137 岩清水作戦
―――ここはロビー。
「もしもし」
早坂は植木に電話をかけていた。
植木はワンコールですぐに出た。
「はい、早坂出版です」
「わしや、わし」
「ああ、編集長。どうしたんですか」
植木は、てっきり印刷会社からの連絡だと思い、気の抜けた返事をした。
「お前、桐花、出とるぞ」
「え・・」
「今、小谷田とやっとる」
「ええっ!ええええ~~」
植木は信じられないといった風に、大声で叫んだ。
「お前、うるさいねん」
「ほっ、ほんまですか!」
「ほんまや」
「えっ・・ということは、四人いてるんですか!」
「当たり前やろ」
「ええええ~~僕も行ってええですか!」
「電話は」
「いや・・まだかかって来てないんですけど・・」
「そうなんや」
「行ったら、あきませんか!」
「まあ、ええわ。今日の試合は生で見た方がええしな」
「電話は、ええんですか」
「後でわしがかける」
「わかりました!ほならすぐに向かいます!」
植木は、けたたましく受話器を置いた。
その音に、早坂は思わず耳の穴をほじくった。
まあ・・重富はど素人やったけど・・
中川や・・あいつはおもろい・・
ス~・・びっくりしよるやろな・・
早坂は、頬を緩ませながらフロアへ戻った。
―――桐花ベンチでは。
中川さん・・すごいなぁ・・
森上は、中川の立ち向かう姿勢に、徐々に触発されつつあった。
中川さんの半分でええから・・
私にもあの強い意思があったらなぁ・・
森上はアップをしながら、何度もジャンプを繰り返していた。
試合は本多が優勢だった。
本多は徹底して中川を動かし続け、最後にミスをするのは中川だった。
くっそ~~
ちょこまかとストップかけやがって・・
もっと打って来いよ!
そう、中川は本多のストップに翻弄されていた。
本多のストップの上手さは、杉裏並みだった。
特に、打つと見せかけてからのストップは、何度も台上でツーバウンドするほどだ。
でもよ・・
これも立派な作戦だ・・
私が拾い切れねぇのが悪いんでぇ・・
うーん、本多ってのは、頭がいいんだな・・
べらぼうに頭脳明晰な岩清水よ・・
おめーなら、どう考える・・
どうやって突破口を開くんでぇ・・
「中川さん!タイム取って」
日置が叫んだ。
「ちょっと待ってくれ。今、考えてんだよ!」
中川は振り返ってそう答えた。
「タイムを取るんだ!」
日置は中川の「わがまま」を許さなかった。
中川は「ったくよー、しょうがねぇな」とこぼしながら、タイムを取った。
そして不満げに日置の前に立った。
「なんだよ」
「ここで挽回しないと、このセットは取られて終わりだよ」
現在、カウントは13-5と、本多が大きくリードしていた。
「だから、今、それを考えてるところなんだよ。挽回する方法をよ!」
「どんな考えなの?」
「本多は頭がいい。あいつは常に私の裏をかいて来る。それをどうにかしねぇとな」
「きみ、本多さんを過大評価し過ぎなんじゃないの」
「え・・」
日置の意外な言葉に、中川は唖然とした。
過大評価などではない、と。
先生も観てただろ、と。
「よく考えてみて。きみの送るコース、殆どが中途半端なところばかり。つまり、ストップがかけやすいコースばかり。その逆も然り。とても打ちやすいコースだよ」
「だったら、どうすりゃいいんでぇ」
「ボールは深いところ。コースは際どいところ」
「ほーう」
「それを徹底すれば、そう簡単にはストップも上手く決まらない。かけたつもりでも単なるツッツキになる」
「なるほど」
「そしてラリーが続く。そうなると本多さんに焦りが出る。打って決めないと、という焦りね」
「おう」
「焦るとミスが出る。きみはそこを突くんだよ」
「どういうことでぇ」
「徹底的に拾いまくるんだよ。打てるものなら打ってみろってね」
「・・・」
「今はきみが動かされているけど、きみが本多さんを動かすんだよ」
おいおい・・先生よ・・
おめー、いつから岩清水になったんでぇ・・
よく思いついたな・・
そうか・・
私が本多を動かすんだ・・
「よーーし!その岩清水作戦、気に入ったぜ!」
「あはは」
「また笑ってやがるな」
「なんだよ、それ」
日置は「命名」が面白いと思った。
「名付けて岩清水作戦さね!」
「気に入ったなら、きみはやるよね」
「あたぼうよ!」
「じゃ、岩清水作戦で、まずは挽回だよ」
「おうよ!」
そして中川はコートに向かった。
「先生」
阿部が呼んだ。
「なに?」
「中川さん、意固地に見えますけど、今ので先生のこと、すごいと思たんとちゃいますかね」
「僕はどう思われようと、別に構わないよ」
「え・・」
「選手自身が考え出したことで、それが作戦として適切であれば言うことはないし、間違っていれば指摘する。それだけのことだよ」
「・・・」
「迷っていればアドバイスもするし、道を照らすこともする。それが監督としての務めだと思うよ」
阿部は思った。
日置の選手に対するメンタルコントロールはうまい、と。
けして強制せずに、選手を納得させて軌道修正させる。
卓球日誌にも書いてあった。
選手自身で考えさせることが、なにより大事であり、それが成長なのだ、と。
―――小谷田ベンチでは。
「ええか、本多」
本多は中澤の前に立っていた。
「はい」
「今のでええ。もう中川はお前のストップは取れん」
「はい」
「このセットはこっちのもんや。それで、次のセットも同じ作戦で行くんやぞ」
「はい」
「お前が勝ったら、うちは勝ったようなもんや」
「はいっ」
「よし、行って来い!」
そして本多もコートに戻った。
「よう、本多よ」
中川が呼んだ。
本多は黙ったまま、中川を見た。
「ただいまより、岩清水作戦を開始する!覚悟しな」
「は・・?」
本多は目が点になっていた。
中川さん・・なに言ってるの・・
日置は、作戦を自らバラしたことに呆れていた。
「フフフ・・」
「なによ、岩清水作戦て」
本多は、少しだけ不気味に思ったが、さして気にも留めなかった。
「爆弾が本物か・・偽物か・・おめー、どっちを信じるんでぇ」
「爆弾?」
『愛と誠』の作中では、太賀誠が砂土谷峻との戦いで、爆弾を作ったことがあった。
それが本物か偽物か、真偽が定かでない時点で、本物という信憑性を持たせるため、頭脳明晰な岩清水が協力者だと誠は偽りを言う。
中川はそのことを言った。
「そうさね」
「審判、試合再開させて」
本多は呆れて、主審の中原にそう要求した。
「中川さん、サーブ出してください」
「わかってらぁな」
副審である重富は、岩清水作戦なるものが、何であるかはわからなかったが、中川のことだ、タダでは転ばないと期待で胸が膨らんでいた。
そして「中川さん、頑張れ」と、心の中で声援を送っていた。
中川は「1本だぜっ!」言って、サーブを出す構えに入った。
「中川さん!挽回!」
「しっかりぃ~中川さぁん~」
阿部も森上も声援を送っていた。
そして中川は下回転のロングサーブを出した。
本多はそれを軽くカット打ちで返した。
バックに入ったボールを、中川は、なんなくカットで返した。
これは日置に指摘された通りの、とても深いところでバウンドした。
よしよし・・これでいいんだな・・
本多は再びカット打ちで返球した。
中川は、このボールも次のボールも、深いとろこへ丁寧にカットし続けた。
そしてカット打ちとカットのラリーが何球か続いた時だった。
本多が打つと見せかけてからのストップをかけた。
が、しかし、甘いストップになった。
ボールは少しだけ高く上がり、中川のコートの真ん中あたりでバウンドした。
おいでなすったぜ~~~!
チャンスボールと見た中川は、前に走り寄り、思い切りスマッシュを打った。
パシーン!
フォアへ入ったボールは、誰もが決まったと思った。
けれども本多は懸命に追いつき、ラケットにあてて返した。
慌てた中川は、もう一度打ちに出た。
今度はバックコースだ。
けれども中川のスマッシュは、万全ではなかった。
そして本多はなんと回り込み、カウンターでフォアストレートに返した。
中川はボールを見送るしか出来なかった。
「サーよし!」
本多は力強くガッツポーズをした。
「中川!」
日置が怒鳴った。
中川は黙って振り向いた。
「きみはカットマンだろう!ボールに食らいつけよ!」
「・・・」
「なにを諦めてるんだ!作戦続行だ!」
くそっ・・
ぜってー拾ってやる・・
ん・・
ちょっと待てよ・・
二回連続で打ったのがいけなかったんじゃねぇのか・・
フォアへのスマッシュの後、返されたボールは・・カットすべきだったんじゃねぇのか・・
なぜなら・・二度めの攻撃は・・無理があった・・
挙句、本多にカウンターで返された・・
先生・・言ってたよな・・
小谷田は、返すだけじゃ勝てないチームだと・・
なるほどさね・・
っていうか・・なに今頃、気が付いてんでぇ・・
よーーし、徹底的に拾いまくってやるぜ!
「先生よ!任せな!」
中川はそう言って、コートへ向きを変えた。




