114 頼る相手
その後、日置は気を奮い起こして彼女らの練習を見るも、やはり以前のようには、気持ちが前に向けないままだった。
森上ら三人も、日置はどうしたのか、と酷く気にかけてはいたが、日置の「気のない」指導に従って練習を続けていた。
日置は、卓球以外では、全く以前と変わりがなく、教師らも日置の「変化」に気が付く者はいなかった。
そして日置は、このことを誰にも相談することはなかったのである。
小島と話をする時も、卓球のことは口にしなかった。
また小島も、卓球に触れることはなかった。
けれども小島は、果たしてこのままでいいのか、思い悩んでいた。
月日は嫌でも過ぎるのだ。
あっという間に来年を迎え、五月になればインターハイ予選が待っているのだ。
まだ時間があるといえばそうだが、五月までに勝てる練習をしないといけないのだ。
そして今日は、小島の誕生日である。
日置はなんと、そんなことも忘れる始末で、名刺を手にしていた。
そう、吉住の名刺である。
日置は、それを引き出しにしまい、一年三組の教室へ向かった。
「森上さん、阿部さん、中川さん」
日置は廊下から、三人を呼んだ。
声に気が付いた三人は、顔を見合わせながら廊下に出た。
「先生、どうしたんでぇ」
中川が訊いた。
「今日の練習なんだけど、きみたちだけでやってくれないかな」
三人は、さして驚きもしなかったが、やはり落胆した。
「用事でもあんのか」
中川の言葉は、きつく聞こえるが、言いぶりはとても優しく落ち着いていた。
「ええですよ」
阿部は笑って答えた。
「私らでぇ、やりますぅ」
森上もそう言った。
「ごめんね」
日置は情けない表情を見せた。
「いいってことよ!」
中川は日置の肩をバーンと叩いた。
「蒲内先輩の卓球日誌がありますし、それを参考にします」
「おうよ!チビ助、おめーキャプテンだしな、頼んだぜ」
「そうそうぉ。千賀ちゃん~頼むでぇ」
「じゃ」
日置はそう言って、廊下を歩いて行った。
「なんだかよ・・先生、小さく見えるな」
中川は日置の後姿を見ていた。
「そやな・・」
阿部は、今にも泣きそうになっていた。
「チビ助、泣くんじゃねぇ」
「なっ・・泣いてないし・・」
「先生ぇ・・辛そうやなぁ・・」
「恵美ちゃん・・」
阿部はそう言って、森上の胸に顔を埋めて肩を震わせていた。
「千賀ちゃん・・」
「チビ助・・」
「せっ・・先生・・なにがあったんやろ・・ううっ・・」
「泣くなっつってんだろ」
「どしたん・・?」
そこへ重富がやって来た。
「おーう、重富」
「阿部さん・・どうしたん・・」
「チビ助よ、腹減ってんだよ」
「そうなん・・?」
「まだ四時間目があんだろ。我慢できねぇって、わがまま言ってんだよ」
「うん、そやねん」
阿部は森上から離れ、ニコッと笑った。
「ええ~~お腹空いて泣くて・・」
「朝、食べてないねん」
「あはは、なんやねん、それ」
重富は安心したのか、「トイレ行って来る」と言い、廊下を歩いて行った。
「チビ助、大丈夫だ」
中川は、阿部の肩をポンと叩いた。
「うん・・」
「っんなもんさ、私がいんだよ。この高原由紀がだな、絶対に先生を元に戻して見せるってんでぇ~~こんちきしょうめ!」
「そうそうぉ~この蔵王権太もいてるでぇ~」
「おめーは、まず自分の調子を取り戻せよ」
「ああ・・そうやったぁ~あはは」
「おめーがよ、調子を取り戻すと、先生、泣いて喜ぶぜ」
森上は思った。
確かに中川の言う通りだ、と。
これまでは、不調の正体がわからず、不安ばかりに襲われていた。
いや・・今でも正体は不明だが、そんなことはもう、どうでもいい。
疑問を持つより、まず前を向くことだ、と。
「私さ、まだ、おめーの本気、知らねぇんだよ。見せてくれっての」
「そやなぁ。中川さんは知らんねんなぁ・・」
「そうだぜ!おめーの本気見たら、私は今の百倍やる気が出るってもんよ!」
「わかったぁ~頑張ってみるぅ」
「あはは!こりゃいいや」
―――そして放課後。
日置は学校を後にして、公衆電話の受話器を手にした。
そして吉住に電話をかけた。
「はい、弘和映画株式会社でございます」
受付けの女性が電話に出た。
「あの、すみませんが映画制作部の吉住さん、お願いできますか」
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
「桐花学園の日置と申します」
「日置さまですね、少々お待ちくださいませ」
そこで、ポロリンポロリンとオルゴールの音色が聴こえた。
「はい、吉住ですが」
「お忙しいところ、突然、申し訳ありません。わたくし先日、吉住さんとお話させて頂いた日置です」
「おお、日置くんか」
「はい、先日は、ごちそうさまでした」
「いやいや、かめへんねや。で、今日は、どないしたんや」
「あの・・またお話させていただきたくて、お電話差し上げた次第です」
「あはは、めっちゃ堅いな」
「え・・」
「今、どこやねん」
「学校を出たところです」
「そうか。ほな、僕がええとこ連れてったる」
「え・・」
「そやな・・ミナミで待ち合わせしよか」
「はい」
「ほなら、高島屋の前な」
「わかりました」
「んじゃ」
そして電話は切れた。
日置はその足で難波へ向かった。
―――ここは桂山の体育館。
彼女らは練習前に、更衣室で着替えていた。
「彩華~今日、誕生日やな。おめでとう」
「ほんまや~十九やなあ~」
「やっと追いついたか」
「いやあ~お姉さんやん~」
彼女らは、小島の誕生日を祝福していた。
「ありがとう」
小島は嬉しそうに答えた。
「練習終わったら、先生と会うん?」
杉裏が訊いた。
「うん、まあな」
その実、日置からはなんの連絡もなかったが、小島はマンションへ行こうと思っていた。
「ええやん~、二人で夢のような夜やな」
岩水がからかった。
「なに言うとんねん」
小島は照れながら笑った。
日置の事情を聞いていた浅野は、小島の「強がり」が手に取るようにわかっていた。
「練習も、頑張り甲斐があるな」
為所が言った。
「うん、そやな」
「ああ~ええなあ~。私も彼氏ほしいわあ」
外間が言った。
「私かて、ほしいわ」
続いて井ノ下もそう言った。
「彼氏いてんのんて、彩華と内匠頭と蒲ちゃんだけかあ」
杉裏が言った。
「私は~まだ彼氏とちゃうよ~」
蒲内が答えた。
「でも、東京行ったりしてるやん」
「そうやけど~、電話ばっかりやし~」
「あんたさ、私ら、電話する相手もいてへんねんで」
外間が言った。
「そんなん言うたかて~うふっ」
蒲内は頬に手を当てて、ニッコリと笑った。
「もう~憎たらしいんやから!」
小島は、彼女らのやり取りを見て羨ましいと思った。
確かに自分は日置が好きだし、だからこそ付き合っているのだが、楽しいことばかりではない、と。
むしろ、相手を気遣ったり、思い悩むことの方がはるかに多いんだ、と。
「彩華」
浅野が小島の肩を手を置いた。
「ん?」
「練習、頑張ろな」
「うん」
「よーし、みんな、行くで」
浅野がそう言うと、彼女らは更衣室を出て卓球台に向かった。




