166 シャウトだ!
―――「はぁ・・困っちゃったな・・」
アジュールのメンバーと共に、スタジオの中に入った彼女らを見て、日置はポツリと呟いた。
「あはは、なにが困るんや」
吉住は、あっけらかんと笑っていた。
「いえ・・なんとなく、こうなることは予感していたんですが・・まさかほんとに・・」
「中川さんか?」
「はい・・」
「あの子、おもろいがな」
「まあ・・面白いといえばそうなんですが」
「日置くんな」
「はい?」
「あの子の個性を潰したらあかんで」
「はあ・・」
「きみは真面目やし、誠実な人柄やから礼を欠く言動には反感を覚えるんやろな。ましてやきみは、あの子の教師や」
「はい・・」
「でも、よう考えてみ」
「え・・」
「あの子、なんも間違うてないで」
「・・・」
「こんなん言うたら、あれやけどな・・」
吉住は、ミキサーに気を使って小声になった。
「なんですか・・」
「アジュールと中川さん、どっちがよかったと思う?」
「ああ・・それはまあ・・」
「そやろ」
吉住は日置の表情から意を悟った。
「まあ、録音が終わったら、結局、中川さんのアイデアが正解やったとわかるで」
「そう・・ですか・・」
「それにしてもあれやで。中川さんを普通の女子高生にしとくんは、もったいなさ過ぎるな」
「どういうことですか?」
「女優や、女優」
「え・・」
「アイドルかて、中学や高校通いながら仕事しとる。中川さんかて学校行きながら女優できるで」
「あの、吉住さん」
日置は、態度が一変した。
そう、何を言い出すんだ、と。
「中川の将来は、本人が決めることですし、中川がその道へ行くことを希望すれば僕は反対はしません」
「うん」
「でも、今、中川を誘うことはやめて頂けませんか」
「そうか」
「あの子がいなければ、卓球部の目標が潰えてしまいます」
「あはは」
吉住は突然笑った。
「なぜ笑うんですか」
「嘘や、嘘」
「え・・」
「きみを、からこうたんや」
「・・・」
「まあ、僕が誘たかて、あの子は首を縦には振らん」
「そう思います」
「ほれ、見てみ。なんか揉めそうな雰囲気やぞ」
まるで面白がっているような吉住の言葉に、日置はガラス越しに中を見た。
―――スタジオの中では。
「おめーさんらの演奏、よかったって言やあ、よかったんだけどよ。で、ギターのあんちゃんよ」
呼ばれた村野は、何事だと思った。
「俺、村野っていうんや」
「そうかよ。で、村野さんよ、おめーさんのギターだけどな、歌の邪魔になってらあな」
「え・・」
「歌の部分にリードはいらねぇ。リズムを刻んでくんな」
「・・・」
「それとは逆に、二番と三番の間奏の部分だけどな、ここはもっとシャウトしてくれ」
「してるけど」
村野は少しムキになっていた。
「ちげーって。おめーさんは単にリードを弾きまくってるだけさね」
「・・・」
その実、村野は図星を突かれていた。
なぜなら、普段からメンバーにそのことを何度も指摘されていたからである。
「同じリードでも、両手でタッピングするとかよ、弦が切れるくれぇチョーキングしてくんな」
「うん・・」
「言っとくけどな、上手く弾こうなんて考えんじゃねぇぜ。ようは、ここさね、ここ」
中川は、また自分の胸を叩いた。
「体の中からあふれ出すエネルギーを、そのままギターに伝えるんだぜ」
「わかった」
「それと、ベースのあんちゃんよ」
呼ばれた花井は、「僕、花井っていうねんけど」と答えた。
「花井さんよ、この曲はロックだが、チョッパーなんざ、いらねぇぜ」
チョッパーとは、弦を弾いて演奏する技法だ。
「あった方が、メリハリがつくと思うけど」
「いいや、この曲は演奏が耳につくようじゃ失敗だ。演奏はあくまでも歌の補助的役割さね」
「せやけど、ギターは間奏で前面に出るやん」
「ギターなんだから、当然さね。間奏で盛り上げねぇとな。けどよ、おめーさんはベースだ。読んで字のごとく基本だ。だからしっかりと音階を弾いてくんな」
阿部と森上と重富は、「専門用語」で話す中川の言葉の意味がわからずにいたが、まさに『愛と誠』の芝居をするにあたり、中川がリーダーシップを発揮していたことを思い出していた。
「ドラムとピアノのあんちゃんは、それでいいとしてだな。まずは演奏してもらおうか。で、私がボーカルだ」
そこで中川は阿部らを見た。
「いいか、おめーら。これはあくまでもテストだ。おめーらは、それぞれ一番から三番に分かれてAメロを歌うんだぜ」
「Aメロて・・なんなん」
阿部が訊いた。
「最初の二行さね」
「そうなんや・・」
「この曲は、Aメロからすぐにサビへ移る。で、サビはみんなで歌うんでぇ」
「う・・うん・・」
「さあ、演奏してくんな!」
中川がそう言うと、彼らはドラムの合図と共に、演奏を始めた。
そして中川はマイクの前に立ち、全力で歌い始めた。
それでも中川は、少しでも演奏が気に入らないと「ダメだ!ストップ!」と言って止めていた。
「もっとよ、シャウトしろよ!弾けろよ!こちとら、うめぇ演奏なんざご勘弁ってんだ。ノッてくれ、頼むから!」
彼らは中川の熱意に圧倒されていた。
そして、なにをそこまで・・と思いもした。
「この曲はな、中学生のガキが、私らのために、私らを応援するために作ってくれたんだ。受けようとか、そんな卑しい根性なんざ1ミリもねぇんだ。だから、おめーさんらも、上手く演奏しようとか、余計な考えは取っ払ってくれ」
彼らはしばらく黙っていたが「よーし!この子に負けてられへん。行こか!」とドラムの元谷がスティックを叩いた。
そして再び演奏が始まった。
中川は、体を動かし、手を大きく振りながら懸命に歌い続けた。
そして間奏に差し掛かった。
「シャウトしろ!シャウトだ!」
中川は村野にそう言った。
村野は、顔をゆがめてタッピングやチョーキングをした。
「おおお、そうでぇ!それさね!」
村野は弾きながら、「うん」と頷いた。
「ピアノも、もっと踊れ!壊れるくれぇ、叩け!」
するとピアノの松金は、中腰になり、まさに踊るように弾いていた。
「よーーし、いいぜ~~!」
するとドラムの元谷は、全体を見渡しながら徐々に気迫に満ちた表情に変わっていた。
それは花井も同じだった。
こうしてテスト演奏は終わった。
「おめーさんら、素晴らしい演奏だったぜ!」
阿部らも、さっきまでとは全く違う出来に、拍手を送っていた。
「すごいです~~」
「ほんまやぁ~迫力がぁ違いましたぁ~」
「中川さんも、すごいな・・」
「よーし、そこでおめーらだ」
中川は彼女らを呼んだ。
「一番は、そうだな、ここはやっぱり重富だな」
「わかった!」
重富は右手を挙げた。
そして口を大きく開け、発声練習をした。
「二番は、チビ助、おめーだ」
「あ・・うん・・」
「で、三番は森上だ」
「わかったぁ」
「んじゃ、テストだ」
そして彼女らは、マイクの前に立った。
「んじゃ、演奏してくんな」
中川は元谷にそう言った。
こうして何度かテストが続き、やがて本番を迎えることになった。
「ミキサーのあんちゃんよ、しっかり録音頼むぜ!」
中川がそう言うと、ミキサーは「OK」と答えた。
「よーし、ほなら行こか」
元谷が重富に言った。
「はいっ!」
重富は、元演劇部だ。
歌は大して上手くはないものの、表現者としての血が騒いでいた。
絶対に、気持ちを込めて歌ってやる、と。
一方で阿部も、歌いきるしかないと気持ちは高ぶっていた。
同じ歌うなら、全力しかない、と。
それは森上も同じだった。
森上は、頭でイメージしていた。
そう、去年の四月からのことを。
「誰も助けてくれぬ孤独な試練 乗り越えて行くのは自分自身 挫けそうで心が折れて 見知らぬ誰かが嗤っていた」
この歌詞は、まさに自分と重なるようだ、と。
そして演奏が始まった。
「なにひとつ約束もないままあ~ 明日のことさえわからぬままあ~ 碁盤の上を迷うようにぃ~ 手探りの中を今日まで来たああ~ああああ~~!」
重富がここまで歌うと、四人全員でサビを歌った。
「いざ進め!」と歌う際、彼女らは自然と右手を突き挙げていた。
そして二番だ。
「人は見えないレールの上を~ 時に怯えながら歩いて行く~ 確かめたくて振り返ればぁ~ 過去の自分が見つめていたぁ~」
阿部は必死だった。
もう音程など気にする余裕もないほどだ。
そこで中川は、阿部の肩を抱き、リズムを刻んでいた。
そして阿部を優しく見つめていた。
おう・・チビ助、いいじゃねぇか・・
それでいいんでぇ・・
そして「問題」の間奏に入った。
村野は、彼女らの気迫に触発され、さらにシャウトして弾いた。
それはピアノの松金も同じだった。
スタジオの外では、吉住は手拍子をしていた。
ミキサーの男性も、頷くように首を動かしながら、左手でヘッドホンを押さえていた。
日置は思っていた。
目の前の彼女らは歌っているが、まさに四人が一体となり、まるで三神に挑む様を見るようだ、と。
中川さん・・
きみって強引だけど・・
結局・・彼らにやる気を起こさせ、彼女たちをけん引してる・・
ほんと・・すごいよ・・
そして森上も三番のAメロを歌い、サビを全員で歌った。
ここに来ると、それこそノリノリだ。
そして演奏は終了した。
「OK」
ミキサーがそう言うと、中では拍手が起こっていた。
「ああ~~・・しんどかった・・」
思わず阿部はそう言った。
「あはは!チビ助、おめー、やるじゃねぇか!」
「ふぅ・・」
そこで中川は彼らの方を向いた。
「私の勝手なアイデアを受けてくれて、ほんとにありがとうございました。おかげで素晴らしい仕上がりになりました」
中川は頭を下げた。
「きみ・・なんでそんなに詳しいんや?」
村野が訊いた。
「それがよ、私の兄貴、バンドやってんだよ」
「へぇーそれでか」
村野も他のメンバーも、いたく納得していた。
「おめーら、礼を言いな」
中川は、阿部らにそう言った。
すると彼女らは「どうもありがとうございました」と丁寧に頭を下げた。
こうして、すったもんだを経て、テープは出来上がったのである。




