13 部の存続
―――「なあ、恵美ちゃん」
翌日の昼休み、教室で阿部が森上の席へ行き、声をかけた。
「なにぃ」
「下迫さんが、言うとったんやけどな」
下迫とは、同じクラスの女子である。
「下迫さん、昨日、帰りがけに職員室の前を通ったら、加賀見先生の声が聴こえたらしいねん」
「へえぇ」
「なんかな、あんまり詳しくわからんみたいやけど、小屋が無駄や、とか言うとったらしいねん」
「そうなんやぁ」
「どうも、職員会議やったみたいやで」
「ああ~・・それで日置先生はぁ、小屋に来れんかったんかぁ」
「うん、そうみたい」
「小屋が無駄てぇ、どういうことなんやろなぁ」
「ほら、卓球部って、誰もいてないやん。使ってないってことなんちゃう?」
「それやったらぁ、先生、困りはるなぁ」
「恵美ちゃん、どうするん?」
「私なぁ、先生に助けられたやぁん。小屋が使われへんようになったらぁ、気の毒やと思うねぇん」
「ほな、放課後、また行ってみる?」
「そやなぁ」
こうして二人は、放課後、小屋へ行くことを決めた。
その頃、加賀見は一人で小屋に入っていた。
まったく・・こんな広さがあるのに・・
加賀見は中をウロウロしながら、なんとか使う方法がないものかと考えていた。
物置小屋はあるし・・うーん・・
そうか・・私が新しい部を作ればいいんやわ・・
まずは、この卓球台を利用して・・
そうやな・・
テーブルマナー部って、どうやろ・・
この時代、女子高というのは往々にして、卒業後のことを考え、社会に出て恥をかかないように、テーブルマナーを習うことがある。
加賀見は、そのことを思った。
そうやわ・・女子なんやし、きっと興味を持つ子たちがいてるわ・・
そこで加賀見は、部室も開けてみた。
そこには、籠に入ったたくさんのボールや、かつて、彼女らの上級生が使い古した「置き土産」のラケット、蒲内が書いた「卓球日誌」、コップやお茶の葉、やかん、などが置かれてあった。
まあ・・こんなにたくさん・・
これは全て物置に移動させて・・
ここに、お皿やナイフやフォークを置けばいいわね・・
よし、職員会議で提案する・・
―――そしてこの日の放課後、また職員会議が始まった。
「昨日、考えましたんですが、私は新しい部を作り、あの小屋を使用します」
「それは何部ですか」
校長の工藤が訊いた。
「テーブルマナー部です」
すると他の教師から「テーブルマナー部やて・・」と囁く声が挙がった。
「具体的には、どうされるのですか」
「卓球台をテーブルに見立て、そこでマナーを教えるのです」
「とはいってもですね、料理はどうされるのですか」
「家庭科室で作ります」
「それを、わざわざ小屋へ運ぶ、と」
「そうです」
「それならば、教室でよくありませんか?」
「教室の机だと、小さすぎるんです。卓球台だと広いですし、隣との間隔もとれます。そこにクロスを敷いてですね、お皿やフォークやナイフを並べて、食事をします」
「加賀見先生、マナーの心得はおありですか」
「当然です」
実際、加賀見はマナーに長けていた。
「それとですね、着付けも教えます」
「ほう、和服ですか」
「我が校は、女子高です。社会に出た時、一人前の女性として恥をかかないように教えておくべきかと」
「すると、テーブルマナーと着付け部、ということになりますか」
「仰る通りです」
「先生方、ご意見があればどうぞ」
「はい」
古文担当の小谷が手を挙げた。
ベテランの女性教師だ。
「私はいいと思いますよ」
小谷がそう言うと、加賀見はどうだと言わんばかりに日置を見た。
「それはどうしてですか」
「確かに卓球部は、我が校始まって以来の見事な成績を収めました。私としても、廃部になるのは心苦しいです。けれども、日置先生の指導方法は、教育の一環から外れていると感じます。なぜなら、教育と言うのは「勝つ」「強い」が全てではないからです。いわば、先生の方針によって部員がいないわけです。よって、小屋は加賀谷先生の言われるように使用することに賛成です」
「そうですか。他の方は?」
「はい」
堤が手を挙げた。
「どうぞ」
「昨日も申しましたが、まだ五月ですよ。それに日置くんならば、一旦入部を認めたからには、必ず全国へ向けて尽力されることは間違いないです。小谷先生は、「勝つ」「強い」が全てではないと仰いましたが、いかにして選手を育てるか、いかにして勝たせるか、というのは立派な教育です。そこから得るものは、こう言ってはなんですが、テーブルマナーや着付けなどと比較になりませんよ。それらは卒業してから習う機会はいくらでもあります。けれども、一つの目標に向かって頑張り続ける、苦しくても乗り越える、これは机で習う教育とは別の意味があります。それは、今しかできないんです。よって、僕は、加賀見先生の意見には反対です」
「わかりました。他の方は?」
工藤がそう言うと、数名の教師が「賛成、反対」の意見を述べたが、結局、結論には至らなかった。
「日置先生、どうですか」
工藤が訊いた。
「僕は、昨日申し上げた通りです」
日置は、それしか言わなかった。
ガラガラ・・
そこで職員室の扉が開いた。
教師らは、一斉に入口を見た。
「あのぅ・・」
そう、そこに立っていたのは、森上と阿部だった。
彼女らは、会議の内容を外で聞いていたのだ。
「森上さん!今は会議中ですよ!」
加賀見が叱った。
「先生、いいですから」
工藤がたしなめた。
「きみたち、今は会議中なんですが、なにか急用でもあるのですか?」
「えっとぉ・・私ぃ、卓球部に入ろうと思てるんですけどぉ」
そこで日置は、思わず立ち上がった。
「ほう、入部希望者ですか」
工藤は安心したようにそう言った。
「はいぃ・・」
「日置先生、この子は、こう言ってますが、どうされますか」
「もちろん、認めます!」
「そうですか。認めるならば部は存続ですね」
すると加賀見は、悔しそうに日置を睨んでいた。
日置は、やっと森上を教えられることで、目の前が明るくなる気がしていた。
「では、小屋の件は、卓球部が使用するという結論でよろしいですね」
工藤がそう言うと、加賀見以外の者は異論がなかった。
「あの!」
加賀見が立ち上がった。
「なんですか」
工藤は少々、うんざりした様子だ。
「部員って、たった一人なんですよね」
「そうですが」
「一人で・・あんな広い小屋を独占するなんて、横暴じゃありません?」
「一人でも立派な部員ですよ」
「それなら・・以前のように、体育館の隅でいいんじゃありません?」
「先生」
日置が口を開いた。
「なんですか」
「あなたは知らないだろうけど、卓球は狭くてはできないスポーツなんですよ」
「だって、台の前で打つだけでしょう?」
「それは卓球じゃありません」
「なっ・・」
「よかったら、一度見学に来ませんか」
「なっ・・なんで私が・・」
「見れば、あの小屋でも狭いと思われますよ」
「あの・・じゃあ、こうすればいいんじゃないでしょうか」
加賀見は、なかなか引き下がらなかった。
「なんですか」
工藤が訊いた。
「私の部と、交代で使うのはどうですか」
「私の部・・って、まだ作ってもないじゃないですか」
工藤は呆れて、少し笑っていた。
「加賀見先生」
そこで、数学担当の東原が口を開いた。
東原もベテランの女性教師だ。
「なんですか」
「私はあなたの意見に賛成でしたが、それは部員がいないことが前提です。けれども、たった今、入部希望者がそこに来たではありませんか」
「・・・」
「希望者がいる限り、あなたの新しい部、とやらは、まだ始動すらしてないんですよ。それを交代で使わせろというのは、甚だ無理筋ですよ」
「・・・」
「あなたね、意気込みは買いますが、ちょっと勇み足が過ぎますよ。交代で使いたいと仰るなら、部を立ち上げて「それなり」の活動をしてからでないとね。こう言ってはなんですが、あなたは部を立ち上げる前に、クラスの生徒に目を向けなさい」
東原の言い分は、いじめのことと、もう一つ別の意味を持っていた。
「あなた、ご存じですか?」
「え・・」
「あなたのクラスの、中尾さんと木元さんと石川さんね。妙な連中と付き合ってますよ」
「え・・妙って・・」
「他校の男子生徒です」
「えっ」
「昨日、たまたま天王寺で見かけたんですよ。あれは不良です」
「そ・・そんな・・」
「話を訊いた方がいいですよ」
そこで加賀見は唖然としたまま、席に着いた。
そして職員会議は終わった。
すぐに工藤が、東原と加賀見を校長室に呼び寄せた。
「東原先生、さきほどの話、詳しく聞かせてもらえませんか」
工藤はソファに座って、そう切り出した。
東原と加賀見は、工藤の正面に座った。
「あれは確か南仁和高校の生徒でしたね」
「そうですか、それで?」
「相手も三人、そして中尾さんたち三人で、喫茶店へ入って行きましてね」
「ほう」
「男子生徒の服装は、いわゆる不良です。髪も茶色に染めてましてね、鞄もペチャンコでした」
「なるほど」
「私は彼らが出てくるのを待って、声をかけようと思っていたのですが、これが一向に出てきませんで」
「・・・」
「で、私は店の中に入ったんです。そしたらですね、彼らの姿はなく、他の客も不良ばかりで、喫煙していました」
「中尾さんたちは、どこへ?」
「さあ、それはわかりません」
「うーん・・これは厄介ですね」
その実、この店は、表向きは喫茶店だが、店の二階に「交流」する部屋があり、中尾らと男子高校生は、そこにいたのだ。
その部屋は、喫煙はもちろんのこと、酒を飲むという、いかがわしいことに使用されていた。
中尾らは、根っからの不良ではなく、単なる興味本位で着いて行ったのだが、いじめを知られ、いわば、何もすることがなくなった中尾らは、「外」に目を向けたというわけだ。
けれども今なら引き返せる状況だ。
このまま放置しておくと、取り返しがつかなくなる。
その意味で、東原が目撃したのは幸いと言える。
「加賀見先生」
工藤が呼んだ。
「は・・はい」
「明日、中尾さんたち三人に、話を訊きなさい」
「わかりました・・」
加賀見は、テーブルマナーどころではなくなった。
と同時に、厄介なことをしでかしてくれたもんだと、中尾らを疎ましく思うのであった。




