139 目覚めよ、森上
―――「やっぱり中川では、小谷田に勝てんか」
5コートの近くで立っている早坂は、ポツリと呟いた。
早坂は、桐花はここまでだと、少し落胆していた。
なぜなら、中川が三神とどんな試合をするのかを見たかったからだ。
けれども、小谷田にこれでは、三神どころの話ではない、と。
「編集長!」
そこへ植木が慌ててフロアへ入って来た。
植木は館内の隅を小走りで駆け寄り、早坂の元へ到着した。
「おう、ス~」
「桐花は、どないなってるんですか」
「トップはボロ負けや」
「トップて、誰ですか」
「あそこで立ってる、美人の子や」
早坂は中川を指した。
「え・・」
植木は中川の美貌に仰天していた。
「誰ですか・・あの子・・」
「中川いう選手や」
「へ・・へぇ・・」
「あの子、おもろいぞ」
「おもろい?」
「次、ダブルスに出るから、その時わかるで」
「そうなんですか・・」
植木は当然、早坂の言った「おもろい」という意味がわからなかった。
めっちゃ・・綺麗や・・
浅野さんも美人やったけど・・
この子は・・女優並や・・
コートでは3本練習が始まっていた。
森上は、一球一球丁寧に打っていた。
落ち着け・・落ち着け・・
できる・・
私なら・・前みたいにできる・・
再び副審に着いた重富は、祈るような気持ちで森上を見ていた。
重富も森上の性格を知っている。
おそらく、半端ないプレッシャーが襲っているに違いない、と。
そしてジャンケンに勝った森上はサーブを選択した。
森上は大きく息を吐いて「1本」と低い声で言った。
安達も「1本!」と気合の入った声を発した。
森上はドライブを打つため、上回転のかかったロングサーブをミドルに出した。
安達はなんなくカットで返した。
フォアに入ったボールを、森上は軽いドライブで返した。
それも安達は、なんなくカットで返した。
あまり・・回転がかかってないな・・
回転を見極めた森上は、少し力を入れてドライブを放った。
森上の力は、まだまだ十分ではなかったが、例えるなら為所に近いドライブが返った。
よしよし・・森上さん、それでいいよ・・
日置は、自身を落ち着かせるように心の中で呟きながら、握る拳には力が入っていた。
バックに入ったドライブを、安達はコントロールを見誤り、少し高い返球になった。
バックへ上がったボールに、森上はすぐさま回り込みスマッシュを放った。
これも全く十分ではない。
普通の「女子」レベルのスマッシュだ。
それでもボールはバッククロスを抜けていった。
懸命になってボールに追いついた安達は、バックカットで返した。
この時、森上にストップがあればよかったのだが、森上にはまだストップの技術がなかった。
森上は再びドライブを、フォアストレートに放った。
安達は懸命に走ってボールに追いつき、カットではなく打って返球をした。
「打て~~~!」
中川は思わず叫んだ。
森上は中川の声に反応したのではなく、反射的にカウンターで返した。
あっ・・
森上は、自身の体の反応に少しだけ驚いた。
そう、以前の感覚を感じ取ったのだ。
カウンターで返された安達は、対応に間に合わず、ボールは後方へ転がって行った。
「サーよし」
森上は低い声を発し、左手で小さくガッツポーズをした。
「よしよし!ナイスボール!」
日置は大きく拍手をしていた。
「っしゃあ~~~!」
中川は右手でガッツポーズをした。
「恵美ちゃん~~!ナイスボール!」
阿部はアップをしながら声援を送った。
今の・・なんか・・よかった・・
よし・・ドライブ・・もうちょっと力入れて打ってみよう・・
森上は少し自信が湧きつつあった。
そして森上は、再びロングサーブを出した。
バッククロスを伸びいてくロングサーブだ。
安達はなんなくカットで返した。
フォアストレートに入ったボールに、森上はすぐさま足を動かし、右腕を大きく振り下した。
お願いやから・・前みたいなドライブ・・入って・・
1球でええから・・
そして森上は右腕を大きく振り上げた。
するとどうだ。
ビュッと音がするくらい、抜群のスーパードライブが安達のフォアクロスを襲った。
安達はラケットにあてることすらできずに、空振りをした。
「よーーーし!」
日置は興奮して声を挙げた。
「おおおおおお~~~!」
5コートを見ている観戦者から、驚嘆の声が挙がった。
「それだ!それだよ、森上さん!」
日置は前に出んばかりだ。
「先生よ」
中川が日置のジャージを引っ張った。
「なに」
日置は、なにをするんだ、といった表情を見せた。
「落ち着けよ」
中川は笑っていた。
「え・・あ・・ああ」
「おっしゃあ~~~!森上、ぶっ倒してやんな!」
「きゃ~~~!恵美ちゃん、すごい~~!」
阿部も興奮していた。
審判の重富は、森上のスーパードライブを初めて見た。
なんなんだ、今のボールは、と。
そして唖然としながら森上を見ていた。
森上は重富の視線を感じ、重富を見た。
そして、なんとも愛くるしい笑顔を見せた。
森上さん・・あんた・・すごい・・
あっ・・そういえば・・
先生は・・森上さんを入部させるのに、えらい苦労したと聞いたことがある・・
そうか・・
こういうことやったんや・・
だから・・森上さんを・・
「安達!」
中澤が叫んだ。
安達は黙って振り向いた。
「どんまいや!落ち着いて拾たらええ!」
「はいっ」
中澤はそう言ったものの、今しがたのドライブを見て安達に勝ち目はないと見ていた。
一方で、森上の一回戦と二回戦の、あの試合ぶりはなんだったんだ、と。
手を抜いていたのか、と。
森上は、安達はやり易い相手だと思っていた。
カットの切れもさほどではないし、軽いドライブの返球でさえ浮いて返って来る。
全く慌てる必要などない、と。
よーし・・確実に入れて行ったらええな・・
無理せんでもええ・・
せやけど・・全力で打てるボールは全力で・・
今しがたのボールを見て、驚いたのが早坂だ。
「嘘やろ・・」
早坂は思わず呟いた。
「なにがですか」
植木は六月のシングルを見ていたので、早坂の呟きの意味がわからなかった。
「いや、お前から森上はすごいと聞いてたけどな、一回戦と二回戦は全然やったんや」
「え・・」
「いや、勝ったけどな、なんもすごなかったんや」
「そうなんですか?」
「今のドライブ、今日、初めて打ったんやぞ」
「まさか・・日置監督、手を抜いてた・・?」
「いや、それはないやろ」
「ほならなんで・・」
「ようわからんけど・・そうか、今のが本来の森上なんか」
「そうなんですよ!森上さんは、すごい選手なんですよ!」
植木は我がことのように、なぜか勝ち誇っていた。
その後、森上はけして慌てることなくマイペースで試合を進めていた。
繋ぐボールは繋ぎ、全力で打てるボールは全力で、といった具合に、確実に1点ずつ取って行った。
けれども全力で打ったつもりのボールでも、全てが上手くいったわけではなかった。
その度に森上は、「しゃあない・・しゃあない・・」と言いながら、自分を励ました。
それは日置も同じだった。
つい今しがたまで、森上は全くの不調だった。
それがここに来て、少しずつではあるが感覚を取り戻し、決まり始めている。
それで十分だ、と。
少しずつでいいんだ、焦ってはいけない、と。
一方でこうも考えていた。
三神のエースはカットマンである須藤だ。
今の森上にはストップはない。
けれども今後、ストップを身に着けドライブに混ぜると、果たしてどんな試合になるのか、と。
日置は想像しただけで武者震いのする思いがしていた。
―――本部席では。
「そうですか」
5コートを観ていた皆藤は、独り言を呟いた。
隣で聞いていた三善は雑務を熟しながら、相変わらず呑気だな、と思った。
なぜなら三神も試合をしているからだ。
勝つとわかってはいても、せめて自校の試合を観るだろう、と。
「どうされたんですか」
三善はとりあえず、そう返した。
「森上くんですよ」
「そうですか」
「でも・・ダブルスは負けるでしょうし、次の阿部くんもどうかわかりません」
「そうですか・・」
「阿部くんが勝ったとしても、ラストは論外です」
「では、やはり桐花は負けると」
「仕方がないですね」
皆藤は落胆していたが、来年の予選は違うと思った。
日置くん・・
中川くんを成長させ・・
重富くんも・・どんな選手に育てるのか・・
楽しみでなりませんよ・・
そしてコートでは、森上はラストを迎えていた。




