146 合宿でぇ
それから重富には、毎日素振り500回が課せられ、重富は黙々とラケットを振り続けた。
けれども想像していたよりはるかに苦しく、投げ出したい気持ちも頭をよぎったが、同じ高校生である、阿部、森上、中川もこれを乗り越えたんだと思うと、自分にもやれると懸命に踏みとどまっていた。
一方で、日置が口にした通り、練習は一層、厳しさを増していた。
例えば、阿部には台に着いて離れないよう、阿部の後ろに畳んだ卓球台を立てていた。
つまり、少しでも後ろへ下がろうとすると、台に阻まれ体をぶつけることになる。
実際、阿部は何度もぶつけた。
「台にあたると意味がない。後ろへ下がったらダメ!」
「はいっ」
「それとボールは、同じところへ返すこと。ここ、ここだよ」
日置は返球する位置を指した。
その位置も、フォア、ミドル、バックの深いところへ、三カ所に一球ずつ打ち分けていた。
この練習も、ほんの一部に過ぎない。
とにかく日置は、狙ったところへ確実に返すことを課した。
それはサーブ練習に於いてもそうだ。
どのサーブをどこに出せば、どう返って来るのか。
いや、自分の思い通りに返させるのか。
レシーブも然りだ。
とにかく甘いコースへの返球は許さず、徹底して厳しいコースへ送らせた。
中川にはカットの徹底と、フットワークを課した。
ほんの一例を挙げると、ストップのボールを拾った体で、中川を前に寄せたと同時に、コートの最も深い所へボールを強打して入れる。
これは、なかなか拾えるものではない。
それでも日置は「動きが遅い!」と檄を飛ばし続けた。
この逆も然りだ。
後方でカットさせると同時に、ネット際にチョコンとボールを落とす。
一体こんなボール誰が拾えるんだ、といった厳しいタイミングだ。
それでも中川は、絶対に根を上げることがなかった。
森上には、更にドライブに磨きをかけた。
本来に戻った森上の、その吸収力たるや、思わず日置が身震いするほどだ。
無論、スマッシュも徹底して行った。
これも阿部と同様、日置が指摘したところへ確実に入れなければならない。
そして日置は、サーブも徹底して教えた。
相手に見破られないよう、ボールがあたった瞬間とフォロースルーも含めて、ラケットを複雑に動かすのだ。
重富の素振りが定着した頃には、季節も十二月下旬を迎えていた―――
学校は冬休みに入り、彼女らは朝から晩まで練習をしていた。
そんなある日のこと。
彼女ら四人は、日置が来る前に小屋で話をしていた。
「私の案、どうでぇ」
中川は、合宿をしたらどうかと、三人に提案していた。
「でも、保養地て。そんなんええん?」
阿部が訊いた。
「構わねぇさ。社員なら誰でも利用できるんだぜ」
中川の父親が勤める会社には保養所があり、社員や家族などがここを利用していた。
「それで、いつから行くつもりなん」
「そうさね~、三十日辺りはどうでぇ」
「せやけどぉ~、先生にも都合があるんとちゃうのぉ」
「なに言ってやがんでぇ。年末も正月も休みなしって言ってたじゃねぇか」
「まあ~そうやけどぉ」
森上は、また日置に相談もせずに話を進めることに戸惑いを見せた。
「はっ、森上よ。おめー考えてみな」
「なにをぉ」
「あの先生だぜ?保養地なんて言えば、気を使うに決まってんだろ」
「ああ・・なるほどぉ」
「だから、事後報告でいいんだよ」
「あはは」
そこで重富が笑った。
「なに笑ってやがんでぇ」
「だってな、中川さんて、芝居の時もそうやったし、試合もそうやったし、なんかおもろいなあって」
「なんでぇ。おもろいって。ま、いいさね。で、おめーら、それでいいな」
そして中川は父親に頼み、三十日から三日まで保養所を使用する申し込みをしたのだった。
―――翌日の朝。
「さて、重富さん」
練習前、日置が重富を呼んだ。
「はい」
「きみ、今日からボールを打つからね」
「えっ!」
「あはは、どうして驚くの?」
「いえ・・素振りは、もうええんですか」
「うん。すっかり定着したしね」
「はいっ!」
「重富!よかったじゃねぇか」
中川は重富の肩を抱いた。
「うん!」
「とみちゃん、よかったな」
阿部が言った。
「よかったなぁ~とみちゃん~」
森上も嬉しそうだった。
「でね、重富さんには板を使ってもらうから」
「え・・」
「きみには、板の選手になってもらうよ」
「板・・、試合の時と同じですね」
「先に言っとくけど、僕は今日から付きっ切りできみを特訓するから、そのつもりでね」
「特訓・・」
「きみにも、彼女たちと同じだけの実力をつけてもらわないといけないからね」
「はい」
「板の選手は、なかなかいないから、外の試合では有利だよ」
「はい」
「きみにも勝ってもらわないと困るから」
重富は思った。
卓球部員の一人として、選手として期待されている、と。
一年生大会のような、人数合わせではないんだ、と。
「はいっ!頑張ります!」
「そうでなくちゃ」
日置はニッコリと微笑んだ。
それからというもの、重富にとって「特訓」は想像を絶する内容だった。
フォア打ちの徹底は無論、ショート、ツッッキという基本を、これでもかというほどやらされた。
来る日も来る日も、カコーンカコーンという板の音が耳をつんざいていた。
練習が終わった後でも、残響が襲うこともしばしばだった。
―――そして十二月二十九日のこと。
「先生よ」
この日の練習が終わり、中川が日置を呼んだ。
「なに?」
「年末と正月だけどよ、どうすんでぇ」
「どうするって?」
「練習さね」
「もちろん、休みなしだよ」
「いや、それはわかってんでぇ」
「じゃ、なに?」
「ここらでいっちょ、合宿やんねぇか」
「ああ~・・合宿かぁ」
日置はあさっての方を向いた。
「あのよ、うちの父ちゃんの会社な、保養所があんだよ」
「へぇー」
「そこな、卓球台もあんだよ」
「そうなんだ」
「昔、二度ほど行ったことあんだけどさ、いいところだぜ」
「どこなの?」
「和歌山の白浜ってとこだよ」
「へぇー」
「なあなあ、なんの話?」
そこへ阿部ら三人もやって来た。
「ほら、こないだ話しただろ。合宿さね」
「ああ~あれな」
阿部はチラリと日置を見た。
「で、先生よ。保養所だし、一日一人千円でいいんでぇ」
「でも、僕たち、社員じゃないのにいいの?」
「いいってことよ!」
「で、いつにする予定なの?」
「明日だよ」
「ええええ~~!明日っ!いやいや、まだ申し込んでないんでしょ?」
「甘い・・甘いぜ・・先生よ」
中川は右手の人差し指を立てて、「チッチッチ」と言った。
「なんだよ」
「この私を誰だと思ってやがんでぇ」
「は・・?」
「一年生大会を強引に申し込んだ私だぜ。ちょっとは考えな」
「ってことは・・申し込んであるの?」
「そういうことよ」
中川は勝ち誇ったように、ニンマリと笑った。
「ほんとに・・まったくきみって子は・・。きみたちも知ってたの?」
日置は阿部らに訊いた。
「知ってました」
「私もぉ~知ってましたぁ」
「知ってました」
あっけらかんと答える三人に、日置は呆れていた。
「あのね、今更だけど、事前に僕に相談してくれないかな」
「まあまあ、先生よ。そう堅いこと言うなって。んじゃ、明日ってことでいいな」
「それ、何日までなの」
「三日までだぜ」
「ということは、五日間か」
「どうでぇ。いい日程だろ」
「ああ・・まあね」
そして日置は、往復の交通費のことを鑑み、レンタカーならば費用も安いし車を借りようと考えた。
「僕、車を借りてきみたちを乗せて行くから」
「おおっ、ドライブとしゃれ込もうってわけですかい」
「中川さん、それ、太賀誠と高原由紀のドライブのこと言ってるよね」
「あはは、よく憶えてんじゃねぇか」
「まったく・・。じゃ、明日、高島屋の前で待ってて。時間は朝の六時ね。中川さん、住所も頼むよ」
「合点でぇ!」
ちなみに日置は帰宅してから中川の家に電話をかけ、父親に丁寧に礼を言った。
父親の孝文は、とても気さくな人柄で、いわば江戸っ子の気風そのものだった。
それから阿部、森上、重富の家にも電話をかけて合宿のことを話すと、みな快諾してくれた。
特に、森上の父親である慶三は、日置の人間性を嫌というほど知っている。
したがって、反対する理由などあるはずもなく、「お世話をかけます」と言って、喜んでいた。
それは母親の恵子も同じだった。
こうして日置ら五人は、五日間、和歌山で合宿を行うこととなったのである。




