148 丸樺商事
その後、日置ら一行は何度か休憩を挟みながら、ようやく保養所に到着した。
この保養所は、宿泊施設の建物の前には、広い芝生の前庭があり、その先には広大な太平洋の海が望めた。
日置は駐車場に車を停め、五人はトランクから荷物を取り出していた。
ほどなくして建物に到着し、入口には「丸樺商事 白浜保養所」と書かれてあった。
丸樺商事って・・大企業じゃないか・・
中川のお父さんって・・すごい会社にお勤めなんだ・・
でも・・他にも誰かが勤めていたような・・
日置は、八代が勤務している会社だとは、すぐには思い出せなかった。
そう、丸樺商事は、偶然にも中川の父親と八代が勤めている会社だったのだ。
「さ、入るぜ」
中川は先頭を切って中へ入って行った。
そして日置ら四人も後に続いた。
靴を脱ぎスリッパに履き替えてロビーに上がると、受付けのカウンターに中年の男性が立って日置らを出迎えた。
「お疲れさまでした。ご予約の方々ですね」
「中川です」
中川がカウンターの前に立った。
「えっと・・中川孝文さんですね」
男性は台帳を確認しながらそう言った。
「はい」
「五名様でよろしいですね」
「はい」
「それで・・三日までのご予約ですね」
「はい」
「なにぶん、年末なもんで混みあってまして、お風呂も食事も順番ということになります」
「はい、知ってます」
「それでは、これがお部屋の鍵です」
男性はそう言って、カウンターの下から鍵を二つ中川に渡した。
中川は「ありがとうございます」と受け取り、日置らの元へ戻った。
「これ、先生の鍵な」
中川は日置に鍵を渡した。
「ありがとう」
「で、先生よ。時間も時間だしよ、昼飯にしねぇか」
「もう用意されてあるの?」
日置は食堂のことを言った。
「ちげーよ。これさね、これ」
中川は紙袋を指した。
「これ、部屋で食おうぜ」
「中川さん、お弁当作ってくれたんです」
阿部が言った。
「そうなんだ。大変だったでしょ」
「っんなこたぁいい。行こうぜ」
「それにしても、立派な宿泊施設だよね」
日置はロビー見回していた。
建物は五階建てでロビーも広く、テーブルとソファのセットと、隅にはピアノも置かれていた。
エレベータも設置されており、日置らは310号室へ向かった。
「私ぃ、こんなホテルみたいなとこ来たん、初めてやわぁ」
エレベータの中で森上が言った。
「中学の修学旅行は?」
日置が訊いた。
「あの時はぁ、旅館でしたぁ」
「そうなんだね」
やがて三階に到着し、一行は310へ向かった。
部屋は十畳ほどの和室で、窓からは海が見えた。
「わあ~すごいな~」
重富は荷物を置くと、窓際へ行った。
「太平洋って、雄大やよな」
阿部は重富の隣に立った。
「おめーら、飯、食うぞ」
中川は座卓に弁当を置いていた。
「私ぃ、お茶淹れるわなぁ」
森上は用意されてあったポットの湯を、急須に注いだ。
「それで、中川さん」
日置は座りながら呼んだ。
「なんでぇ」
「卓球台ってどこにあるの?」
「この建物の裏にな、体育館があんだよ」
「へぇー!体育館まであるんだ」
「ま、さほど大きくないけどよ、小屋よりでかいぜ」
中川はそう言って笑った。
「さすが丸樺商事だね」
「まあな」
阿部と重富も座卓の前に座り、やがて五人は食事を始めた。
ところが、である。
中川の作った弁当は、なんとも不味かったのである。
「ありゃ・・この卵焼き・・なんでこんな味が・・」
中川は卵焼きを一口含んで、箸が止まった。
「なんか・・ケーキ・・?みたいな・・」
阿部がポツリと呟いた。
「ちょっと・・甘いかな・・」
重富も遠慮気味に言った。
「いやいやぁ、美味しいよぉ」
森上はとても美味しそうに食べていた。
「ちょっと待ってくれ」
中川はそう言って、他のおかずも食べだした。
「うげぇ・・なんだ、この唐揚げ、ベチャベチャじゃねぇか。うえっ・・アスパラ、芯が残ってやがる・・」
「中川さん」
日置が呼んだ。
中川は情けない表情で日置を見た。
「とても美味しいよ」
日置は文句を言わずにパクパクと食べていた。
「いや、先生、いいって。食わねぇでくれ」
「どうして?」
「こんな不味いもん食うと、この後の練習に支障をきたすぜ」
「あはは、なに言ってるの」
「うん、美味しい」
「そやで。食べるよ」
阿部と重富もそう言って、パクパクと食べだした。
「済まねぇ。こんなはずじゃなかったんだけどよ」
「こんなにたくさん作ってくれて、ありがとう。それだけで十分だよ」
「いやあ~お恥ずかしい限りだぜ」
「さっ、食べて練習するよ」
こんなもん食わせちまって・・
先生・・みんな・・わりぃ・・
かぁ~~・・それにしても不味いぜ・・
「ここの飯はうめぇから、晩飯には期待してくれ」
「中川さん、気にしないで」
日置は優しく微笑んだ。
「おう」
中川は小さく返事をした。
先生って・・ほんと、優しいよな・・
こう思った中川は、ある考えを巡らせていた―――
食事を終えた五人は、ほどなくして体育館へ向かった。
体育館は、中川が言った通り小屋よりはるかに大きく、学校の体育館ほどではないにせよ、とても立派な建物だった。
中へ入ると、卓球台は六台も並べて置かれてあり、その内の四台は宿泊客が使用していた。
「二台しか空いてねぇな」
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「ここ、何時まで使えるの?」
「何時でも構わねぇさ。鍵が閉まるわけじゃねぇし」
「で、ボールはどのくらいあるの?」
「心配ご無用さね。倉庫に腐るほどあらぁな」
「そうなんだ」
「でもさ、私らが占領してもええん?」
阿部が訊いた。
日置は阿部の質問の意味がわかっていた。
なぜなら、自分たちは合宿でここに来たわけだ。
当然、練習時間にその殆どを割くことになり、台も占領するというわけだ。
「いいじゃねぇかよ。こちとら遊びじゃねぇんだ」
「先生、ええんですか」
阿部が訊いた。
「まあ、様子を見ながら使わせてもらおうか」
そして五人は空いている台に向かった。
「じゃ、きみたち、それぞれに分かれて基本をやって」
日置がそう言うと、森上と阿部、中川と重富がペアとなりフォア打ちを始めた。
すると他の台で打っている宿泊客は、彼女たちのラリーを見て驚いていた。
「うまいなあ」
「高校生か?」
「あの子・・めっちゃ美人やな」
「あの男の人も、俳優みたいやん」
と、このような声がヒソヒソと聴こえた。
そして五分後、また宿泊客が二人入って来た。
「ありゃ、満員だね」
男性がそう言った。
「ほんまやね・・」
女性が答えた。
「歩美ちゃん、どうする?」
「秀幸さんに任せるわ」
そう、この二人は八代秀幸と白鳥歩美だったのだ。
八代と白鳥は恋仲で、来春には結婚式も控えていた。
「え・・ええっ・・あれは」
八代は森上に気が付いた。
「どうしたん?」
「あれは、森上さんじゃないか」
「森上さん?」
「ほら、以前、話したすごい子だよ」
「ああ~・・日置さんの教え子の」
「ちょ・・慎吾、どこなんだよ」
八代は日置の姿を探した。
その頃、日置は倉庫に入り、ボールの数を確かめていた。
「歩美ちゃん、行こう」
八代はそう言って白鳥と共に、彼女らの台に近づいて行った。
「森上さん!」
八代が呼んだ。
「あ・・ああっ!」
森上も驚いていた。
阿部も中川も重富も、誰なんだという風に八代を見ていた。
「八代さぁん、お久しぶりですぅ」
「いや、久しぶりも何も、きみ、どうしてここにいるの?」
「合宿に来たんですぅ」
「慎吾は?」
「倉庫にいてはりますぅ」
そこへ日置が倉庫から出て来た。
「慎吾!」
八代が嬉しそうに呼んだ。
「え・・うそ・・」
日置は目が点になり、思わず立ち止まった。




