141 回ってこないでくれ
現在、試合が行われているのは、三神対中井田と、桐花対小谷田だけだ。
けれども観戦者の殆どが、第5コートに注目していた。
というより、森上に目を奪われていたのだ。
既に森上を知っている者もいれば、初めて目にする者もいた。
知っている者でさえ、六月の森上と比較すると、その差は歴然として、まさに驚愕していた。
そして、その多くが対三神戦を望んでいた―――
「せやけど・・なんで森上さんがダブルスに出てないんや」
「桐花の監督、なんでこのオーダーやねん」
「阿部さんはまだええけど、中川さんがな・・」
「ラストまで回ったら、話にならんで」
と、このような声があちこちから挙がっていた。
森上は安達を撃沈させ、阿部と中川は日置の前に立っていた。
「さて、きみたち」
二人は黙ったまま日置を見上げていた。
「本多さんのことは、もうわかってるよね。で、畠山さんはペンドラ。向こうの攻撃パターンは、畠山さんがドライブかけて、本多さんがスマッシュ」
「はいっ」
「おうよ!」
「それで阿部さん」
「はいっ」
「きみは絶対に後ろへ下がらないこと」
「はいっ」
「相手が畠山さんなら、ドライブをカウンターで返すこと。きみの速攻なら本多さんは決められない」
「はいっ」
「で、相手が本多さんなら、短いボールを出して打たせないこと。きみが先に攻撃を仕掛けること」
「はいっ」
「中川さん」
日置は中川を見た。
「おうよ!」
「きっと畠山さんにもストップがある。きみは本多さんとの試合でストップの処理が未熟だとわかってしまった。向こうは絶対にそこを突いて来る」
「しゃらくせぇやね!」
「命のやり取りだ。死んでもボールに食らいつけよ」
「誰に言ってやがんでぇ!あたぼうさね!」
「よし、徹底的に叩きのめしておいで」
日置は二人の肩をポンと叩いて送り出した。
審判には、森上が着いていた。
「阿部さん、中川さん、しっかりな!」
重富も椅子には座らずに、二人に声援を送った。
「重富さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「きみ、ずっと立ちっぱなしで疲れたでしょ。座ってていいよ」
「いえ、平気です」
「無理しなくてもいいんだよ」
「森上さんの試合を見せられて、座ってなんかいてられません」
重富はニッコリと笑った。
「でね、重富さん」
「はい?」
「もしかすると、きみに回って来るかもしれないんだよ」
「えっ・・し・・試合ですか・・」
「うん」
「私に回って来るて・・それって勝負がかかった試合ってことですよね・・」
「そうなの」
「そ・・そんな・・」
そこで重富は、館内を見回した。
するとどうだ。
殆どの者が5コートを観ているではないか。
「あっ・・あの・・私・・」
「ん?」
「ちょっと・・トイレ行って来ていいですか・・」
「うん、いいよ」
日置は優しく微笑んだ。
そして重富は、まるで逃げるようにロビーへ向かった。
あかん・・あかん・・
私まで回さんといて・・
頼むから・・ダブルスと・・阿部さんのシングルで勝って・・
ロビーに出た重富は、トイレにも行かずに、辺りを行ったり来たりしていた。
いや・・でも回って来んかもしれんのやな・・
そうや・・回って来んて・・
きっとダブルスとシングル、勝つって・・
でも・・万が一のことがある・・
いやいや・・そもそも私って・・演劇部やん・・
ああ・・どうしょう・・
「ほら~~はよはよ~~」
そこへ「一個連隊」が慌ててロビーへ入って来た。
そう、桂山のジャージを着た、大久保ら10人だ。
え・・この人ら・・文化祭に来てた人らやん・・
重富は唖然として大久保らを見ていた。
「それにしても、影の大番長て、誰なんやろな」
「私、こういうのん好きやねん」
「なんせ高原由紀やろ。そうとう強いはずやで」
「いやあ~楽しみ~」
彼女らは、口々に話していた。
その・・影の大番長・・私なんですけど・・
重富は、声をかけられずにいた。
「お嬢ちゃんたち~桐花は小谷田と試合中よ~」
大久保は、ロビーに貼り出されている組み合わせ表を見て言った。
「おお~~小谷田ですか」
杉裏が言った。
「勝ったら、三神ちゃんと決勝よ~」
「小谷田やったら大丈夫やな」
「三神かあ。そういや三年前、彩華が倒れて途中までやったんやな」
「あの時は、びっくりしたなあ」
「あれっ」
そこで浅野が重富に気が付いた。
浅野の声で、みんなは重富を見た。
「あんた・・確か、スケバンやってた子やな。でも、そのジャージ・・」
為所は、卓球部のジャージを着ている重富を不思議そうに見ていた。
「あっ・・ああっ、あの・・こんにちは」
重富はとりあえずそう返した。
「え・・まさか、あんたが影の大番長なん?」
外間が訊いた。
「あ・・ああ・・はい・・」
「ええええ~~、あんた卓球やってたんや!」
井ノ下が言った。
彼女らは、まさか重富がど素人だとは思わなかった。
「あらあら~お嬢ちゃん、えらい緊張してるやないの~」
大久保が話しかけた。
「名前、なんやったっけ」
小島が訊いた。
「重富です・・」
「で、重富さん、ここでなにしてるんや」
「あの・・その・・」
「試合はどうなってるん?」
「えっと・・中川さんが負けて、森上さんが勝って・・今はダブルスやってます・・」
「そうなんや」
「重富さん~どないしたん~」
蒲内が訊いた。
「あの・・私、卓球、やったことないんです・・」
「え・・」
「でも・・ラストまで回るかもしれないんです・・」
「ラストて、重富さんなん?」
岩水が訊いた。
「そうなんです・・だから、回って来んように・・ここで祈ってたんです・・」
「重富ちゃん~」
大久保が呼んだ。
「はい・・」
「かまへんやないの~、なんも気にすることなんて、あらへんわよ~」
「でも私・・一回戦で1点しか取れへんかって・・めっちゃ恥かいたんです・・」
「あはは、なに言うてんのよ」
岩水が笑った。
「あのな、私なんか一年生の時、0点やったんやで」
「え・・」
「杉ちゃんかて、1点やったんやで」
「そ・・そうなんですか・・」
「っていうか、重富さん、あんた演劇部やよな」
杉裏が訊いた。
「そうなんですけど、人数が足りんいうて、それで・・」
「あらま~、それはしゃあないことよ~。重富ちゃんのせいやないわ~」
「人数合わせやったんか・・」
「うん、そらしゃあない」
「なんも気にせんでええで」
「そうそう~、私ら応援するからな~」
彼女らは口々に重富を励ました。
「さてさて~、中へ入ろか~」
大久保がそう言うと、彼女らはフロアへ向かった。
「重富さん」
小島が呼んだ。
「はい・・」
「大丈夫や」
小島は重富の肩を抱いて、一緒にフロアへ入った。
―――コートでは。
まさに熱戦が繰り広げられていた。
阿部は、畠山のドライブを、悉くカウンターで返し、そのスピードに本多は翻弄されていた。
一方で、本多は中川に打つと見せかけてからのストップ、その逆も然りで、中川は本多に翻弄されていた。
現在、カウントは15-14の1点差で本多らが1点リードしていた。
「中川さん」
阿部が呼んだ。
「なんでぇ・・ハアハア・・」
中川は動かされ続け、肩で息をしていた。
「ここは同点にするで」
「わかってらぁな・・」
「畠山さんのサーブ、私は打つからな」
「おうよ・・」
「ラリーになると思うけど、大丈夫か?」
「ふう~~」
そこで中川は大きく息を吐いた。
「っんなもん、大丈夫に決まってんだろが!」
「うん。わかった」
阿部は小さく頷いた。
「中川!」
日置が叫んだ。
二人は振り向いて日置を見た。
「根性見せろ!絶対に引くな!」
「おうさね!」
「死んでも食らいつけ!いいな!」
「だーれに言ってやがんでぇ!」
日置の言葉を聞いて驚いたのが、大久保らと彼女らであった。
先生、一体どうしたんだ、と。
慎吾ちゃん、なにをそんなに怒ってるんだ、と。
そして重富は、ベンチに戻った。
「先生、あこそに先輩方、来ておられます」
「そうなんだ」
日置は彼女らに目をやった。
そしてニッコリと微笑んでいた。




