言うとさ、うるせぇだろ」
「怒ったりせぇへんかなあ・・」
「こちとら歓迎されてんだ。怒る方がおかしいぜ」
「まあなあ・・」
その後、大村も簡単に勝ちを収め、いよいよダブルスの対戦だ。
中川はジャージを脱いで準備をした。
そして通路をチラリと見た。
すると日置の姿はなかった。
ふふ・・
先生、どこ行ったか知らねぇが・・
戻って来たらびっくり仰天さね・・
そう、日置はトイレへ行ったのだ。
「よーーし、重富。腕男やろうどもを、とっとと片付けちまおうぜ!」
「野郎どもて・・」
「ほらほら、行くぜ!」
中川は先にコートへ向かった。
「頑張れ~~、これに勝ったら一勝や!」
「首の皮一枚、繋がるな」
「重富さん、頑張ってな」
重富は「はい」と言って中川を追った。
「おーい、文子!」
観客席の一番前で、昌朗が手を振っていた。
重富は観客席を見上げた。
「お父さん」
「頑張れよ~~三千円分、働けよ~~」
「わかってる~!」
やがて試合が始まると、中川は「おらぁ~~!」と腕男らに向かって、雄たけびを上げていた。
相手は素人、まさにやりたい放題とはこのことだ。
腕男の森脇と杉田は、彼女らの実力もさることながら、中川の「変貌」に仰天していた。
その実、中川は、筋肉を見せつけ悦に入っている腕男たちに、ムカついていた。
「おめーさんたちよ、そのぶっとい腕は、お飾りかい!」
「え・・」
「こちとら、こんなか細い腕してんだ。見てみろってんだ」
中川は右腕を直角に曲げた。
「ちょっと」
審判の男性が中川を呼んだ。
「なんでぇ」
「きみ、不規則発言はやめなさい」
「はあ?」
「中川さん・・やめとき・・」
重富は、中川の服を引っ張った。
「ちょっと待ちな」
中川は重富を無視して、審判に食って掛かった。
「なんですか」
「不規則発言たぁ、なんのこった」
「試合と関係のない、相手を侮辱する発言です」
「んじゃ、訊くがよ。オーダー読み上げてる時によ、あちらさんは筋肉を見せつけ威嚇してきやがったぜ」
「え・・」
「それだけじゃねぇ。重富の試合でも、威嚇してたぜ」
「そ・・そうやったか・・」
「おめーさんは、その時、注意したのかよ」
「あれは・・単にポーズとってただけやし・・」
「か弱い女子高生に、くだらねぇ威嚇をかましてビビらせてもいいってのか」
「せやけどきみ」
森脇が呼んだ。
「なんでぇ」
「きみの発言は、度を越してると思うで」
「けっ、か弱い女子高生相手に、いい大人が筋肉を見せつけやがって、どの口が言ってやがんでぇ」
「きみ、か弱ないやん」
「私のことじゃねぇ。こいつは今日が初試合なんでぇ。おめーにボロ勝ちしたものの、緊張してやがったんだよ」
「とてもそうは見えんかったけどな」
「うるせぇ!とにかく、私はその態度が気に入らねぇのさ」
3コートでは、次第に騒ぎになり始めていた。
そこへトイレから戻った日置は、何事かと慌てて元の位置へ戻った。
え・・中川さん・・
試合に出てる・・
というか・・この騒ぎはなんなの・・
「あの、どうしたんですか」
日置は、大村に声をかけた。
「なんや・・あの子が怒っててな・・」
「え・・」
「うちのチームに助っ人で参加してくれた子なんやけど、なんか・・気が強いというか・・なんというか・・」
大村は、この事態に困惑するばかりだった。
そこで日置は、走ってコートに向かった。
「中川さん」
日置は強い口調で呼んだ。
中川と重富は振り向いて、日置を見た。
「どうしたの」
「どうもこうもねぇぜ」
「何があったのか言いなさい」
「あの・・」
そこで代わりに重富が事の経緯を説明した。
「そうなんだ」
そこで日置は審判を見た。
「すみません。僕はこの子たちの教師で日置と申します」
「はあ・・」
「うちの子が、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
日置は丁寧に頭を下げた。
「困るんよなあ、こんな子」
「なに言ってやがんでぇ」
「中川さん、やめなさい」
「おい、先生も審判と同じなのかよ」
「なに言ってるの」
「だってよ、あいつら体を見せつけて威嚇しやがった。これはいいのかよ!」
「中川!」
日置は大声で怒鳴った。
「なんだよ!」
「きみは、ここに何をしに来たんだ」
「え・・」
「僕は、重富さんの応援をしろと言ったはずだ。それでもきみは、助っ人として試合に参加した。それなら助っ人としての自覚くらい持ちなさい」
「なに言ってんだ!自覚も自覚。文久を廃部にさせないため、私はぜってー勝つつもりで参加してんだ!」
「それなら、なぜくだらないことで試合を中断させてるんだ」
「くだらないことだと?」
「そうだ。実にくだらない」
「なにがくだらないってのさ!」
「助っ人の役割はなんだよ」
「勝つことさね!」
「じゃ、勝てばいいだろ」
「言われなくてもわかってらぁな!」
「わかってない!」
日置は思わず中川の胸ぐらを掴んだ。
中川は唖然としたまま、言葉が続かなかった。
重富も、ハラハラとして二人を見ていた。
「いいか、よく聞け」
「・・・」
「相手がどんなに威嚇しようと、そんなことにいちいち腹を立てるな」
「・・・」
「本当に強い人間というのは、薄っぺらい挑発に乗ったりしないんだよ」
「・・・」
「試合中に、自分を鼓舞したり声を出して相手に向かって行くのは構わない。でもな、挑発に乗って相手に同じことをするようでは成長なんかしない」
「・・・」
「勝てばいいだけだ。そう思わないか」
「くっ・・」
中川は唇をかみしめた。
そこで日置は、中川から手を離した。
「きみは助っ人として、文久薬品に貢献しなさい」
「・・・」
「お時間取らせてすみませんでした。続行、お願いします」
日置は審判に一礼して、通路へ向かった。
「中川さん・・」
重富は、なんと声をかけていいかわからなかった。
中川は、呆然としつつも考えていた。
あの温厚な日置が胸ぐらをつかんで言い放った、本当に強い人間、という言葉の意味を。
私は・・間違ってたのか・・?
威嚇したのはあついらだぜ?
でもよ・・考えたら・・
確かに私は助っ人として・・自分から参加すると言った・・
だったらよ・・することはなんでぇ・・
決まってんじゃねぇか・・
勝つことさね・・
「わかった。もう不規則発言はしねぇ。続けてくんな」
中川は力のない声で、審判にそう言った。
「重富、すまねぇ。この試合、勝つぜ」
「うん・・わかってるけど・・中川さん、大丈夫・・?」
「けっ、私を誰だと思ってやがんでぇ!泣く子も黙る太賀誠さまさね!」
日置は思った。
こんな試合で、相手の挑発に乗せられているようでは、三神には勝てない、と。
ましてや全国の強者など・・話にならない、と。
これまで中川の「わがまま」には、ある程度目を瞑ってきた。
けれども、三神に勝って全国へ行くという目標の前では、一歩も譲ることはできない、と。




