12 結婚を意識した二人
―――この日の夜、日置と小島は電話で話していた。
「そうなんだよ・・まったく参ったよ」
日置はたった今、職員会議での内容を話し終えたところだった。
「なんか・・ヒステリーな感じがしますね」
「そうだね」
「せやけど、なんでいきなり小屋のことなんか・・」
「さあ、それはわからないよ」
「その加賀見先生て、新人なんですよね?」
「うん」
「普通、新人いうたら、そこまで言えませんけどね」
「いや、それはいいんだよ。新人であろうがベテランであろうが、意見を言うことは全く構わないんだけどね」
「まあ・・そうですねぇ」
「それがさ、すぐ撤退しろ~って言わんばかりだからさ。加賀見先生の意図が読めないんだよ」
「なるほど」
「すごく急いでる感じがしてね」
「大変ですね」
「まあね。ごめんね、こんな話」
「いいえ、なんでも言うてください。私はなんぼでも聞きますから」
「ありがとう」
「それより、森上さん、どうなりました?」
「あ・・ああああ~~!」
日置は、たった今、森上と約束したことを思い出した。
「先生、どないしたんですか!」
「しまった!」
「ええ~~どうしたんですか」
「いや、僕、森上さんに放課後、小屋に来るように言ったのに・・忘れてた・・」
「ありゃ~・・」
「ああ・・職員会議で・・すっかり・・どうしよう」
「先生、大丈夫ですよ」
「そうかな」
「明日行って謝れば済みます。ほんで、また来てもらえばええんです」
「ああ、そうだね」
「私、森上さんと話してわかりましたけど、あの子、そんなことくらいで怒る子やないし、なにより先生にいじめを解決してもろた恩があるんですから、大丈夫ですよ」
「うん、彩ちゃん、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「彩ちゃんに話を聞いてもらえて、ずいぶん楽になったよ」
「先生に、そう言うてもらえて光栄です」
「彩ちゃんも、なんか悩みとかあれば、僕に話してね」
「はい、そうします」
「じゃ、切るね」
「はい、おやすみなさい」
けれども二人は互いに受話器を置くことなく、まだ耳にあてていた。
そう、先に切りたくなかったのだ。
「先生・・切ってください」
「彩ちゃんが先に切って」
「ダメです。こういうのは、年下が後で切るもんです」
「あはは、そんなの初めて聞いたよ」
「こんなんやと、ずっと切れませんやん」
「ほんとは切りたくないよ」
「先生・・」
「彩ちゃんの声、ずっと聴いていたいよ」
「私も・・先生の声、ずっと聴いてたいです・・」
小島は手で口を押え、誰にも聞こえないように、囁くように言った。
「暑いでんなあ・・」
小島が振り向くと、弟の篤志がニヤリと笑って立っていた。
「ちょ!篤志!あんた、もう寝なさい!」
小島と篤志のやり取りを聞いた日置は、微笑ましいと思った。
「慎吾兄ちゃん~~!また遊びに来てな~~」
篤志は現在、中学二年生の、思春期真っ只中だ。
「篤志!向こう行きなさい!もう~お母さん、篤志、どないかして~」
「こらーー篤志、お姉ちゃんの邪魔したらあかんて、何べん言うたらわかるんや!」
母親の誠子が怒鳴った。
「先生、すみません。もう篤志がアホで」
「ううん。楽しいよ」
「ほな、ほんまに切ります。すみません」
「うん、お母さんにもよろしくね」
「はい、では」
そして小島は電話を切った。
「篤志!あんたは、ほんまにもう!」
篤志は、ベーッと舌を出しながら逃げていた。
「こらあ~~待たんかい!」
「こらこら、彩華」
誠子がたしなめた。
そこで小島は立ち止まった。
篤志は、二階の自室へ「逃亡」していた。
「せやかて・・まったく・・」
「篤志な、日置先生がお兄さんになってくれる~いうて、ほんまは喜んでるんよ」
「わかってるけど・・」
そこで小島はリビングのソファに、ドスンと座った。
「それより、先生とはうまくいってるみたいやな」
「ああ・・うん」
「彩華・・」
「なに?」
「こんなん言うたら、あれなんやけどね」
「なにをよ」
「あんたは、まだ十八やん」
「うん」
「恋人同士いうたら、その、そういうこともあるやん」
「そういうことて、なによ」
「まあ・・大人の関係、いうんかな」
「え・・」
小島の顔は、すぐに赤くなった。
そして誠子から目を逸らした。
「そらね、いつかはそうなるんよ。でもね、まだ結婚もどうなるかわからんしね・・あまり・・」
「お母さん」
小島は、誠子に向き合った。
「ん?」
「お父さんには言わんといてや」
「え・・まさか・・もう?」
誠子は、二人はとっくにそう言う関係なのだと察した。
「まさか。ちゃうねん」
「え・・」
「前にな・・話があって先生のマンションへ行ったんよ」
「そうなんや・・」
「その時な、泊まらせない、て先生、言わはってな。大事なお嬢さんやから、て」
「まあ・・そうやったんやね」
「だから、心配せんでもええねん」
「そうか・・日置先生、そんなこと言わはったんやね」
「でもな、お母さん」
「ん?」
「私、結婚するんは先生以外に考えられへん」
「うん」
「だから・・もしそうなったとしても・・お母さん、許してくれるやんな・・」
「うん、気持ちはわかるんよ。せやけど彩華はまだ若い。もし、妊娠なんてことになったら、あんたの将来が・・」
「その時は、結婚する」
「彩華・・」
「私の意思は、絶対に変わらん」
誠子は思った。
彩華は言い出すと、自分の意思を曲げない子だ、と。
ただ誠子は母親として、将来のある十八の娘を、黙って見ていられなかったのである。
それは彩華のためでもあり、日置のためでもある、と。
けれども日置は、大人として彩華を帰した。
今後、たとえ大人の関係になったとしても、全て日置に任せよう、と。
たとえ十八でも、この子は大人の女性として恋をしているんだ、と。
日置の人間性を知っているからこそ、そう思える誠子であった。
―――一方で日置は。
電話を切った後、やけに一人暮らしの淋しさが日置を襲っていた。
そして、結婚の相手は、小島しか考えられないと、日置が初めて結婚を意識した瞬間でもあった。
彩ちゃん・・会いたいな・・
日置はそんな風に思いながら、台所へ立った時だった。
ルルルル・・
電話のベルが鳴った。
そして日置は受話器を取った。
「もしもし、日置ですが」
「あ、先生、さっきはすみません」
相手は小島だった。
「彩ちゃん、どうしたの?」
「私ね、今、外からかけてるんです」
そう、小島は公衆電話からかけていたのだ。
「ええ、外から?」
「もう、家の中やったら、ゆっくり話もできませんので。篤志はうるさいし」
「そっか、わざわざ外へ出てくれたんだ。そこは、家の近くなの?」
「はい、もう目と鼻の先です」
「それなら安心だね」
日置は、家との距離を心配した。
「彩ちゃん」
「はい」
「会いたい・・」
「え・・」
「あはは、嘘だよ、嘘」
「ええ~嘘て」
「嘘だけど、嘘じゃない」
「あはは、なんですかそれ」
「今すぐ、きみを抱きしめたいよ」
「先生・・」
「でも我慢する。電話ありがとう。もう帰りなさい」
「私も、先生に会いたいです・・」
「彩ちゃん・・」
「でも、私が無理いうたら、困るんは先生ですよね」
「・・・」
「私は先生を困らせたくありません。だから我慢します」
日置は、また小島が愛しくてたまらなくなった。
ずっと小島の声を聴いていたいと思った。
「彩ちゃん、また連絡するね」
「はい」
「じゃ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
そして日置は先に電話を切った。
そう、小島をすぐに家へ帰らせるためだ。
日置の気持ちを小島もわかっていた。
そして、それがたまらなく嬉しかった。
現代では、一人一台、携帯電話を持ち、いつでもどこでも電話やメールで連絡が取れる便利な世の中だ。
待ち合わせするにしても、場所や時間を間違えても、電話一本で済む。
けれどもこの時代、恋人同士であっても、家の者を気にしながら電話をしたり、小島のように外でかける場合も珍しくなかった。
その「じれったさ」が、心の距離を縮め、互いの絆を強くしたとも言えるのではないだろうか。
小島は、家までゆっくりと歩いた。
そして日置の苦労を思いやった。
そう、小屋の件だ。
小島は思った。
森上が卓球部に入りさえすれば、問題は解決する、と。
いや、解決するどころか、森上は桐花の「大器」として、自分たちの後を引き継いでくれるのだ、と。
それを加賀見とやらが、何の理由かわからないが、阻止しているとしか思えなかったのである。




