143 どうせ負けるなら
阿部と中川は1セット目を取られ、結局2セット目も「不発」に終わった。
中川は2敗もしたことで、自分を恥じ、悔いていた。
それでも日置は何も言わなかった。
中川のようなタイプの子は、慰めれば、よけい惨めになるだろう、と―――
「さて、阿部さん」
阿部は日置の前に立っていた。
「はい」
「中原さんは、きみと同じでペンの表だね」
「はい」
「向こうも前陣だけど、きみの方が動きも速いしボールにもスピードがある」
「はい」
「早めに攻撃を仕掛けて、付け入る隙を与えないこと。いいね」
「はいっ」
「よし、徹底的に叩きのめしておいで」
日置はそう言って、阿部の肩をポンと叩いて送り出した。
「チビ助」
中川は審判に着くため、阿部と一緒にコートへ向かった。
「なに?」
「ダブルス負けたのは、私のせいだ」
「え・・」
「済まねぇ・・」
「なに言うてんのよ」
「おめー、勝てよ」
「うん。絶対に勝つ」
「よし。しっかりな」
中川は阿部の肩に手を置いたあと、審判に着いた。
ここで、不安が最高潮に達していたのが重富である。
「先生・・」
重富は小声で日置を呼んだ。
「なに?」
「阿部さん・・勝ちますかね・・」
「うん、勝つと思うよ」
うっ・・やっぱりそうか・・
ほんなら・・ラストまで回って来る・・
相手は・・さっきの畠山さんやん・・
うわあ・・
ど・・どうしょう・・
「重富さん」
「は・・はい・・」
「気楽にやればいいから」
「は・・はい・・」
「あのね」
日置は重富の肩に手を置いた。
重富は日置を見上げた。
「森上さんてね、ずっと不調だったの」
「え・・」
「でも、この試合でスランプから抜け出すことができたの」
「・・・」
「きみが、試合に参加してくれなかったら、森上さんの不調はまだ続いていたと思う」
「・・・」
「きみのおかげなんだよ」
日置は優しく微笑んだ。
「わ・・私の・・?」
「うん」
「そうなんですか・・」
「きみは、森上さんを救ってくれた、最大の功労者なんだよ」
「・・・」
「だから、試合のことは気にしなくていい。きみがいてくれただけで十分なんだよ」
「そっ・・そうですか!」
重富は、やっとニッコリと笑った。
「そうでなくちゃ」
そして日置は、重富の頭を優しく撫でた―――
阿部と中原の試合は、日置の言ったように阿部が押していた。
とはいえ一方的な展開ではない。
中原も中学からの引き抜きの選手だ。
共に台に着いて離れない二人は、攻守のせめぎ合いを繰り返していた。
そんな中、なぜ阿部が押しているかというと、サーブの違いだった。
阿部は、ずっと一人でサーブ練習を繰り返してきた。
表ラバーであろうと、切るサーブ、送るコースなど、阿部なりに駆使して考えた。
ボールの回転に興味を抱いていた阿部は、同じ構えから下回転と上回転が出すことができたし、特にバックコースから出すバックのロングサーブは、スピードもさることながら、バッククロス、ミドル、フォアストレートに分けて出すことができた。
中原は、同じ構えからコースを変えて出すサーブに、コンマ数秒、動きが出遅れていた。
それが影響し、返球も甘くなり、阿部は悉くスマッシュを打ち抜いていた。
「いい攻撃だよね」
日置が呟いた。
日置の隣には、森上が立っていた。
重富は一歩下がり、曲がりなりにもアップをしていた。
「はいぃ。千賀ちゃん、すごいですぅ」
「同等の実力でも、一歩抜きん出たものがあると違ってくるよね」
「はいぃ」
「阿部さんを見ていると、いかにサーブが大事かわかるよね」
「はいぃ」
「きみには、もっとサーブを覚えてもらうからね」
森上のサーブは悪くはないが、いわば「単調」だった。
たとえ単調であっても、森上には伝家の宝刀であるドライブがあり、勝つには十分だった。
けれども、三神や全国の猛者に勝つためには、ハイレベルなサーブを身につける必要があるのだ。
そして阿部は、1セット目は21-17、2セット目は21-18と、競ったものの見事に勝利を収めた。
「阿部さん、ナイスゲームだったよ」
ベンチに下がった阿部に、日置が拍手で迎えた。
「はいっ」
「千賀ちゃん~、すごいぃ~」
森上も阿部を称えていた。
「チビ助!おめー、すげぇわ」
審判を終えてベンチに下がった中川も、阿部の肩をポンポンと叩いていた。
けれども中川は、自分が2敗もしたことに、体がよじれそうなほど悔しさが残っていた。
「さて、重富さん」
日置が呼んだ。
「はっ・・はいっ」
重富は慌てて日置の前に立った。
日置はバッグからラケットを取り出し重富に渡した。
「気楽に、気楽にね」
「は・・はいっ」
「とみちゃん、頑張ってな!」
阿部が言った。
「とみちゃん~、ファイトぉ~」
森上もそう言った。
「重富よ」
中川が呼んだ。
「なに・・」
「おめーは、影の大番長だ。堂々としてりゃいいんでぇ!」
「う・・うん!」
「よーし、行って来な!」
そして重富はコートへ向かった。
審判には阿部が着いた。
―――小谷田ベンチでは。
「畠山」
中澤が呼んだ。
「はい」
「別に、なんもせんでもええぞ」
「はい」
「向こうはど素人やが、情けをかける必要もないし、気張る必要もない」
「はい」
「決勝は三神や。とっとと桐花を倒して次いくぞ」
「はい」
そして畠山もコートへ向かった。
小谷田の他の選手は、目の前の試合より三神を観ていた。
そう、ど素人の試合など、観る価値もない、と。
それは中澤も同じだった。
その様子を見た重富は、少しだけ悔しい気持ちが湧いてきた。
そして、惨めだ、とも思った。
いや・・別にええやん・・
私は演劇部なんやし・・
せやけど・・なんか・・
なんで・・悔しい気持ちが出てくるんやろう・・
そこで重富は、改めて日置のラケットを見た。
めっちゃ・・使い古した感じやな・・
ここも真っ黒になってるし・・
ここのコルクは・・削れてるし・・
こんなになるまで・・使ってはるんやな・・
「重富ちゃ~~ん、ファイトよ~~」
大久保の声がした。
「重富さん!しっかりな!」
「頑張れ~~!」
「いやあ~~板やん~~」
「おおおお~~相手にとってはやりにくいで~~」
「試合はやってみんとわからんで~~」
このように彼女らも、必死の声援を送っていた。
先輩たち・・
みんなええ人らやな・・
重富はニッコリと笑って応えた。
よーーし、もう試合は始まるんや・・
どうせ負けるんやったら・・気持ちだけでも向かって行かんと・・
影の大番長や!
やがて試合は始まったが、戦況は言うに及ばず、重富はボールに触ることすらできないでいた。
それでも重富は「来やがれってんでぇ!」と声を出し続けた。
そしてサーブの際には「この投げナイフ・・刺さると痛いよ!」と言っていた。
畠山は、滑稽そのものの重富を見て笑っていた。
いや、畠山には他意はなかった。
バカにしているわけでもなく、単に面白かったのだ。
「笑っていられるのも、今のうちさね!」
「あははは」
そして重富のラケットは、カッコーンという音を放ち、どうにかこうにか畠山のコートにサーブを入れた。
「おおお!」
日置は思わず声を挙げた。
そう、初めてサーブが成功したのだ。
畠山は腕に力が入らず、なんと空振りをしたのだ。
「え・・」
重富は、唖然として畠山を見ていた。
「よーーし!ナイスサーブ!」
日置は口に手を当てて叫んだ。
「っしゃあ~~~!見たか~~畠山よ!」
「とみちゃぁん~~ナイスサーブぅ~~」
中川と森上も声援を送った。
そして大久保らや彼女らも「よっしゃあ~~~!」と声を挙げていた。
この「騒ぎ」を何事かと思った中澤や他の選手は、思わずコートを見た。
「なんやねん・・1点取られとるがな」
中澤が言った。
「でも、19-1ですよ」
「そうですよ、1点くらいええですよ」
「畠山ちゃん・・なんで笑ろてるんや・・」
そう、畠山は自分が空振りしたことにも笑っていた。
「あかん・・力が入らん・・あははは」
「こらーー畠山!なに笑ろてんねや!」
中澤が叫んだ。
「サーーーよし!」
そして重富は、たいぶ遅れて、大きな声を発したのであった。




