130 苦肉の策
森上は最後もドライブを決め、2-0で佐久間に完勝した。
「森上さん、調子はどう?」
日置が訊いた。
「はいぃ・・なんとなくぅ・・戻って来た感じがしますぅ」
「そっか。うん」
日置は優しく微笑んだ。
けれども日置は、まだまだ本調子でないことはわかっていた。
日置は思っていた。
今大会は不調に終わっても、それでいい、と。
あくまでも本番は、来年の予選だなのだ、と。
とはいえ、不調であっても、今出来得る限りで全力を尽くす。
そして決勝で三神に挑むんだ、と。
「さて、阿部さん」
阿部は日置の前に立っていた。
「はいっ」
「今のきみなら、絶対に勝てるよ」
「はいっ」
「きみの武器は速攻。早めに勝負に出て相手に付け入る隙を与えないこと」
「はいっ」
「よし、徹底的に叩きのめしておいで」
日置はそう言って阿部の肩をポンと叩いた。
「チビ助、勝てよ」
中川が言った。
「わかってる」
「おーし、行って来い!」
「中川さん・・」
日置が小声で呼んだ。
「なんでぇ」
中川は日置を見上げた。
「きみ、今日は早乙女愛なんだよね」
「ああっ」
中川は「全力を、お尽くしになって!」と大きな声で言い直した。
阿部はニコッと笑って、コートへ向かった。
そして審判には森上が着いた。
重富は相変わらず、ふんぞり返って座ったままだった。
―――花園南ベンチでは。
「なあ・・あの重富さんなんやけど・・」
ラストで重富と対戦する長野が口を開いた。
「どしたん?」
佐久間が答えた。
「ずっと座ったままで、審判もせぇへんやん・・」
「そやな・・」
「あれなんかな・・特別扱いっていうか・・」
「確かにそうかも。しかもあの座り方やのに・・監督も他の子も何も言わへんしな・・」
「なんか・・私、怖いわあ・・」
「大丈夫やって」
「ほんで・・私のこと、時々睨むねん・・」
「平気、平気」
そこで重富は突然、立ち上がった。
「いやっ・・立ったわ・・」
長野は重富から目が離せないでいた。
そして重富は頭からタオルを外し、長野を睨んだ。
「ほらぁ・・めっちゃ睨んでくる・・」
「だ・・大丈夫やって・・」
佐久間も不気味に思っていた。
その実、重富の行動は中川の指示によるものだった。
「おめー、立ち上がってあいつを睨みな」
中川は重富の横でアップをしながら、こう呟いていた。
そう、話しかけるそぶりではなく。
「え・・」
重富も中川を見ずに答えた。
「んでよ、タオルを外して睨むんだ」
「わかった・・」
と・・このような「策」がとられていたのである。
そんな二人を日置も見ていた。
否が応でもラストで重富さんは試合をする・・
そうなると・・3本練習の時点で化けの皮が剥がれる・・
せっかく影の大番長として参加してくれてるのに・・
それだと、あまりにもかわいそうだ・・
コートでは、阿部は順調だった。
そもそも花園南のメンバーは、全員が裏ペンだった。
阿部のナックルを混ぜた速い攻撃に、大下は成す術もなかった。
「よろしくてよ~よろしくてよ~」
中川の声援に、日置はクスクスと笑っていた。
「先生よ、なに笑ってやがんでぇ」
「いや・・ごめん・・ププ」
「私は真剣に愛お嬢さんやってんだ。笑うこたぁねぇだろ」
「うん、きみの言う通りだね」
「それにしてもよ、チビ助、絶好調じゃねぇか」
「あの程度の相手には、勝って当然だよ」
「おおっ、先生、強気だな」
「勝てる相手には、絶対に勝つこと。それは、きみもだよ」
「わかってらぁな」
そして阿部は、あっという間に1セットを取った。
「阿部さん、今のでいいよ」
ベンチに下がった阿部は、日置の前に立った。
「はいっ」
「チビ助、おめー、やるじゃねぇか」
中川は阿部の肩をパンパンと叩いていた。
阿部はニッコリと笑った。
「阿部さん、次のセットも、今の調子でね」
「はいっ」
「よし、行っておいで」
日置は阿部の肩をポンと叩いて送り出した。
「さて・・中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「阿部さんの試合は、きみに任せるね」
「え・・」
「僕、重富さんを連れて外に出るから」
「どこへ行くんでぇ」
「すぐに戻るよ」
日置はそう言って「重富さん」と呼んだ。
重富は黙って日置を見上げた。
「ちょっと、外に出ようか」
「え・・」
「僕に着いて来て」
そして日置はバッグを持ち、重富を連れてロビーに向かった。
「先生・・どこへ行くんですか・・」
重富は日置の後ろを歩きながら訊いた。
「うん、ちょっとね」
そして二人はロビーに出て、日置はそのまま外へ向かった。
重富は、一体何事だと不安に思った。
もしや、これまでの「生意気」な態度で、叱りを受けるのでは、とも思った。
日置は人気の少ないところまで歩き、「重富さん」と呼んだ。
「はい・・」
「きみが試合に出ると、すぐに素人だとバレるよね」
「はい・・」
「そこでなんだけど」
日置はバッグから自らのラケットを取り出した。
そして驚いたことに、なんとラバーをビリビリと剥したではないか。
「先生・・なにやってはるんですか・・」
「これね、板だよね」
「はい・・」
「きみには、これを使ってもらうよ」
「え・・これって、違反やないんですか」
「ううん。板を使ってる選手も、多くはないけどいるんだよ」
「へぇー」
「これ、持ってみて」
日置は重富にラケットを渡した。
「そして、こうやって握るの」
日置は正しい持ち方を教えた。
「でもね、持ちにくかったらそうしなくてもいいよ」
「え・・」
「きみの打ちやすい持ち方でいいから」
「打つ・・いうたかて・・」
「正しい振りじゃなくてもいい。とにかく相手コートに返すこと」
「あの・・これって、羽子板みたいなもんですか」
「ああ・・まあ、そうだね」
「私、羽根突き得意なんです」
「おお、それはいいね」
「羽根突きの要領やと思えばええですか」
「うん。相手コートに入りさえすれば、ミスじゃないからね」
「わかりました」
日置の考えはこうだ。
なまじラバーが着いていると、ボールの変化に対応できない。
ましてや重富のような素人ではなおさらだ。
そこで日置は、変化に強い板なら、少しは返せるだろう、と。
これが小谷田や三神が相手なら、愚策も甚だしいが、花園レベルなら、ある程度は通用するのではないか、と。
無論、重富はサーブもレシーブもできない。
たとえ、レシーブを返せても、チャンスボールになるはずだ。
けれども花園の選手は、重富を謎の秘密兵器だと勘違いしている。
せめて、出だしだけでも誤魔化せるのではないだろうか、と。
「いいかい、重富さん」
「はい」
「試合は負けてもいいし、どんなみっともないミスをしたっていい」
「・・・」
「そのうち、相手はきみの正体がわかって、バカにするかもしれない」
「・・・」
「でも、まったく気にしなくていいからね」
「はい・・」
「きみが参加してくれたおかげで、あの子たちは試合に出ることができた」
「・・・」
「だからね、僕は、きみにもこのまま引き下がってほしくないんだよ」
「・・・」
「コートに着いたら大暴れするといい」
「大暴れ・・」
「いや、ほんとに暴れるんじゃないよ」
「あはは、わかってます」
そう、日置は、素人の重富が、どんな目でみんなから見られるのかがわかっていた。
もしかすると、とても傷つくかもしれない。
日置は重富に、そんな思いをさせたくなかった。
だから、せめてもの、苦肉の策だったのである。
そして二人がコートに戻った頃には、阿部は20-3とリードし、ラストを迎えていた。
「どこ行ってたんでぇ」
中川が日置に訊いた。
重富は、そのままふんぞり返って椅子に座った。
「後でわかるよ」
日置はニッコリと微笑んだ。
「サーよし!」
最後もスマッシュを決めた阿部が、ガッツボーズをした。




