129 半分の力
―――「なんやねん、あれ」
第3コートに近い場所で観ていた早坂は、植木から聞いた話と全く違うことに唖然としていた。
ス~の言うとった森上て・・ほんまにこの森上なんか・・?
ドライブ・・全く打ってへんやないか・・
いやいや・・監督は日置や・・
これは作戦・・
ちゃう・・
日置やったら・・どんな相手であろうと、コテンパに叩き潰すはずや・・
せやけど日置・・相変わらずニココニしとるしな・・
まさか・・手を抜くやなんてこと・・
早坂のみならず、皆藤も中澤も日下部も、森上は手を抜いているのでは、との疑いを持つほどだった。
なぜなら、それ以外にこの戦法の意味を見いだせないからだ。
それは、三神の選手らも同じだった。
彼女らは森上対策のため、大学にまで通い続け、男子のボールを受けてきた。
「なあ・・森上さんて・・」
福田が口を開いた。
彼女ら三神のメンバーは、フロアの隅で森上の試合を観ていた。
「うん、あれ、なんなん」
菅原が答えた。
「遊んでるようにしか見えへんな」
馬場もそう言った。
「須藤ちゃんは、どう思う?」
関根が訊いた。
須藤は、六月の大会で森上と対戦し、完勝していた。
「一回戦やから、様子見なんちゃうかな」
「様子見言うたら、せめて1セットの前半だけやで。普通は」
馬場が言った。
「まあ、私らが気にすることでもないよ」
須藤は、例え森上が万全で挑んできたとしても、絶対に叩きのめすつもりでいた。
それは他の者も同じだった。
「せやけどさぁ・・ベンチで座ってる子・・なんか妙やよね」
関根が「クスッ」と笑った。
「あんな態度、考えられへんわ」
チーム内でも、一番真面目な菅原は、重富を軽蔑していた。
「私、森上さんより、あの子がどんな試合をするんかが、楽しみやわぁ」
関根は、森上より重富に興味津々だった。
―――コートでは。
たった今、第2セットが始まった。
佐久間は、「このセットは打つな」と浅田から指示を受けていた。
粘って、森上にミスをさせる策に出たのだ。
佐久間は浅田の指示通り、簡単な下回転のサーブを出した。
森上は、バックに入ったボールをツッツキで返した。
佐久間もそれをツッッキで返した。
と、このように、またツッッキの応酬が繰り返された。
どこで・・打とかな・・
ドライブ・・ドライブ・・
ミスしてもええと・・先生は言うてはった・・
こんな風に考えながら、森上はツッツいていた。
ツッツキだけでええねや・・
焦ったらあかん・・
方や佐久間は、どこまでも粘ろうと考えていた。
そして延々と続いたツッッキのラリーは、森上がネットミスをした。
「サーよし!」
佐久間はガッツポーズをした。
「よーーし、ええぞ~~!」
浅田も拍手を送っていた。
「森上さん、どんまいだよ」
日置はニコニコと笑いながら、うんうんと頷いていた。
「はいぃ・・どんまいぃ~」
主審の桐谷は、館内の時計に目をやった。
そう、促進ルールを考えて、時間を確認したのだ。
不思議に思った中川も、時計を見た。
なんでぇ・・こいつ・・
用事でもあんのかよ・・
「中川さん」
桐谷が呼んだ。
「なにかしら」
中川は、しおらしく答えた。
「今から十五分、時計を確認してください」
「え・・」
「このままやと、促進に入る可能性がありますので」
そこで中川は、森上を見た。
森上は「あっ」という表情を見せ、「すみませぇん・・タイムお願いしますぅ」と言って、中川を連れてベンチに下がった。
「森上よ、なんだってんでぇ」
「あのぅ・・促進に入るかもてぇ・・」
森上は日置に言った。
「なるほど。今のままだとそうなるね」
「促進って、なんでぇ」
「森上さん」
日置が呼んだ。
「促進に入ると、13本以内に決めなければならないから、向こうも不利だけど、きみも不利になる」
「はいぃ・・」
「だから、ここは打ちに出よう」
「はいぃ・・」
「思い切って打ってごらん」
「そうだぜ、森上。おめー打てよ」
「うん~・・」
「促進だかなんだか知らねぇが、そんなめんどくせーもん、私はごめんだぜ」
「中川さん」
阿部が呼んだ。
「促進のことは、あとで私が教えたる」
「おう、そうしてくんな」
「じゃ、森上さん、いいね」
日置は森上の肩に手を置いた。
「はいぃ」
「森上、あんな佐久間みてぇな弱っちいやつ、さっさと料理しな」
「わかってるぅ・・」
「でないと、おめーのタレ目を、吊り目に変えてやんぞ。セロテープ貼ってな」
日置は思わずクスッと笑った。
「セロテープてぇ・・あはは」
森上も笑っていた。
「よーし、徹底的に叩きのめしな」
中川は森上を連れてコートへ戻った。
「お時間、取らせまして、申し訳ございません」
中川は、しおらしく桐谷にそう言った。
「いいえ」
桐谷は優しく微笑んだ。
監督の浅田は、「綺麗だ・・」と思わず呟いていた。
そして試合が再開された。
カウントは、1-0で佐久間がリードしている。
佐久間は、促進に持ち込むべく、またツッツキを繰り返した。
よし・・打つ・・
打たんと・・促進に入る・・
ようやく森上は、ドライブを放つ覚悟が決まった。
そして佐久間がフォアへボールを送った時であった。
森上は、大きな体を右後方へ捻り、右腕を下した。
そしてそのまま、腕を振り上げてボールを擦った。
ビュッ
まるで音が聴こえそうな振りと共に、ボールはフォアクロスへ叩きつけられた。
佐久間は、夢でも見ているかのように、その場で呆然と立ち尽くしていた。
「サーよし」
森上の低い声が、佐久間には恐ろしく響いた。
「ナイスボール!」
日置は拍手をしていた。
けれども今しがたのボールも、けして完全なものではなかった。
例えるなら、為所に近いドライブだったのだ。
そう、本来の半分程度の力だったのだ。
それでも森上は、手応えを感じつつあった。
いいじゃねぇか・・森上よ・・
今のは・・5点くらいの価値があるんじゃねぇのか・・
1点ってよ・・じれってぇぜ・・
中川はカウント板を捲りながら、微笑んでいた。
「恵美ちゃん~ナイスボール!」
阿部もアップをしながら、大きな声を挙げていた。
その後、森上は回り込みもして、ドライブを放ち続けた。
佐久間は、ラケットにあてることさえ出来ないでいた。
そして試合はどんどん進み、やがて20-4と森上はラストを迎えていた。
うん・・足も動くようになったし・・
腕も・・調子が戻って来た・・
森上はこう思っていたが、まだまだ万全ではなかった。
―――本部席では。
「ふむ・・」
皆藤はそう呟いた。
「どうしたんですか?」
三善が訊いた。
「いえ、森上くんなんですがね」
「はい」
三善は3コートを見た。
「力が落ちています」
「そうなんですか」
「まあ、今日は調子が悪いのでしょう」
皆藤は席を立ってロビーへ向かった。
三善は思った。
桐花のエースである森上が不調なら、三神にとって好都合じゃないのか、と。
けれども皆藤の表情は、どこか落胆しているようにも見えた。
そして三善は、皆藤の後姿をずっと見送っていた。




