125 四人目の秘密兵器
―――金曜日の放課後。
「じゃ、今日の練習はここまでね」
日置は彼女らに向けてそう言った。
「それで、森上さんは土日はバイトで練習できないけど、明日、阿部さんと中川さんは、卓球センターへ連れて行くから、そのつもりでね」
「先生よ」
中川が口を開いた。
「なに?」
「明日は、それで構わねぇが、日曜日は試合があるからな」
「え・・?」
阿部は、とうとう言ってしまった・・と、内心ハラハラしていた。
それは森上も同じだった。
「試合って、なんの?」
「一年生大会さね」
「それって団体戦の?」
「そうさね」
「あはは、きみ、なに言ってるの。団体戦は四人いないと出られないんだよ」
「おうよ」
「おうよ・・って」
「実はよ、四人目がいるんでぇ」
「え・・」
日置は唖然とした。
どこにそんな子がいるんだ、と。
「それって、誰なの?」
「フフフ・・」
「なに笑ってるんだよ」
「フフフ・・フフ・・あはははは!」
中川が、突然大声で笑い出したことに、日置も阿部も森上も、何事だと驚いた。
「秘密兵器さね・・」
「秘密兵器・・?」
「おうよ」
「いや、そうじゃなくて、誰か言ってくれないと」
「いや、こればっかりは、先生にも言えねぇ」
「どうして?」
「あやつは今頃・・別の場所で特訓やってんだよ」
「え・・」
「いうなれば、影の大番長さね・・」
「・・・」
「きっと・・投げナイフをお見舞いしてるところだろうぜ・・」
「阿部さん、森上さん」
日置は、埒があかないと思い二人を呼んだ。
二人は黙ったまま日置を見た。
「きみたち、影の大番長、知ってるの?」
「ああ・・えっと・・はい・・知ってます・・」
「私もぉ・・知ってますぅ・・」
「それ、誰なの」
「先生よ」
中川が呼んだ。
「なに」
「野暮なこたぁ訊くんじゃねぇ。いずれにせよ、もう申し込みはしたんだ」
「ほんとなの・・」
「天下の太賀誠さまが、まさかしっぽ巻いて逃げようなんてこたぁねぇよな」
「きみって子は・・」
「いいな。日曜日は試合だ」
「申し込んだのなら出るけど、こういうことは、僕に相談してくれないと」
「済まねぇ。私の一存でやったことなんだ。今後は、ぜってー相談する」
日置は思った。
四人目の「影の大番長」が誰であれ、三人が試合に出ることは、むしろ歓迎だ。
三人とも万全ではないにせよ、まずは場慣れを経験させることだ、と。
「ああっ!」
そこで日置は突然大声を挙げた。
「ダブルス、まったくやってない・・」
そう、日置はここまで、彼女らには、あくまでもシングルだけをやらせてきたのだ。
ダブルスは、これからだ、と。
「ダブルスって、なんでぇ」
「ペアを組むんだよ」
「ほーう」
「森上さんは、もう無理だから・・阿部さんと中川さんが組むしかないよね・・」
「おう!私は構わねぇぜ」
「それじゃ、明日はダブルスだけやるから。で、センター行きもキャンセルね」
「おーす!」
「それにしても・・もっと早く言ってくれてたら・・」
「わりぃ、わりぃ」
阿部と森上は、意外にも日置が怒らなかったことで、胸をなでおろしていた。
そして日置は、一足先に小屋を出た。
「先生よ」
中川が日置の後を追った。
「なに?」
「あのよ、頼みがあんだよ」
「頼み?」
「小島先輩によ・・ユニフォームとジャージ、借りてくんねぇかな」
「え・・」
「影の大番長が着るんでぇ」
「ねぇ、大番長って誰なの」
「借りてくれるよな」
「・・・」
「借りてくんねぇと、関係をばらすぞ」
中川は、日置と小島のことを言った。
「なっ・・」
「いいな、明日持って来てくれ」
「わかったよ・・」
「んじゃ」
中川はそう言って、小屋の中に戻った。
―――そして翌日。ここは一年三組。
「よーう、重富」
中川は、重富を呼んで、阿部と森上の元まで連れてきた。
「とみちゃん、明日はよろしくね」
阿部が言った。
「もちろん!芝居の大恩があるからな」
「重富、言っとくけどよ、おめー、演劇部員として、ここは最高の演技をしろよ」
「え・・」
「え、じゃねぇし」
「私、いてるだけでええんとちゃうの?」
「バカ言ってんじゃねぇよ。おめーは秘密兵器なんでぇ」
「ひ・・秘密兵器・・?」
「おうよ。だからな、チームで一番強ぇって、演技をすんだよ」
「強い言うたかて・・私、卓球やったことないし」
「おめーには、試合は回って来ねぇ。したがってだな、表情と体で示すんだよ」
「・・・」
「不敵な笑みを浮かべてだな、相手チームを威嚇するんでぇ」
「威嚇・・」
「そうさね。おめーは影の大番長なんでぇ」
「高原由紀・・」
「あっ、あれだな、タオルで顔を隠すってのもありだな。力石徹が如く」
「それ・・あしたのジョーやん」
「おめー、あしたのジョーも、梶原一騎先生作だぜ」
「へ・・へぇ・・」
「いいな、演劇人として、精一杯頑張ってくれ」
「わかった」
―――そして放課後。
森上はバイトのため学校を後にし、阿部と中川は食事を摂ったあと、小屋に向かっていた。
「フフフ・・」
中川は、また突然、笑い出した。
「なによ・・」
阿部は不気味に思った。
「明日が楽しみだぜ・・」
「そうなんや・・」
「重富が、どんな演技かましてくれるのかが、楽しみでならねぇぜ」
「演技いうたかて・・座ってるだけやしな・・」
「座るにも、色々とあらぁな」
「え・・」
「バカみてぇに、畏まって座るんじゃねぇんだよ。自分は秘密兵器だっていう座り方さね」
「そんなん、あるん?」
「まあいい」
そして二人は小屋に入り、部室で着替えた。
ほどなくして日置が小屋に入って来た。
「僕、気が付いてなかったけど、森上さん、明日休めるの?」
準備体操を終えて、日置はバイトのことを訊いた。
「おうよ。休みをもらったって言ってたぜ」
「そうなんだ」
「んじゃ、先生、始めようか」
「よし。じゃ、きみたち台に着いて」
そして阿部と中川は並んで台に着いた。
日置はまず、ダブルスの動きを教えた。
「一球ずつ打つんだよ。そしてペアの邪魔にならないよう、すぐに移動する。きみたちはペンとカットだから、阿部さんは前に着いたまま。中川さんは後ろに下がったまま」
二人は日置の言いつけ通り、動いてみた。
やがてラリーを始めた。
これも、オールラウンドだ。
試合は明日だ。
よって、実戦の練習をする他なかったのである。
「ダメダメ、もっと速く動く。中川さん、ラケット回して。阿部さん、そこは回り込む」
日置は打ちながら、アドバイスを繰り返した。
「もっと動く、もっと速く!」
「おうよ!」
「はいっ」
「中川さん、そんなカットじゃ打ってくださいって言ってるようなもんだよ!」
「わかってらぁ~~!」
「阿部さん、今のはチャンスボールだよ。絶対に打たないとダメ!」
「はいっ」
「二人とも、ボールに食らいついて!」
「くっそお~~!」
このように、ダブルスの練習は続いた。
すでに阿部も中川もフラフラだ。
「休憩する?」
日置が訊いた。
「はっ。冗談だろ」
「続けます!」
「ほんとは試合前は調整程度がいいんだけどね」
「調整してる余裕なんてねぇぜ。っんなもん、やるしかねぇんだよ」
「やります!」
「よし」
こうして「にわか仕込み」のダブルスの練習は五時間も続けられた。
無論、途中で休憩を挟んだのは言うまでもない。
まさか、五時間ぶっ通しで続けられようはずもないのだ。
ちなみにこの日の授業後、日置は中川に小島のユニフォームとジャージを渡していた。
「僕と小島さんのこと誰かに喋ったら、そのお美しい顔をドブスに変えてやるからね」と冗談を言った。
「ちげーよ。ちげーって、先生」
中川は呆れていた。
「てめぇ・・誰かに喋りくさったら、べっぴんさんを見るに堪えねぇドブスに変えて、どぶ川に放り込んでやるから、覚悟しときな、だぜ」
「はいはい、そうでした」
「ありがとな。小島先輩によろしく言ってくんな」
「うん」
日置は思っていた。
中川は、口は悪いが、プライベートなことを他人に話す子ではない、と。
いわば、浅野とよく似ているな、と。
浅野は在学中、小島が日置に想いを寄せていることを、絶対に他の者には言わなかった。
そして、ここ一番という時の浅野の底力も、中川は持ち合わせているのではないか、と。
その意味で、日置は明日、中川がどんな試合をするのかが楽しみでもあった。




