133 中川以上の「変人」
ベンチに戻った中川に、日置は「ナイスゲームだったよ」としか言わなかった。
桐谷を発奮させた意図は量り兼ねていたが、中川が徹底的に叩きのめしたのは事実。
なにか考えがあったのだろうと、あえて訊くことはなかった。
「先生よ」
中川が呼んだ。
「なに?」
「重富のことなんだが、ちょっと私に考えがあってよ」
「どんな?」
「おい、重富、こっち来い」
中川は重富に手招きをした。
重富は、椅子からゆっくりと立ち上がり、肩を揺らして日置と中川の元へ行った。
「フフ・・おめー、徹底してんな」
中川は、重富の歩き方を言った。
「せ・・せやけど・・いつまで持つか・・」
「いいか、重富。よく聞け」
「うん」
「3本練習、あんだろ」
「うん」
「おめー、1本も打つな」
「え・・」
「打てば、その時点でなにもかも、お釈迦だ」
「ほなら・・どうしたらええん・・?」
「おう、それさね」
そして中川は小声で「作戦」を話した。
重富は、うんうんと頷きながら真剣に聞いていた。
日置も、なかなか面白いな、と思いながら聞いていた。
阿部と森上は、考えも及ばないその「作戦」に、驚いていた。
「でよ、試合が始まって、おめー、1点取ったとするだろ」
「うん」
「そしたら、こうしな」
そこで中川は、どのような動きで「サーよし」と言うのかの説明をした。
「え・・片足上げて・・えっ、なんて?」
「だからよ・・こうするんでぇ」
中川は再び説明をした。
「いいな。おめーの正体がバレちまったらしょうがねぇ。その後は好きにやんな。それまでは威嚇あるのみ!」
「うん、わかった」
「演技人としてのおめーに、モーレツに期待してるぜ」
そこで日置は、バッグからラケットを取り出し、重富に渡した。
「なにっ!」
中川は、板のラケットを見て驚いていた。
「先生よ・・これはいけねぇ・・いけねぇぜ・・」
「え?」
「ああ。わかるぜ。わかるんだが、いくらなんでもルール違反は、人の道に外れてやしねぇか・・」
中川は、まさか板のラケットが使えるとは思いもしなかった。
そこで日置は、少しからかってみようと思った。
「僕は、勝つためならなんでもする」
「いけねぇ・・それはお天道様が許さねぇぜ・・」
『卓球日誌』を熟読している阿部は、日置がわざとそう言ってるのがわかった。
それもそのはず、昨年の山戸辺戦で、芦田という選手は板を使っていたことが克明に書かれていたからである。
ルール違反でもなんでもないのだ。
「お天道様が許さなくても、僕は許す」
「かぁ~~・・おい、チビ助、なんとか言ってやんな」
「あのさ、板も認めてられるんやで」
阿部は「クスッ」と笑った。
「え・・」
「板の選手もいてるんやで」
「まっ・・えっ・・」
「あはは、慌ててる中川さん見るん、初めてやな」
「なにーーっ。おい、先生よ」
「なに?」
「私をからかいやがったな」
「あはは」
「かぁ~~、笑ってんじゃねぇよ。ったくよー」
「さて、重富さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「さっきも言ったけど、勝敗はまったく気にしなくていい。気楽にやればいいよ」
「はい」
「頑張れ、影の大番長」
日置は重富の肩をポンと叩いた。
「はいっ」
「とみちゃん、頑張ってな!」
「とみちゃぁ~ん、ファイトぉ~」
そして重富は向きを変えたとたん、前方で待っている長野を睨んだ。
重富は、肩で風を切ってゆっくりとコートへ向かった。
―――本部席では。
「桐花はどうですか」
三善が皆藤に訊いた。
「阿部くんは、この半年でとても成長してますし、中川くんも、なかなかのものです」
「おお、じゃ、手強いですか」
「まさか」
皆藤は突き放すように言った。
「え・・」
「所詮、並の選手でしかありません。うちの敵ではないです」
「やはり、そうですよね」
三善は的外れなことを言ったと、苦笑した。
「でも、ラストのあの子。板ですね」
「ああ・・そうですね」
「それにしても、あの歩き方・・あれはなんなのでしょうね」
「うーん・・」
「日置くんは、一体、何を考えているんでしょうか」
―――そしてコートでは。
「3本練習」
主審の大下が言った。
副審には中川が着いていた。
ボールを受け取った長野は、恐る恐るサーブを出した。
それを重富は「ほーう」と言いながら見送った。
長野は、なぜ打たないんだ、と呆気に取られていた。
板ラケットなんて・・初めてやのに・・打ってくれんと・・わからんやん・・
「フフフ・・」
重富は不敵な笑みを浮かべた。
「え・・」
「おめーのボール・・こんなもんか」
「・・・」
「ほれ、出しな」
重富はそう言って、ボールを長野に投げた。
そう、重富はサーブを出せないのである。
いや、この時点では出してはいけないのである。
そして長野は2本目を出した。
「フフフ・・」
重富は、またボールを見送って笑った。
「な・・なんで・・打たへんの・・」
長野は恐る恐る訊いた。
「さあ・・な・・」
重富はボールを拾って、長野に投げた。
長野は3本目を出した。
それも、重富は見送った。
「よし。おめーの力はもう見切ったぜ・・フフ・・」
「・・・」
「私がどんな打ち方をするのか・・楽しみにしてな」
「え・・」
「さあ、ゲームの始まりだ!」
重富は、とりあえず自分なりに構えようとした。
「ジャンケンしてください」
大下は、半ば呆気にとられながらも、そう促した。
重富は驚いて、動きが止まった。
え・・今から始まるんとちゃうん・・
しまった・・これはジャンケンした後に言うんやった・・
「お・・おおぅ・・やってやろうじゃねぇか」
重富は何とか気を取り直した。
そしてジャンケンに勝った重富は、「コートだ」と言った。
サーブを選択すると、すぐにばれてしまうのだ。
「ラブオール」
大下が試合開始を告げた。
そして長野はサーブを出す構えに入った。
ど・・どんな打ち方するんやろ・・
なんか・・見たこともない構えしてるし・・
予想もつかんわ・・
そう、重富の構えは、右腕を高く挙げ、まるで羽根突きをするかのような格好だった。
これは、重富の「オリジナル」だった。
「重富さん」
日置が呼んだ。
重富は黙って振り向いた。
「ラケット、少し下げようか」
重富は日置の言う通り、少し下げた。
「もう少し」
そして重富は、腰の上あたりまで下げた。
「うん、そこね」
重富は、うんと頷いて向きを変えた。
そして長野はサーブを出した。
これも、平凡すぎるくらい平凡な下回転のサーブだった。
重富は、なんとかラケットにあてた。
カッコーン
板独特の音が鳴った。
ラケットの面が上向きになっている重富のボールは、なんとも緩くて高い返球になった。
日置は思わず「おおっ」と言った。
そう、返したぞ、と。
フラフラと、落ちる位置を迷っているかのようなボールは、長野のミドル中心あたりでバウンドした。
なんやねん・・このボール・・
長野は不安に思いながら、ラケットを振った。
けれども、なんと空振りをしてしまったのだ。
重富は一瞬、我が目を疑ったが、直ぐに「サーよしっ!」と言いながら、左手の人差し指で長野を指して、踊るようにステップを踏みながら、スススーッと後ずさりした。
これを見て笑ったのが早坂であり、三神の関根であった。
早坂は、唖然としつつも「中川以上のんがおった・・」と呟いていた。
一方で関根は「あの子、おもろいわぁ」と言いつつも、重富が全くの素人であることを、すっかり見抜いていた。
それは他のメンバーも同じだった。
そして皆藤と同様、「桐花はうちの敵ではない」ということも、確信していた。




