124 再スタート
―――そして翌日の月曜日。
「でなぁ・・先生ぇ、自分の責任や言いはってぇ・・」
森上は登校してすぐに、阿部と中川に昨日の話をしていた。
「でもよ、先生、わざわざおめーのバイト先に来たんだよな?」
「そうやねぇん」
「で、おめーに、話をした、と。こういうことだな」
「そうやねぇん。もう~私ぃ、気の毒になってなぁ」
「よーーし!」
中川は、突然席を立ちあがった。
「どしたん?」
阿部は中川を見上げていた。
「チビ助、おめー、わからねぇのかよ」
「なにが?」
「なにがってよ、先生、乗り越えたんでぇ」
「え・・」
「旅に出て、命の洗濯をしたんでぇ」
「命の洗濯・・」
「いいか、おめーら!」
二人は黙ったまま、中川を見ていた。
「おそらく先生は、乗り越えただろうが、まだ本当のところは定かじゃねぇ。あんまり大袈裟に喜んだりすんじゃねぇぞ」
「・・・」
「ここは、普通にだな、何もなかったように接するんでぇ」
「そやな、それがええと思う」
「先生ぇ、今日から来はると思けどぉ・・でもなぁ、まだ不安もあるってぇ、言うてはったんよぉ」
「よし、わかった。んじゃ、おめーら、そう言うことで。いいな」
―――そして放課後。
授業が終わると同時に、三人は走って小屋へ向かった。
彼女らは、日置がどんな表情で、どんな態度で現れるのか不安であったが、いつものように着替えを済ませて準備体操を始めようとしていた。
ガラガラ・・
そこへ日置が扉を開けて入って来た。
「きみたち、早いね」
日置はそう言って、靴を履き替えていた。
「せ・・先生・・いらっしゃいませ・・」
阿部は、緊張しすぎて、思わず妙な挨拶をした。
「お邪魔します」
日置は「プッ」と笑って冗談で返した。
「あはは!チビ助、おめー店の女将かよ!」
「千賀ちゃん~・・いらっしゃいませてぇ・・あはは」
森上も爆笑していた。
「いやっ・・あの・・えっ・・」
阿部は、しどろもどろになっていた。
日置はニコニコと笑いながら、中へ入った。
「女将さん、今日のお薦めは?」
日置は、まだ冗談を続けた。
「え・・」
阿部は、答えに窮した。
「いよーーっ社長!今日のお薦めはな、チビ助のスマッシュ、森上のドライブ、それから私のフォアカットでどうでぇ!」
「いいね。それ全部、頂こうかな」
「まいどあり~~!」
そこで四人は大声を挙げて笑った。
「きみたち」
日置は三人に手招きをした。
彼女らは、走って日置の元へ行った。
「色々と心配かけたね」
彼女らは黙ったまま、次の言葉を待っていた。
「僕の勝手で練習をサボったこと、申し訳なかったと思ってる。ごめんね」
「なに言ってんだよ」
中川は優しく微笑んだ。
「でも僕は、今日から頑張ると決めた。それでね、これまでと違う練習になるけど、肝に銘じておいてね」
「ほーう、違う練習か」
「全国へ行くための練習だよ」
日置は、一瞬にして厳しい表情に変わった。
「来年の予選に間に合わせるため、そのための練習ね。でもね、昨日、森上さんにも言ったんだけど、辛いことや苦しいことがあれば、抱え込まないで、僕に話してほしいの」
「・・・」
「僕は、精一杯、きみたちのサポートするから。いいね」
「おうよ!」
「はいっ」
「はいぃ」
「但し、練習量や、内容の厳しさは別。これは絶対に乗り越えないといけないハードルだし、やりこなさないと試合では勝てない」
「おーす!」
「その点に於いて、僕は一切手を抜くつもりはない。それも承知しててね」
「おーす!」
「はいっ」
「はいぃ」
「じゃ、今一度、確認する。きみたちの目標はなに?」
「決まってんじゃねぇか、インターハイ出場さね!」
「インターハイです!」
「インターハイですぅ!」
「よし、わかった」
そして日置は、「頑張ろう」と言いながら、彼女らの頭を一人ずつ撫でた―――
日置が言ったように、この日を境に彼女らの練習内容は、以前とはレベルの違う厳しいものとなっていった。
日置はまるで、これまでの「うっぷん」を晴らすかのように、一分一秒を惜しんで彼女らと向き合った。
基礎を脱した阿部には、徹底的に応用を教え込み、中川にはフォアとバックカットの徹底、それとフットワーク、森上には基礎の徹底と、少しでも足の動きとパワーが戻るよう、校庭でダッシュもやらせた。
彼女らは、日置の期待に応えるべく、まさに与えられた課題を、がむしゃらにやりこなした。
時に、体力が続かなくなることもあった。
中川ですら、根を上げそうになったことも一度や二度ではなかった。
けれども中川の中には、太賀誠がいるのだ。
「命と命のやり取りだ、来やがれってんでぇ!」と言っては、日置に立ち向かったのである。
阿部も小さな体で、懸命になって日置に着いて行った。
ある意味「本気」になった日置の指導は、以前の比ではなかった。
『卓球日誌』を熟読していた阿部は、「先輩らと内容がちゃう・・」と、困惑もしたが、これがインターハイへ行くということなのだ、と。
しかも先生は、先輩たちより、もっと上を目指しているのだと。
その意味で阿部は、日置の期待を背負っていることを、誇りに感じていた。
森上の不調は、徐々にではあるが、少しずつ回復していった。
勘を取り戻しては、また元に戻り、を繰り返す状態だ。
それでも森上は、前に進んでいることを体で感じ取っていた。
あと少し・・あと少しだと、どこまでも自身を鼓舞し続けた。
こうして練習は繰り返され、季節は十一月下旬を迎えていた―――
「おい、チビ助」
一年三組で中川が阿部を呼んだ。
「なに?」
「そろそろ団体戦の申し込みの時期だろうがよ」
「ああ・・そやったな」
「申し込み、しようぜ」
「でもさ・・やっぱり先生に一言、言うた方がええんとちゃう」
「言ってさ、許可しなかったらどうするんでぇ」
「でもなぁ・・せっかくここまでうまいこと行ってんのに、ここで先生の機嫌を損ねたら、どうするんよ」
「だから、それは前にも言っただろうが。試合に出るっつって、怒るバカがどこにいんだよ」
「そうなんやけど・・」
「おい、森上」
「なにぃ」
「おめー、どう思う」
「そやなぁ・・試合には出た方がええと思うぅ」
「だろ?だからチビ助よ、おめー、申し込めよ」
「うん・・」
阿部は、どうも消極的だ。
阿部にしてみれば、もう二度と日置があんな状態になるのは避けたかった。
したがって機嫌も損ねたくなかった。
なぜなら、機嫌を損ねるというのは、中川と対立することを意味する。
それがきっかけで、また、ということになり兼ねないと思ったからだ。
「わかった。私が申し込みするぜ」
「え・・」
「こうしようぜ。あのさ、おめーも森上も与り知らねぇうちに、私が勝手に申し込んだことにするんでぇ」
「いや・・そんなん・・」
「いいって。これなら、おめーら、怒られないだろ」
「いや、それはアカン」
「なんだよ」
「中川さんだけに責任負わせるわけにいかん」
「あはは!おめー、大袈裟なんだよ」
「せやかて、私、キャプテンやし」
「バカか。ここ使えよ、ここをさ」
中川はそう言いながら、自分の頭を指した。
「なによ・・」
「私が勝手にやったことにするのが、一番いいんでぇ」
そして中川は、阿部、森上、中川、重富の名前を書いて申し込んだのである―――
それからまた、練習の日々が続いた。
「森上さん、だいぶ動きがよくなってきたね」
日置は森上のドライブを受けていた。
「そうですかぁ」
「この分だと、来年の予選には、余裕で間に合うね」
森上は内心、「もうすぐ一年生大会やのに・・」と少し心を痛めていた。
阿部も日置の言葉で、チラリと日置を見ていた。
「阿部さんもそう思うよね」
「え・・」
「森上さん、動きがよくなったよね」
「ああ・・はいっ。よくなったと思います」
「チビ助」
中川が呼んだ。
「なに?」
「無駄口叩いてる暇はねぇぜ。ボール出しな」
「あ・・ああ、うん」
阿部と中川は、カットマンのフットワークをやっていた。
「中川さん、やる気が漲ってるね」
日置が言った。
「あたぼうよ!」
「よし。じゃ、僕が相手しよう」
「おーす!来やがれってかでぇ!」
「阿部さん、森上さんのドライブ、受けてね」
そして、それぞれペアが代わった。
日置は、前後左右のフットワークを中川に課した。
「ほらほら、前に来る!」
日置はドライブを放った後、ネット前にチョコンとストップをかけていた。
「くっそぉ~~」
「そして、後ろへ下がる!」
「こんちきしょうめ~~」
中川は、フラフラになりながら、日置に動かされ続けた。
「遅い、遅い!」
「てやんでぇ~~」
「ボールに食らいつく!」
「おうよ!」
日置は思った。
中川の根性は並大抵ではない、と。
これだけ動かされれば、少しは休憩したくなるものだ。
けれども中川はそう言わない。
それどころか、ミスした後「今の、もっかいやってくれ」と「挑んで」来るのだ。
その実、中川の頭の中には、来る一年生大会があった。
勝手に申し込んだ挙句、試合に勝てないようでは、それこそ日置の機嫌を損ねるどころか、自分のプライドが許せなくなる。
出るからには勝つ、勝つためには練習あるのみだ、と。
そしていよいよ、一年生大会は二日後に迫っていたのである―――




