165 ここさね
食事を終えた日置らは、ほどなくしてスタジオに到着した。
中へ入ると無精ひげを生やした受付の男性は、ここに「相応しくない」日置らを、まじまじと見ていた。
受け付けも含め一階には、ギターの弦やピック、カポタストといった小物を販売しており、他には様々な音楽雑誌も置かれ、サックスを吹く黒人のポスターも貼られていた。
「すみません、ここに吉住さんて方が来られてると思うんですが」
日置が訊いた。
「あ・・ああ、吉住さんですか。二階ですよ」
「そうですか。ありがとうございます」
日置らが階段を上がろうとすると「二階は録音スタジオですけど」と男性が止めた。
「僕たちは、録音に立ち会うことになってるんです」
「え・・」
「邪魔はしませんので、よろしくお願いします」
阿部が言った。
それでも男性は、訝しげな表情を見せた。
「あの・・」
そこで森上の後ろにいた中川が前に出た。
当然のように、日置らは中川を見た。
阿部は、中川のスカートを引っ張った。
けれども男性は、中川の美貌に唖然としていた。
「わたくしたち、吉住さまに呼ばれました、関係者でございますのよ」
中川は最高の笑顔を見せた。
「え・・」
「二階へ上がってもよろしくて?」
「あ・・あああ、はいはい、どうぞ」
「ごめんあそばせ」
中川はそう言って先に階段を上がった。
「すみません、お邪魔します」
日置は男性に一礼した。
そして彼女ら三人も日置に続いた。
「中川さん・・」
阿部が後ろから呼んだ。
「なんでぇ」
「あんた・・使えるな」
「あはは、当然さね。これを名付けてTPO作戦ってんでぇ」
「いや・・名付けるは、ちゃうと思う」
二階に到着すると、吉住は椅子に座っていた。
そしてアジュールのメンバーは、分厚い遮音ドアで仕切られた部屋の中にいた。
ドアの横は、透明のガラスになっており、中の様子が見えた。
「おお、来たか」
日置らを確認した吉住は立ち上がった。
「お邪魔致します」
日置は丁寧に頭を下げた。
阿部ら三人も日置に倣った。
けれども中川は一歩前に出た。
「よーう、吉住さんよ」
「あはは、待ってたで」
「中川さん、ちゃんと挨拶しなさい」
日置がたしなめた。
「ええがな。それでさっき、練習も終わってな、今から録音や」
「そうですか」
日置らに気が付いたアジュールのメンバーは、軽く会釈をしていた。
スタジオの外には、ミキサー担当の男性が中に合図を送っていた。
「ほんなら、テスト」
男性はマイクを通してそう言った。
日置らは邪魔にならないよう、立ったまま彼らを見ていた。
そして演奏が始まった。
日置と阿部ら三人は、ノリのいい演奏に驚いていた。
あの曲が、こんなになるのか、と。
けれども中川は違った。
おいおい・・ボーカルはどうした・・
そう、彼らはまず、演奏だけの録音をしていたのだ。
ボーカルは、別録音だったのだ。
「兄さんよ」
中川はミキサーに声をかけた。
男性は、ヘッドホンをしており中川の声には気が付かなかった。
「中川さん」
日置は中川の肩を叩き、睨んでいた。
そう、邪魔をするなということだ。
「ちょっと待ちな!」
中川はミキサーのヘッドホンを外した。
「えっ」
ミキサーは驚いて中川を見ていた。
そして中川は彼らに向けて、「ストップ、ストップ!」と手でバツを示した。
「中川さん、邪魔はしないって約束したよね」
日置は強い口調で止めた。
「そうやで。中川さん、やめとき」
阿部も必死に引き止めた。
「きみ、ええから、言うてみ」
吉住はそう言った。
「ボーカルは、どうしたってんでぇ」
「後から被せて録音するんや」
「ああ~~それじゃダメだ」
「なんでや」
「言っとくがな、これは魂の歌なんだ。一発録りってのが当然だろうがよ」
「ほーう」
「多少の失敗なんざ屁でもねぇさ。とにかく魂を吹き込むのさね」
「あはは、きみ、やっぱり僕の思た通りの子やな」
「なに言ってやがんでぇ」
「よし、わかった」
吉住はミキサーに「ボーカルも」と要求した。
ミキサーは唖然としながらも「ボーカルも」とマイクで指示した。
中の彼らは、戸惑いながらも「よし、それでいこか」と言った。
そして「一発録り」が始まった。
彼らの演奏と歌は、素人が聴くと完璧だった。
日置らも、いたく感激していた。
これは素晴らしいぞ、と。
「わあ~・・す・・すごい・・」
「三島くん・・びっくりするやろなぁ・・」
「めっちゃ・・かっこええなぁ・・」
阿部と森上と重富は、もはやアジュールに心を奪われているかのようだ。
そして演奏は終わった。
阿部ら三人は拍手をしていた。
それは日置も同じだった。
「ちょっと待ってくんな」
一人だけ異を唱える中川を、吉住は興味深く見ていた。
「吉住さんよ」
「なんや」
「あの人たちを、ここへ呼んでくんな」
「うん」
そして吉住は彼らに手招きをした。
彼らは分厚いドアを開けて外に出て来た。
「演奏、ご苦労だった」
中川は挨拶もせずにそう言った。
「きみ、卓球部なん?」
中川の言いぶりに唖然としつつも、ピアノ&ボーカルの松金が訊いた。
「済まねぇが、今の歌と演奏じゃ話にならねぇぜ」
「え・・」
彼らは完ぺきに熟したつもりだった。
それを、たかが女子高生に全否定され、唖然としていた。
「話にならんて、どういうことやねん」
ギターの村野が訊いた。
「あのよ、おめーさんたちよ、この曲を教科書に載せるつもりなのかよ」
「はあ?」
「はあ、じゃねぇし。ここがねぇんだ、ここがよ」
中川は自分の胸を叩いて見せた。
そこで日置は中川を制そうとした。
すると吉住は首を横に振って日置を止めた。
「おめーさんたちの演奏と歌は、上手いだけさね」
「どういうことや」
ベースの花井がそう言った。
「響かねぇんだよ」
「え・・」
「ここに、心の臓に響かねぇのさ」
「そこまで言うんやったら、きみ、できるんか」
ドラムの元谷がそう言った。
「けっ・・愚問さね」
中川はそう言って、ドアを開けて中へ入って行った。
「まったく・・中川さん・・」
日置は呆れ返っていた。
「あはは、ほんまおもろいで」
吉住は、中川がどんなことをして見せるのか、楽しみでならなかった。
アジュールの彼らは、ガラス越しに中川を見ていた。
ふーん・・エレピか・・
エレピとは、電子ピアノのことである。
そして中川は、前奏を弾き始めた。
ベース音として、低音の鍵盤をドドド・・と弾いたあと、右手で高音から低音へとスライドされたかと思うと、力強い8ビートのリズムを刻んだ。
これは中川の考えたアレンジだ。
やがて歌が始まったかと思うと、中川の歌は、ある種乱暴ではあったが、飾り気がなく、まさに魂に訴えるような歌唱力だった。
そしてサビに差し掛かった「いざ進め!」のフレーズともなると、中川は椅子から立ち上り、右手を天に突き挙げていた。
やがて三番も歌い終え、エンディングをジャジャジャッジャジャーーンと弾き終えた。
「ええなあああ!」
吉住は思わず声を挙げた。
アジュールの彼らも、中川のすごさに圧倒される有様だった。
それは日置らも同じだった。
素人の日置らでも、アジュールのボーカルと中川の歌は、明らかに何かが違う、と。
「こういうこった」
中川はそう言いながら、ドアを開けて外に出てきた。
「きみ、ピアノも歌も抜群やな。いやあ~びっくりしたで」
吉住はとても嬉しそうにしていた。
「ここに、来たかい」
中川は吉住の胸をポンと叩いた。
「おお、来た来た」
吉住がそう言うと、アジュールの彼らは居心地が悪そうだった。
「でよ、私、考えたんだけどよ」
中川は日置にそう言った。
「なにを」
「演奏はこの人たちにやってもらうが、歌は私らに任せてくんな」
そこで驚いたのが阿部ら三人である。
どういうことだ、と。
「おめーら、これは私らの曲だ。下手でも構わねぇ、歌うぜ」
「い・・いや・・ちょっと待って」
慌てたのが、歌が苦手な阿部だ。
「なんでぇ」
「わ・・私は・・ええわ・・」
「ダメだ!」
「えっ・・」
「おめー、キャプテンだろうがよ。おめーが歌わずしてどうすんでぇ」
「いや・・いや・・歌は中川さんで・・」
「っんなこと言ってっと、三神には勝てねぇぜ」
「え・・」
「あの須藤って野郎に勝つには、覚悟が必要なのさ」
「・・・」
「歌くれぇ歌えねぇで、どうすんでぇ、チビ助よ!」
「わかった。私は歌う」
重富はそう言った。
「私もぉ・・下手やけど歌うぅ」
森上もそう言った。
「おうよ。で、チビ助、おめー、どうすんだよ」
「そ・・そんなん言うたかて・・」
「阿部さんやったか」
吉住が呼んだ。
「え・・」
阿部は小さくなって吉住を見た。
「下手でもええがな。ようは、ここや」
吉住は自分の胸に手を置いた。
「は・・はい・・」
阿部は仕方なく受け入れたのだった。




