163 吉住、始動
―――それから数日後。
吉住は、梅田のとあるライブハウスを訪れていた。
ここは大阪でも老舗のライブハウスで、アマチュアはもちろん、セミプロ、プロなども出演する人気店である。
その殆どが弾き語りではあったが、中にはバンドとして出演する者もいた。
店はログハウス仕様の二階建てで、一階に小さな舞台が設置されていた。
吉住は舞台を見下ろせる二階の席に座っていた。
吉住の人脈からすると、わざわざライブハウスへ足を運ばなくても、電話一本でプロに声をかけることなど造作もないことだ。
けれども吉住は、たとえ日置の頼みであろうと、なにもそこまでする必要がないと考えていた。
そう、プロとなると、それは「仕事」だからである。
今日の出演者は、アジュールという男性四人組のアマチュアバンドだ。
彼らは去年、三島も参加した音楽コンテストで、見事優勝を果たし全国大会へ出場した実力者だ。
吉住はビールを飲みながら、彼らの演奏を聴いていた。
うん・・
やっぱり、こいつらがええな・・
彼らの安定した演奏を聴いて、吉住はそう決めた。
やがて休憩時間に入り、吉住は一階へ下りた。
店内には、カントリーウェスタンのBGMが流され、談笑する客の声がこの場を包んでいた。
「休憩中、すまんけどな」
吉住は、楽屋のドアを開けて中へ入った。
アジュールのメンバーは、店から出されたコーヒーを飲んでいた。
そして、吉住を見て「あっ」と一人がそう言った。
そう、あの日の審査員じゃないか、と。
「僕、こういうもんやけど」
吉住は背広のポケットから名刺を取り出し、「あっ」と言った者に渡した。
他の三人も、興味深そうに名刺を覗きこんだ。
「いや、実はな――」
そこで吉住は、今回の件をかいつまんで彼らに話した。
「それでな、これがテープと歌詞や」
受け取った彼らは、全員で歌詞を読んでいた。
「無理にとは言わん。やったろうと思たらでかめへんねや」
「無理なわけないですよ」
一人がそう言った。
「そうですよ。やりますよ」
「ええ話やないですか」
「おい、曲を聴こうぜ」
別の男性は、ケースからテープを取り出し、デッキに入れて再生ボタンを押した。
そして三島の歌が流れた。
「なるほど~」
「確かに、バンドの曲ですね」
「これ、ノリノリにできますよ」
彼らは、Aメロを聴いた時点で、既にイメージが出来上がった様子だ。
そして曲を聴き終えた。
「これ、俺好きやなあ」
「うん、僕も好きやわ」
「この子、誰なんですか?」
「あっ」と言った男性が、吉住に訊いた。
「三島くんいうてな、ほれ、去年のコンテストに出とった中学生や」
「ああ~~、あの子」
男性は三島のことを憶えていた。
「ほなら、任せてもええな」
「もちろんです」
彼らは、ボーカル&ピアノが松金、エレキギターが村野、ベースが花井、ドラムが元谷という編成だ。
「松金です」
「村野です」
「花井です」
「元谷です」
彼らは立ち上がって吉住に一礼した。
「ほな、録音できたら連絡してな」
「わかりました」
その後、吉住は彼らの演奏を最後まで聴き、店を後にした。
―――ここは桐花学園。
昼休みになり、中川は一人で職員室へ向かった。
中川は、バンド演奏がどうなったのかが気になって仕方がなかった。
それで日置に訊いてみようと思ったのだ。
職員室に入った中川は、ズカズカと日置の席へ行った。
「先生よ」
呼ばれた日置は、中川を見た。
「ああ、中川さん。どうしたの?」
日置は、小島が作ってくれた弁当を食べていた。
「吉住さんの件だが、どうなってんでぇ」
「まだ連絡がないよ」
「あれから一週間も経ってんじゃねぇか」
「まだ一週間だよ」
日置は呆れて笑っていた。
「先生から連絡しろよ」
「そんな催促するようなこと、できるわけないでしょ」
「いや、もしよ、もしだぜ?」
「うん」
「くっだらねぇ仕上がりになってたら、どうすんでぇ」
「そんなことないんじゃないかな」
「なんでだよ」
「吉住さんって、とても面倒見がいい人で、いい加減なことしないと思うよ」
「っんなもん、わかったもんじゃねぇぜ」
「失礼なこと言わないの」
「日置先生、電話ですよ」
教頭が受話器に手を当てて、日置を呼んだ。
「あ、はい。じゃ、きみ、教室へ戻りなさい」
日置は立ち上がり、中川の肩をポンと叩いて教頭の席へ行った。
「ったく・・呑気なもんだぜ」
中川は腕を組んで、日置の後姿を見ていた。
「もしもし、日置です」
日置は教頭から受話器を受け取り、電話に出た。
「あ、僕やけど。仕事中、すまんな」
相手は吉住だった。
「ああ、吉住さん。先日はありがとうございました」
職員室を出て行こうとした中川は、「吉住」という名前を聴いて思わず立ち止まった。
そしてそのまま、日置の元へ歩こうとした。
すると日置は、しっしっという仕草をした。
そう、教室へ戻れというわけだ。
けれども中川が、言うことを聞くはずがない。
中川は、そのまま日置の隣に立ったが、日置は中川に背を向けた。
「曲のことやが、明日、録音するらしくてな、僕も立ち会うことになったんやけど、きみも来るか?」
「え・・僕ですか」
「ああ、練習があるんやったらええで」
「明日の何時ですか」
「夜の八時や」
明日は土曜日だ。
八時には練習は終わっている。
「えっと・・時間は大丈夫ですが・・どうして僕が・・」
「きみ、なに言うてんねん。これ卓球部の応援歌やろ」
「ああ・・はい」
中川は、日置の話しぶりからある程度内容を悟った。
「貸しな!」
中川は、日置の煮え切らない態度に苛立っていた。
そして無理やり日置から受話器を奪った。
「ちょっ!ああっ」
この様子を、教頭は唖然として見ていた。
「もしもしっ、私だ」
「えっ」
「中川だ」
「あははは、きみか!」
「明日、どこへ行けばいいんでぇ」
「中川さん、いい加減にしなさい!」
日置が怒鳴ると、中川は日置の体をドンと押した。
「先生。黙っててくんな」
中川は日置をキッと睨んだ。
「すまねぇ。で、どこへ行けばいいんでぇ」
「あははは、先生と受話器を奪いおうとるんやな」
「そうさね」
「ええから、先生と代わって」
「いやっ、先生じゃ、話が進まねぇぜ」
「いやいや、悪いようにはせんから、代わって」
「むっ・・」
「はよ」
「おう、わかったぜ」
中川は仕方なく日置に受話器を渡した。
日置は「きみって子は・・」と言いながら受け取った。
「吉住さん、すみません」
「あはは、ええねや」
「それで、明日なんですけど・・」
「梅田にな、録音スタジオがあるんや。そこへ来てくれたらええで」
「そうですか・・」
日置は、音楽のことは全くわからない。
出向いたとしても、なにをすればいいのか、と躊躇していた。
「それとな、中川さんも連れて来て」
「え・・」
「僕、あの子、気に入ったんや」
「中川・・ですか・・」
日置は小声で囁いた。
「なんやったら部員の子、みんな連れて来てもええで」
「お邪魔になりませんか」
「なるかいな」
「そうですか・・」
「録音なんて見たこともないやろし。ほんで、いわばあの子らの曲やしな」
「はい・・」
「んじゃ、そういうことで」
そして吉住は場所を告げて電話を切った。
「あのさ・・」
日置は受話器を置いて中川を見た。
「なんでぇ」
「きみ、今年、二年生になるんだよ」
「それがどうした」
「もっと・・なんていうのかな、大人になるっていうか、気持ちのまま動くのはやめなさい」
「っんなこたぁ、どうでもいい。で、用件はなんだったんだ」
「うん、それがさ――」
内容を話すと「さすが、吉住。わかってんじゃねぇか!」と中川は大喜びしたのであった。




