14 前途多難
日置は職員室を出て、森上の前に立っていた。
「森上さん、入部するってほんとなの?」
「はいぃ・・」
「どうしてその気になったの?」
「えっとぉ・・小屋が使えなくなる言うんを、聞いたんでぇ、それで」
「廃部を心配してくれたんだね」
「はいぃ」
「で、きみも入部希望者なの?」
日置が阿部に訊いた。
「いや・・私は陸上部で・・」
「え、あそこで陸上部やってるよ」
日置は運動場を見た。
「いや・・私、あまり参加してないんです」
「そうなんだ」
「ちょっと、見学しよかなあって」
「そっか。いいよ。じゃ、今から小屋へ行こうか」
「はいぃ」
「はいっ」
そして三人は小屋へ向かった。
日置は東原の話が気になってはいたが、担任である加賀見の仕事だと割り切っていた。
無論、力を貸さないわけではない。
必要とあらば、いつでも尽力する心構えはしていた。
やがて三人は小屋へ入った。
「森上さん、体操服持ってる?」
「はいぃ、持ってますぅ」
「じゃ、あそこで着替えてね」
日置は部室を指した。
そして森上は部室に入った。
「阿部さんも、打ちたければ着替えた方がいいよ」
「いえ・・私はここで見てます」
阿部は、コートの後方で立っていた。
「それにしても、卓球部はインターハイへ行って、すごいですね」
「そうだね」
「日置先生て、卓球の選手やったんですか」
「うん」
「へぇー、強かったんですか」
「まあ、そこそこね」
相変わらず日置は、自分のことを言わない。
そこに着替えを済ませた森上が出てきた。
「ああ、森上さん、その棚に置いてあるラケットも持って来てね」
「ああ・・はいぃ」
「そのラケット、いわば、仮だからね」
「そうですかぁ」
「前に、持ち方教えたけど、憶えてる?」
「はいぃ・・こうですか」
森上は右手を日置に見せた。
すると、日置が教えた通りに握っていたのだ。
「うん、そうだよ。じゃ、台に着いて」
「はいぃ」
そして日置と森上は向かい合った。
「構えてみて」
「はいぃ」
すると森上は、また日置に教えてもらった通りに構えたのだ。
「振ってみて」
「はいぃ」
日置は、仰天した。
まるで経験者のような素振りなのだ。
この子・・全部憶えてる・・
すごいな・・
「じゃ、ボール出すから打ってみて」
「はいぃ」
日置は軽いロングサーブを出した。
すると森上は、なんと打ち返した。
しかも、フォアクロスに確実に。
「ちょっと待っててね」
日置はそう言って、籠のボールを部室から出して台に戻った。
「続けて出すから、打ってね。ミスしてもいいよ」
「わかりましたぁ」
日置はサーブではなく、森上のコートに直接ボールを送った。
すると森上は、ミスもあったが、連続で送られるボールを全部打ち返していた。
「うん、いいね~いいよ~」
日置はボールを送りながら、声を出していた。
やがて籠のボールがなくなった。
「森上さん、きみ、すごい素質を持ってるよ」
「そうですかぁ」
「打っててどう思った?」
「うーん・・あまりピンときませんがぁ・・難しくはないですぅ」
そう、森上は物足りなさを感じていたのだ。
日置と森上と阿部は、ボールを拾って籠に入れた。
「まだ、大丈夫?」
「はいぃ」
「じゃ、送るよ」
日置はさっきよりスピードを速めた。
するとどうだ、森上はまた全部打ち返したのだ。
日置は、胸が震える思いがした。
これは想像以上だ、と。
森上なら、全国で通用する選手に必ずなれる、と。
見学している阿部は、森上のすごさは全くわかっていなかったが、一定のリズムで確実に打ち返す森上を、楽しそうだな、と思った。
そして日置は、ラリーを試してみようと思った。
「森上さん、僕、打ち返すから、きみも打ち返してね」
「はいぃ」
そして日置はサーブを出した。
森上はなんなく打ち返した。
それを日置も打ち返した。
また森上は打ち返した。
このように、ラリーが続いたのだ。
もろちん、森上の送るコースは、まだ不安定だ。
けれども、その度に日置は足を動かして、フォアクロスへ送っていた。
そもそも、未経験者とラリーが続くことなどあり得ないのだ。
それだけに、森上のずば抜けた身体能力、覚えの早さは、小島ら八人と比較にならないものだった。
「森上さん、本気で全国目指す気はある?」
ラリーを終えて日置が訊いた。
「全国ですかぁ。ええなぁと思いますけどぉ、私ぃ、あまり遅くまで練習できひんのですぅ」
「ああ、お家のこと?」
「はいぃ」
「そっか・・」
「でもぉ、卓球部には、おりたいですぅ」
「クラブ活動として?」
「うーん・・卓球部がなくなるのは嫌なんでぇ」
「ああ・・そっか」
「あの」
阿部が声をかけた。
「なに?」
「私も卓球部に入ります」
「え、そうなの?」
「陸上は、なんか相性が悪くて」
「そうなんだ」
「せやけど、私、素人なんです」
「そっか」
「先生、教えてくれますか」
「いいけど、僕の練習は厳しいよ」
「はい」
「そして、全国が目標だけど、その覚悟はある?」
「先輩方も、素人から始めて全国行ったんですよね」
「そうだよ」
「ほな、私も出来る気がします」
「よし、わかった。じゃ、きみたち明日からTシャツを用意すること。それとラケットとラバーと靴は部費で買うからね」
「はい」
「はいぃ」
「きみたちには、まだわからないだろうけど、森上さんは裏のペンドラ、阿部さんは、そうだなあ、表の前陣かな」
阿部の体格は小柄で、森上と並ぶと、まさに凸凹コンビといった具合だ。
「あのぉ、先生ぇ」
「なに?」
「練習はぁ、日曜日もあるんですかぁ」
「うん、土日関係なく、一日も休みなしだよ」
「そうですかぁ・・」
「都合が悪い?」
「はいぃ・・日曜日はぁアルバイトしようと思てるんですぅ」
「え・・」
「できたらぁ、土曜日もぉ」
「それって、やっぱりお家の都合?」
「はいぃ・・うち、貧乏でぇ、やっと学校へ行かせて貰ろてるんですぅ」
「そうなんだ。僕、一度親御さんにお会いして、話をさせてもらってもいいかな」
「話ですかぁ・・」
「お家へお邪魔してもいいよね」
「ええですけどぉ・・」
森上は、消極的だった。
なぜなら、バレー部に入った時も、「クラブ活動なんか、辞め!」と父親に叱られていたからだ。
森上の父親は工場で働く肉体労働者だ。
給金も少なく、その補填として母親がスーパーでアルバイトをしている。
両親の給料を合わせても、けして贅沢できるレベルではないのだ。
そんな両親も高校くらいは行かせないと、就職も不利だとわかっていた。
だから通わせているだけなのだ。
ましてや、「邪魔」でしかないクラブ活動など、以ての外と考えていた。
部活と言えども、多少のお金がかかる。
そんな余裕はないのだ、と。
そして森上には小学一年の弟がいる。
まだ幼い弟の世話を、森上は任されていた。
森上を育てて、全国へ連れていきたい日置。
方や、森上には弟の世話と、部活など以ての外、と考えている両親。
自分をいじめから救ってくれた日置に、せめてもの恩返しとして入部を決意した森上。
前途多難とは、まさにこのこと。
日置の苦労は、まだ始まったばかりなのである。




