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サーよし!2  作者: たらふく
110/413

110 吉住という人物




「あら、吉住さん、お待ちしておりました」


朱花は吉住の姿を確認したとたん、立ち上がって一礼した。

吉住は、五十代と思しき男性で、紺色のスーツを身に着けていた。

一見すると、どこにでもいるようなサラリーマンという風貌だ。


「朱花、もう来てたんかいな」


吉住は、初めて会う日置を見ても、なんら動じることがなかった。


「えぇ、いつもより家を早く出たんです」

「そうか」

「こちら、日置さんと仰って、一度店へ来てくださったお客さまです」

「そうか。初めまして、吉住と申します」


日置は立ち上がって「日置と申します」と丁寧に頭を下げた。

そこで朱花はカウンターに入り、ビールとグラスとつまみを用意していた。


「あの、突然ですみません」


日置は、朱花と吉住が二人で会うはずだったことを言った。


「いやいや、ええねや」


吉住は、日置と少し離れて座った。


「お約束なさってたんですよね」

「かめへんねや」


吉住は、優しく微笑んだ。


「朱花はな、なんちゅうんかなあ、ノラ猫でもすぐに拾ってきよるし、困ってる人を見たらお節介すんねや」

「ノラ猫・・」

「ああ、きみのこととちゃうで」


吉住はそう言って「あはは」と笑った。


「せやけど、僕のことは全く相手にしてくれへんのや」

「そうですか・・」

「吉住さん、なに、いらんこと言うてはりますの」


そこへ、朱花はビールとグラスとつまみを運んできた。


「どうぞ」


朱花は吉住の隣に座り、ビールを注いだ。


「なんも言うてへんで」


吉住は、いたずらな笑みを浮かべた。

日置は、とても居心地が悪かった。

なんで僕がここにいるんだ、と。


「吉住さんは、業界の方なんですよ」


朱花が言った。


「業界?」

「映画会社の方です」

「へぇ・・」

「日置くんは、なにやっとるんや」

「僕は教師です」

「ほーう、先生かいな。その風貌で先生はもったいないな」


吉住は日置の見た目を言った。


「きみ、俳優にならへんか」

「いや・・全く興味ありません」

「あはは、嘘やがな、嘘」

「え・・」

「きみ、こっちの人間やないな」

「ああ・・僕は東京から来ました」

「うん、そうやろな」


日置は早く帰りたい心境に駆られた。


「きみ、年、なんぼや」

「三十です」

「まだ若いな」

「そうですか・・」


この間、朱花は黙って二人の会話を聞いていた。


「あれか、教師いうんは、生徒に勉強だけ教えるんか」

「勉強が中心ですが、他にも色々とあります」

「たとえば?」

「日頃の生徒たちの行いにも注力し、外れたことをすれば矯正もし、親御さんとの信頼関係を結ぶことや、無論、生徒との信頼関係も」

「ほーう、大変なんやなあ」

「でもそれが、僕たち教師の仕事であり、使命でもあります」

「なあ、日置くん」

「はい」

「ちょっと、肩を解そか」


吉住はそう言って、日置にビールを差し向けた。


「ああ、すみません」


日置はグラスを持って、それを受けた。


「映画の世界てな、役者もそうやが、裏で支えるさまざまなスタッフや関係者がようさんいててな」

「はい」

「もう、言うたらドロドロの世界やで」

「そうなんですね」

「綺麗ごとは通用せんのや」

「・・・」

「せやけど、おもろい連中もいてんねや」

「そうですか」

「おもろいて意味、わかるか?」

「いえ・・」

「苦労人や」

「へぇ・・」

「その苦労話聞いてみ。めっちゃ笑うで」

「吉住さん」


朱花が呼んだ。


「なんや」

「他の人やなくて、吉住さんの話、したらどないですか」

「またか」

「吉住さんね、こう見えても苦労してきはったんですよ」


朱花は日置に言った。


「そうですか・・」

「僕の家な、そらもう貧乏で、学費を稼ぐにもバイトしてやな。今みたいに選ばれへんで。新聞配達や」

「そうですか・・」

「新聞配達は、夜中や。そらもう、配達中に、なんぼほどえらい目に遭うたか」

「というと・・?」

「まずな、軽いんで行こか」

「・・・」

「配達中に、変な声が聴こえたんや。言うとくけど僕、高校生やで」

「はあ・・」

「なにかと思て、声のする方へ行ったんや。ほなら、若い男女がセックスしとるんや。青姦いうやっちゃ」

「え・・」

「僕な、もうびっくりして。なにやっとんねん!て思わず言うてしもたんや。ほなら、二人は「うわああ~~」言うて、裸のまま走って行ったんや」

「そう・・ですか・・」

「こんなこともあったで。配達中な、おかしげな男が僕の方へ歩いてきたんや。言うとくけど夜中やで」

「はい」


そこで日置は「クスッ」と笑った。


「なに笑ろとんねん」

「いえ・・僕の口癖も「先に言っとくけど」なんです」

「あはは、そうなんや」

「はい」


日置はニッコリと笑った。


「ほんでやな、その男、僕に近づいてきたと思たら、手にナイフ持っとったんや」

「ええっ」

「僕な、一瞬ではわからんかったんや。冬やったし、長袖の中に半分隠れとったんや」

「大丈夫だったんですか」

「まあそう焦りなや。ほんでやな、その男、「すみません、話があるんです」て言うてやな」

「ええ~、怖いですね」

「ほんで僕は、後ずさりしたんや。逃げるに逃げられへんのや。新聞、ようさん残ってたからな」

「ああ・・なるほど」

「その男、ナイフを全部見せて「これ、なんですか」言いよったんや」

「うわ・・さらに不気味ですね」

「僕な、「知らんがなっ」て言うたら、「誰に訊けばわかりますかね」と言いよったんや」

「おお・・」

「ほんで僕は、「警察に訊け」言うたんや」

「そしたら?」

「わかりました、言うてやな、トボトボと向こうへ歩いて行って、僕は命拾いしたんや」

「うわあ・・危機一髪でしたね」

「ほんで、こんなこともあったで」


この時点で日置は、吉住の話を聞き入るようになっていた。


「これも配達中や。いや・・配達の帰りやったかな」

「はい」

「言うとくけど、帰りいうたかて、夜中やで」

「ああ、はい」


日置はそこで、また笑った。


「僕な、電信柱の横で、何気に上を見たんや」

「はい」

「ほんなら、何があったと思う?」

「うーん・・なんでしょうね」

「ちょっと、想像してみぃや」

「そうですねぇ・・あっ、吉住さんが口を開けた瞬間、鳩がフンを落としたとか」

「あはは、なんやねんそれ」

「違いましたか。うーん、そしたら、突然の雷が電柱に落ちたとか」

「ほなら僕、死んでるがな」

「ああ・・そうか」

「首吊りや」

「え・・」


日置は、本当なのかと唖然としていた。


「言うとくけど、僕、高校生やで。そらもう、自転車も漕がれへんがな。腰を抜かしてしもてやな、這いつくばるように配達所に戻ったっちゅうねん」

「それは・・大人でもそうなりますよ・・」

「まあ、あの光景は今でも目に焼き付いとる」

「怖かったでしょう」

「次の日の朝刊にな、首吊りした人の記事が載っとったんやけど、これが病死と書かれてたんや」

「え・・どうしてですか」

「なんや、偉い立場の人やったみたいで、事実は伏せられたんや」

「そんなこと、あるんですね」

「もしかしたら、殺人やったんかもしれんな」

「うわあ・・闇から闇・・ですか」

「まあ、僕の話はこんなところや」

「いやあ~、とてもおもしろい、と言っては失礼ですが、思わず聞き入りました」


そこで吉住は、思い出し笑いをしていた。


「吉住さん、あの話もどうですか」


朱花が言った。


「なんのやねん」

「手術した時の話です」

「おお、聞きたいです」


日置は前のめりになっていた。


「いや、これな、話してる途中で、笑ろてまうんや」

「ええ~是非、聞きたいです」

「僕な、鼻が悪いねん」

「そうなんですね」

「長年、鼻づまりで苦労してな。ほんである時、手術する決意をしたんや」

「はい」

「言うとくけど、僕アホでな。大きな病院行ったらええのに、めんど臭くて町医者へ行ったんや」

「へぇ」

「ほなら、そこの医者な、フラフラのおじいやったんや」

「え・・お年寄りってことですか」

「そうやねん。もうな、手術の途中、僕の目の前でおじいの手、プルプルと震えとるがな」

「げ・・それって・・」

「察しの通りや。ほんで何べんも失敗してやな。お前が手術受けぇよっちゅう話や」

「あははは」


日置は思わず大笑いした。


「そやろ。この話、笑うねん」

「すみません、吉住さん、痛かっただろうに・・あはは・・」

「もう僕な、何本麻酔打たれたと思う?五本やで、五本」


吉住は両手でパーをした。


「吉住さん、それ十本ですよ」


朱花が突っ込んだ。


「こんなん、ヤバイ薬レベルやん。僕、薬中かって話や」

「あははは」


日置はまた、大声で笑った。


「きみ、なんかおもろい話、ないんか」

「僕ですかぁ・・うーん・・」

「なんでもええで」

「僕、小さい頃からずっと卓球ばかりやってたんで、卓球のことしかないかなぁ」

「ほーう、卓球やってるんか」

「そうなんです」

「ほな、今は卓球部の監督なんか」

「はい」

「日置くんな」

「はい」

「きみの周りにいてる人て、卓球関係の人らばっかりとちゃうか」

「ああ・・言われてみればそうですね」

「こんなん言うたらあれやけどな、もっと別の世界の人らと交流したらどないや」

「別の世界・・」

「先生とか、卓球の人らと違う世界の、や」

「そうですか・・」

「そしたら、もっと見聞が広がるで」

「なるほど・・」


日置は思った。

確かに、自分の周りには教師と卓球人しかいない、と。

これまで、そのことに何の疑いも持たずにやって来れたし、むしろ不自由などなかった。

けれども今回のように、今まで感じたことのない「得体のしれない」感情に気が付いた時、話をするのは小島であり、他を考えても八代や西藤など、全て卓球関係者だ。

励ましてくれることもわかっていた。

けれども、今の自分は励まされることより、目の前の吉住のように、卓球とは無関係の者と話をすることによって、気持ちが明るくなった。

そう、これこそが気分転換じゃないのか、と。

今の自分が求めていたものじゃないのか、と。


「また話が聞きたかったら、ここへ来たらええで」

「ありがとうございます。是非、そうさせてください」

「日置さん」


朱花が呼んだ。


「はい」

「天王寺で会うた時と、表情が違いますね」


朱花は優しく微笑んだ。


「そうですか」

「ええ表情、してはりますよ」

「ありがとうございます」

「朱花」


吉住が呼んだ。


「なんですか」

「お前はほんまに。まあええわ」

「なんですの~」

「僕にかて、お前の気持ち、向けてぇなあ」

「いつも向けてますよ」

「お二人は、どうしてここで会ってらっしゃるんですか」


日置が訊いた。


「あははは、どうして、か」

「いや、その、安永へ行けば、会えるじゃないですか」

「日置さん、その話は――」


朱花はそう言って、人差し指を口に当てた。


「ああ・・すみません」


日置は、二人が「親密な仲」だと察した。


「これ、渡しとくわな」


吉住は胸のポケットから名刺を取り出し、日置に渡した。


「ああ・・すみません。僕は名刺を持ってないんですが、桐花学園という高校で働いています」

「そうか。まあ、気が向いたら連絡してくれたらええで」

「それでは僕は、ここで失礼します」


日置はそう言いながら、財布を取り出した。


「ああ、そんなんかまへん」


吉住が制した。


「そうですよ、日置さん。私がお誘いしたんですから、結構ですよ」

「そうですか。ではお言葉に甘えさせていただきます」

「また、店にいらしてくださいね」

「はい、大久保くんらを誘って伺います」


そして日置は店を後にした。

日置は、夕暮れの空を見上げながら、「よし、頑張ろう」と言った。

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