123 迷路の出口
その後、日置は吉住と別れ、その足で森上がバイトをするパン屋へ向かった。
日置は、小島のことより森上が気になっていた。
なぜなら、自分と同じように苦しい思いをしていたであろう森上に、何か一言でも言葉をかけたかったからである。
ほどなくしてパン屋に到着した日置は、店の前から中を覗いた。
すると森上は、とても愛想よく、レジで客の対応をしていた。
ニコニコと微笑む森上見た日置は、胸が張りさけそうになっていた。
日置はドアを開けて中へ入った。
「いらっしゃいませ。あっ、先生」
アルバイト店員の今井が、日置を見つけた。
今井は、パンをトレーに並べていた。
「どうも、ご無沙汰してます」
「いやあ~先生、相変わらず男前ですね」
「いや・・」
日置は苦笑した。
「森上さん、先生、来てはるよ」
今井は森上に報せに行った。
「あぁ・・先生ぇ・・」
森上は、半ば驚いていた。
なぜ、ここへ、と。
「森上さん、頑張ってるね」
「はいぃ・・あのぅ・・どうしはったんですかぁ・・」
森上がそう思うのも無理はない。
ついこの間、「卓球を休む」と言ったばかりの日置が、意外にもに明るい表情をしていたからだ。
「バイト、何時までなの?」
「ええっと・・もうすぐ上がりますぅ」
「そうなんだね。じゃ、僕、外で待ってるから」
「えぇ・・なんでですかぁ」
「うん、きみと話がしたくてね」
「そうですかぁ・・わかりしまたぁ」
そして日置は外で待つことにした。
森上は、日置を気にしながらも、仕事に専念しようと努めた。
先生・・なんやろ・・
また・・なんかあったんやろか・・
でも先生の顔は・・こないだまでとちゃう・・
えぇ・・なんかでも・・怖いなぁ・・
森上は「休む」ではなく「辞める」と言われるのではと、心配した。
そして、自分一人では、どうしたものかと、不安になっていた。
ほどなくして仕事を終えた森上は、私服に着替えて裏口から出た。
「先生ぇ・・」
森上は日置の待つ場所まで行った。
「お疲れさま」
「あのぅ・・どうしはったんですかぁ・・」
「ここじゃなんだから、公園へ行こうか」
「はいぃ・・」
そして二人は公園へ向かった。
日置と並んで歩く森上は、心臓がドキドキしていた。
そして、「千賀ちゃん・・中川さん・・」と、心の中で彼女らの名前を呼んでいた。
公園に到着した二人は中へ入り、ベンチに並んで座った。
「森上さん、バイト頑張ってるね」
「はいぃ・・」
「僕ね、金曜からちょっと旅に出てたの」
「え・・」
「行く当てのない旅だったんだけど、僕ね、そこで気が付いたことがあってね」
「先生ぇ・・まさかぁ・・」
「ん?」
「卓球・・辞めはるんですかぁ・・」
「ううん。辞めないよ」
日置はニッコリと微笑んだ。
「あああ・・よかったぁ・・」
「僕ね、きみの気持ちに気づいてやれなかったんだ」
「え・・」
「きみ、ずっと不調でしょ」
「はいぃ・・すみませぇん」
「いや、いいの。僕もここのところ、色々と悩んでいてね。それって何が原因でそうなったのか、全くわからなくてね」
「そうですかぁ・・」
「きみもきっと同じだったんだなって。それなのに僕は、きみに酷いこと言ったよね・・」
「えぇ・・なんも言うてはりませぇん」
「動けだとか、やる気があるのか、とか、さんざんなことをね」
「なんとも思てませぇん」
「だからね、森上さん」
「はいぃ・・」
「辛い時や、苦しい時は休んだっていいんだよ」
「え・・」
「できないことを、ダメだって思わなくていいからね」
「私ぃ・・辛いことはないんですけどぉ・・思い通りに動けんかったりぃ・・打てんかったりするんがぁ・・申し訳なくてぇ」
「そんなこと思わないで。お願いだから」
日置は、なんとも切ない気持ちになった。
森上は辛いはずなのに、それどころか申し訳ないなどと、自分を責めている。
「きみをそこまで追い詰めたのは、僕の責任だ」
「そんなぁ~~!それはぁ、絶対に違いますぅぅ」
森上はいつになく、大きな声を発した。
「断じてぇ~~先生の責任じゃありませぇん!むしろ、先生を悩ませて苦しめたんはぁ~私ですぅ!」
「森上さん・・」
「お願いですからぁ~、責任なんか感じんとってくださいぃぃ~!」
「ありがとうね」
「私ぃ~、頑張りますからぁ~」
「うん。でもね、森上さん」
「はいぃ」
「無理だけは絶対にしないで」
「・・・」
「言いたいことがあれば言えばいいし、気持ちを抱え込まないでね」
「・・・」
「僕、それだけきみに伝えたかったんだ」
「そうですかぁ・・」
「僕は、明日から頑張るつもりだけど、まだ不安も残ってるの」
「・・・」
「だから、この先、また休むかもしれないけど、その時はごめんね」
「そんなん・・いいですぅ・・」
「時間取らせて悪かった。じゃ、明日ね」
「はいぃ・・わざわざ、ありがとうございましたぁ・・」
そして日置はこの場を去り、森上は自宅へ帰った―――
マンションに到着した日置は、ドアを開けようと鍵を差し込むと、鍵がかかってなかった。
あれ・・彩ちゃん、来てるのかな・・
日置はドアを開けて中へ入った。
すると玄関には小島の靴が置かれてあった。
やっぱり、彩ちゃんだ・・
日置は慌てて奥へ入った。
すると小島は、ベランダに出て外を眺めていた。
「彩ちゃん」
日置が声をかけると小島はすぐに振り向いた。
小島は、一瞬、戸惑った表情を見せたが「先生、おかえりなさい」と、笑った。
「ただいま」
「さっき、掃除しましてね、一休みしてたところなんです」
小島はそう言いながら部屋に戻り、ドアを閉めた。
「いつも、ありがとう」
「いいえ~。先生、なんか食べました?」
「いや、まだ」
「ほなら、なんか作りますね」
小島は台所へ行こうとした。
「彩ちゃん」
「はい」
「ちょっと座ってくれる?」
「はーい」
そして二人はソファに並んで座った。
「きみに、何も言わずに、ごめんね」
「なに言うてはるんですか~、手紙くれはったやないですか」
「うん、そうなんだけど」
「嬉しかったですよ」
「僕、香川県に行ったんだ」
「へぇー、ええですね」
「そしたらさ、誰に会ったと思う?」
「誰やろ・・芸能人?」
「あはは、なんだよ、芸能人って」
「うーん、そしたら、首相?」
「あはは」
「じゃあ・・宇宙人?」
「なんでやねん」
日置は、思わず関西弁で突っ込んだ。
「おおっ、先生、ナーイス!」
「実はね、上田さんに会ったんだよ」
「上田さん?」
小島は、まさか、あの上田とは思いもしなかった。
「元山戸辺監督の、上田さんだよ」
「えええええ~~~!なんでまた!」
「上田さんの故郷らしいの。多度津ってところなんだけどね」
「へぇーー、それで、それで?」
「僕、上田さんちに泊まらせてもらったんだよ」
「まっ・・マジかーーー!」
「あはは、彩ちゃんの反応、面白いね」
「で、上田さん、そこでなにしてはるんですか」
「教師だよ」
「へぇー!」
「漫画同好会の顧問、やってらっしゃるの」
「漫画っ!」
「上田さんね、以前と全く違ってたよ」
「そうなんですか~」
「あの人、とっても優しい人なんだよ。料理も作ってくれたりね」
「おお~」
「でね、上田さん、不正のこと、土下座して僕に詫びてくださったんだよ」
「え・・」
「ずっと胸に引っかかってて、後悔してたって」
「そうだったんですか・・」
それから日置は、島へ渡ったこと、薪割りを手伝ったこと、昼ご飯をご馳走になったこと、中学生と卓球を少しだけやったことなどを話した。
小島は「そうですか、そうですか」と、頷きながら嬉しそうに聞いていた。
「僕、行ってよかったと思ってる」
「私もそう思いますよ」
「彩ちゃんにも、あの綺麗な景色、見せてあげたいよ」
「見たい~~見たい~~」
「あっ・・ああああ!」
そこで日置は何かを思い出した。
「きみの誕生日、ああああ!ごめんっ」
「先生、ええんです、ええんですよ」
「もうとっくに過ぎちゃってるね・・」
「ええんですって。単に一つ年を取っただけのことですよ」
「彩ちゃん、誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます」
小島はニッコリと微笑んだ。
「ああ~なにかお祝いしないと・・」
「ええんですって。先生がいてくれはるんが、最高のプレゼントです」
「彩ちゃん・・」
「先生以外、なにも要りません」
「きみって子は・・」
「さて、なにか作りますね」
「いや、待って」
「え・・」
「今から出かけよう」
「先生、帰って来たばかりで疲れてるでしょう」
「ううん、全然。僕がご馳走してあげる」
「そんな・・ええんですか」
「よし、決まった。じゃ、行こう」
日置は小島の手を握り、立たせた。
そして二人は、ほどなくして部屋を後にした。
「彩ちゃん、どこがいい?」
日置は歩きながら訊いた。
「どこでもええですけど・・」
「行きたいところへ連れてってあげるから、遠慮しないで言ってね」
「そしたら~・・お寿司!」
「おおっ、いいね」
「回転寿司でいいですから」
「なに言ってるの。回ってないところだよ」
そして日置は、高級寿司店に連れ行き、二人は個室で寿司を楽しんだ。
小島は、元気を取り戻した日置を見て、寿司よりも何よりも、最高のプレゼントだと、神様に感謝していたのである―――




