138 四ヶ月の中川
その後、中川は懸命にボールを拾い続けるも、「岩清水作戦」は本多に通用しなかった。
なぜなら、あくまでも中川は九月から始めた素人。
方や本多は、中学からの引き抜き。
いや、本多は小学生の頃から卓球を始めていた。
まさに、圧倒的な練習量の差の前では「作戦」も「意気込み」も、技術を上回ることができなかったのである―――
結局、1セットを21-6で落とした中川は、悔しさに満ちた表情で日置の前に立っていた。
「中川さん」
「なにも言わねぇでくれ」
「え・・」
「不甲斐ないことは、私が一番よく知ってる」
日置は困惑した。
ここは、檄を飛ばすのがいいのか、優しく励ますのがいいのか、と。
「いや、先生よ」
「なに?」
「やっぱり言ってくれ」
「・・・」
「いや・・言わねぇでくれ」
「中川さん・・」
「いやっ、言ってくれ!」
「・・・」
「言ってくれ!」
「中川さん」
日置はそう言って中川の肩に手を置いた。
中川は黙ったまま日置を見上げていた。
「はっきり言うけど、6点しか取れなかったのは本多さんとのキャリアの違いだね」
「むっ・・」
「きみは、圧倒的に練習量が劣ってるんだよ」
「仕方ねぇだろがよ」
「そうだ。仕方がない。今ここで、どうすることも出来ない」
「・・・」
「でもさ、きみ」
「なんでぇ」
「まさかこのまま引き下がるつもりじゃないよね」
「え・・」
「僕の買いかぶりなのかな」
「なに言ってやがる」
「命のやり取りで、諦めたらナイフが刺さって終わりなんでしょ?」
「あっ・・あたぼうよ!」
「それなら、頑張らないと。ナイフが刺さっても前に進み続けないと」
「倒れねぇためには、どうすりゃいいんでぇ!」
「岩清水作戦の続行だ」
「それはもう、通用しねぇぜ」
「通用しなくても、それしかない」
「他にねぇのかよ!勝てる方法がよ」
「ないよ」
中川は、間髪入れず否定した日置を、唖然として見た。
そこで日置は中川の肩から手を離した。
「それでも僕は、きみに期待せずにはいられない」
「え・・」
「きみは、絶対にこのまま引き下がったり、諦めたりする子じゃないよ」
「・・・」
「次のセット、今以上に体がよじれるほど悔しさに襲われるだろうけど、そのくらい、きみなら何でもないよね」
「おうよ!」
「じゃ、行っておいで」
日置は肩をポンと叩いて送り出そうとしたが、中川はまだ日置を見ていた。
中川は、1セット目の中盤から「岩清水作戦」を決行したものの、無論、ボールは甘く返ることも多く、本多はそこを徹底的に突いていた。
そう、本多は長いボールや際どいコースは無理をせずにカット打ちで繋いで、少しでも甘く入るとストップをかけては、中川を動かし続けた。
日置の言ったキャリアの差を、中川は嫌というほど突きつけられたのだ。
技術の差を縮めるには、練習するほかない。
中川がどう足掻いても、目の前の本多を倒すことなど無理だった。
中川自身も、そのことを実感していた。
そして、あんなに練習してきたのに、まだまだ、全く足りないんだ、と。
そうさね・・
先生の言う通りだ・・
ナイフが刺さっても・・前に進むしかねぇんだ・・
でもよ・・先生・・
実力は年月に比例するんだろうがよ・・
向こうは中学からの引き抜き・・
こっちはよ・・こないだ始めたばかりの「四カ月ちゃん」だが・・
向こうの四カ月と・・私の四ヶ月・・どっちが上なんでぇ・・
「先生よ」
「なに?」
「本多の四カ月と、私の四ヶ月・・どっちが上なんだ」
「愚問だね」
「なにっ」
「きみに決まってるでしょ」
日置はニッコリと笑った。
「それ、嘘じゃねぇよな」
「当たり前でしょ」
「よーし、わかった!四カ月の根性、見せてやらあ!」
「そうでなくちゃ」
そして中川は向きを変えて、コートへ歩いた―――
その後、2セット目が始まったが、中川はとことん本多にしてやられた。
けれども中川は、どんなに動かされようと、不格好なミスをしようと本多に向かって行った。
「来やがれってんでぇ!」
「ぜってー拾ってやる!」
このように声を出し続ける中川に、本多は嘲笑さえ浮かべていた。
そう、意気込みばかりのど素人が、と。
「中川さん」
試合も大詰めを迎えていた時、本多が中川を呼んだ。
「なんだよ」
中川は本多を睨みつけた。
「そうやって、対戦相手に無礼な言葉を吐く前に、まずは実力をつけることやで」
「なんだと」
「中川さん、めっちゃかっこわるいで」
「・・・」
「まるでケンカの弱いヤンキーが粋がってるんと同じやで」
「おう、そうさね」
「え・・」
「今はナイフが体中に刺さって、とんでもなく不格好だろうぜ」
「ナイフ・・?」
「血が滴り落ち・・歩くのもままならねぇほどにな」
「なに言うてんの・・」
「おうよ!不格好上等だ!バカみてぇに体裁気にしてすっこむよりは、何倍もマシさね!」
「・・・」
「泥にまみれるんでぇ!」
本多は、話しかけるんじゃなかったと後悔していた。
中澤も「本多!とっとと終わらせるんや」と叫んでいた。
副審の重富は、少々、呆れてもいたが、どこまでも立ち向かう中川に、諦めない心を見ていた。
それは森上も同様だった。
中川さんが負けると・・
私が勝たんとあかん・・
私が負けた時点で・・桐花は負ける・・
動け・・私の体・・私の足・・
森上のアップは、ますます動きが激しくなっていた。
そして中川は、最後も本多のスマッシュが拾えずに、21-8と完敗した。
中川は一礼した後、すぐにベンチへ下がった。
「森上、チビ助」
中川は日置の前にすら立たずに、森上と阿部を呼んだ。
二人は黙って中川を見た。
「済まねぇ」
中川は二人に頭を下げた。
「え・・」
「言い訳はしねぇ。完敗だ」
「・・・」
「おめー、ぜってー勝てよ」
中川は森上の胸をポンと叩いた。
「うん~、頑張るぅ」
「恵美ちゃん、しっかりな!」
阿部は、あえて中川には何も言わなかった。
「森上さん、頑張ってな」
そこに、審判を終えて戻った重富も加わった。
日置は四人の様子を黙って見ていた。
「森上よ」
中川が呼んだ。
「なにぃ」
「泥にまみれろよ」
「・・・」
「なんでもいい。とにかく勝て。おめーは、私と違って勝てる力を持ってんだ」
「うん」
「次のダブルスは、ぜってー取る。だよな、チビ助」
中川は阿部を見た。
「当然やん」
「そしてチビ助がシングルも勝って、決勝へ行くんだ。そのためには森上、おめーにかかってんだ」
「うん、わかってるぅ」
「よーし!行って来な!」
中川は森上の胸を叩いて送り出そうとした。
「恵美ちゃん、先生のアドバイス聞いた方がええよ」
阿部は冷静にそう言った。
そして森上は日置の前に立った。
「さて、森上さん」
「はいぃ」
「中川さんの言った通りだよ」
「はいぃ」
「どんな不格好でも構わないから、ボールに食らいつくこと」
「はいぃ」
「それと、相手は裏裏のカットマンだよね。ツッツキじゃなくて、ドライブを打つこと」
「はいぃ」
「きみのドライブは万全じゃなくても威力がある。だから必ず浮いて来る。それをスマッシュね」
「はいぃ」
「焦らず、1本ずつ確実に取って行こう」
「はいぃ」
「じゃ、徹底的に叩きのめしておいで」
そして日置は森上の肩をポンと叩いて送り出した。
「んじゃ、私が審判やってくらぁ」
中川がそう言うと「いや、私がする」と重富が言った。
「重富、おめー、さっきやったじゃねぇか」
「中川さん、次、ダブルスあるやん」
「そうさね」
「アップせんといかんやろ」
「いいってことよ。さっきの試合で、とっくに温まってらぁな」
「いやいや、私がする」
重富はそう言って、コートへ向かった。
「重富、済まねぇ!」
すると重富は振り返ってニッコリと微笑んだ。
そして中川は日置の前に行った。
「先生よ」
「ん?」
「さっきの試合は、済まなかった」
「なに言ってるの」
日置は優しく微笑んだ。
中川の表情は、まだ悔しさがにじみ出ていた。
「よーーし!森上~~!とっととやっちまいな!」
中川は、日置にそれだけ言って、森上に声援を送った。
「恵美ちゃん~~!頑張れ~~!」
阿部も大きな声で、森上を励ましていた。




