109 朱花との再会
「ったく・・なんだよ、あの態度」
日置が出て行った後、中川はそうこぼした。
「先生ってよ、あんな人なのか」
中川は阿部に訊いた。
「いや・・ちゃうねん」
「なにが、ちげーんだよ」
「先生は・・これまで、恵美ちゃんや私のために、どんだけ努力してくれはったか。私は何の障害もなく練習できたけど、恵美ちゃんは家の事情とか・・慶太郎くんの誘拐とか、色々あって、殆ど練習できひんかったし・・ほんで、結局、一旦は辞めたし・・」
「ああ、事情は森上から聞いたから知ってっけどよ」
「先生は、なんとか恵美ちゃんを部に戻そうと、ほんまにしんどい思いしはったんよ・・」
「それはわかるけどよぉ」
「あのなぁ・・」
そこで森上が口を開いた。
「なんだよ」
「よちよちのコーチしてはったんもぉ・・私のためやったしぃ・・お母さんに酷いこと言われてもぉ・・先生は文句の一つも言わんとぉ。ほんで、ある時なんかぁ・・私が家出をしたと勘違いしはってぇ・・慌てて家まで来てくれはったこともあったんよぉ・・」
「うん」
「だからぁ・・さっきの先生はぁ・・虫の居所が悪かったっていうかぁ・・そもそも、私の調子が戻らへんしぃ・・色々あると思うねぇん」
「まあ、そうだけどよ」
「なあ、中川さん」
阿部が呼んだ。
「なんだよ」
「中川さんの気持ちもわかるねん。私かて、びっくりしたし。せやけど、あんまりきついこと言うん、止めた方がええと思う」
「まあ・・確かに、私もちょい、言い過ぎたと思ってるけどよ」
「先生かて、人間やもん。機嫌の悪い時かてあるって」
「おめー、物分かり良すぎだぜ」
中川はそう言って、苦笑した。
「私はさ、四月からずっと先生を見て来たからやねん」
「うん~私もぉ」
阿部と森上は、日置の真面目で誠実な人柄を知っている。
森上のいじめを解決したのも日置であったし、その後、部での自分たちに接する日置の態度は、まさに真摯そのものだった。
六月の一年生大会では、日置は高熱を出したにもかかわらず、電話連絡や、挙句には森上家にまで出向いた。
そんなこんなをずっと見てきた阿部と森上にとって、今しがたの日置の態度など、驚きはしたものの、大したことではなかったのだ。
「わかった。まあさ、私とて、先生の人間性はわかってるつもりだぜ」
「うん」
「嫌だと拒否していた芝居にも、やると決めたら一生懸命だったしよ。先生は、真っすぐな人間だぜ」
「そうやねん」
「先生、帰ったのかな」
中川はそう言って、扉を開けた。
「いねぇぜ」
中川は振り向いた。
「今日は、ええんとちゃうかな」
「私らだけで、練習、すっか」
「うん、そうしよ」
そしてこの後、三人は練習を続けたのであった。
―――一方、日置は。
職員室へ戻り、席に座っていた。
「先生、練習は?」
加賀見が帰り際に、声をかけた。
「ああ・・ちょっと、明日の準備を思い出して」
日置は授業のことを言った。
「そうなんですね。では、お先に失礼します」
「お疲れさま」
そして加賀見は職員室を後にした。
日置は、さっきの態度を後悔していた。
加えて、あの時点で、自分の感情を抑えられなかったことに不安も抱いていた。
森上は悪くない。
あの子はきっと、不調なことを誰よりも悩んでいるはずだ、と。
日置は頭ではわかっていても、この先、また同じことを繰り返すのではないか、と。
そう、自分の感情をコントロールできなくなる、と。
それはなぜなのか。
そこで日置は机の引き出しを開け、三島から貰った歌詞を取り出した。
「ねぇ僕は何を探してるの? どこへ行くの・・か」
ほんとだ・・
僕は何を探しているんだろう・・
いや・・それは最初からわかっているじゃないか・・
あの子たちを全国へ連れて行く・・
そんなこと・・わかってるじゃないか・・
日置は立ち上がって、コピー機の前に移動した。
そして歌詞の紙を印刷した。
日置は、失くした時の「保険」として、コピーしたのだ。
一枚は、引き出しに、そしてもう一枚は、家に持って帰ろうと思った。
そして日置は小屋へ戻らずに、そのまま学校を後にした。
やがて天王寺に到着した日置は、そのまま地下鉄の駅へと向かった。
その時だった。
「あら・・日置さん」
一人の女性が声をかけてきた。
日置は、その女性に見覚えがあったが、誰かはわからなかった。
「私です。朱花ですよ」
そう、その女性は『安永』という高級クラブのママだったのだ。
「ああ・・朱花さん」
朱花は出勤前だったのか、洋服を着て髪も下していたので、日置はわからなかったのだ。
「お久しぶりですね」
「はい、お久しぶりです」
「今、お帰りですか」
「ええ・・まあ・・」
「その後、彩華さんとは、どないなりました?」
日置は店に行った時、朱花に小島のことを話していた。
「おかげさまで、順調です」
「あら~、そうですか。それはよかったですね」
朱花はそう言いつつも、日置の表情に陰りを見た。
日置さん・・あの日よりも、顔色が曇ってる・・
また・・なんか悩んではるみたいやな・・
この人・・真面目やし、一人で抱え込む、典型的なタイプやし・・
朱花は職業柄、人物の心中を見抜くことに長けていた。
「日置さん」
「はい」
「もし、お時間がありましたら、私と付き合ってくださいませんか」
「え・・」
日置は、当然のように驚いた。
なにを言い出すんだ、と。
「私、これからある方との約束が控えてるんですけど、どうも二人、というのが嫌でしてね」
「どういうことですか」
「常連のお客さまなんですけど、強引に約束させられましてね」
「そんなところへ僕が行けば、余計にややこしくなるんじゃないですか」
「いえいえ、その心配はいりません。よくあることですから」
「そうなんですか・・」
「どうですか。お付き合いくださいますか」
日置は気が引けたが、このまま家に帰るのも、つまらないと思っていた。
どうせ、帰ったところで、一人で考えるのは、小島やあの子たちのことだ、と。
「わかりました」
そして日置と朱花は梅田まで出て、とある店に入った。
ここは、朱花の友人が経営するスナックだった。
「おはようさん」
まだ準備中の店には、朱花の友人である女性がいた。
「朱花、早かったね」
女性は朱花の後ろで立っている日置を見て、軽く会釈をした。
日置もそれに応えた。
「球子ちゃん、こちら、日置さん」
「どうも、球子です、よろしく」
「日置です」
球子は、朱花と同年代に見えた。
球子はカウンターの中で、開店の準備をしている最中だった。
「吉住さんな、さっき電話があって、もうすぐ来るって言うてたよ」
「そうなんや。いつも悪いな」
「あはは、なに言うてんのよ」
「日置さん、座りましょうか」
朱花は、ボックス席に座ることを促した。
「はい」
日置は戸惑いながらも、席に着いた。
「日置さんて、朱花の馴染みの方?」
「馴染み・・?」
日置はなんのことかと訊き返した。
「あほな。一度店に来ていただいたお客さまよ」
朱花はすぐに答えた。
「そうなんや。これは失礼」
「気にせんといてくださいね」
朱花は日置に優しく微笑んだ。
そして朱花は日置の隣に座った。
「吉住さんって、さっき仰ってた方ですか?」
「そうなんですよ」
「朱花、ビールでええかな」
球子が訊いた。
「日置さん、それでよろしいですか?」
「ああ・・僕はなんでも」
「ほな、球子ちゃん、それでお願いね」
「それにしても朱花さんって、和服の時と印象が全く違いますね」
「そうですか」
「とても若く見えますよ」
「あはは、お上手ですね」
「お待たせしました」
そこに、球子がビールとグラスを二つと、突き出しのつまみを運んできた。
「日置さんて、スポーツやってはるんですか」
球子が訊いた。
日置の服装は、ジャージだからである。
「はい、卓球をやってます」
「日置さんね、学校の先生なんよ」
朱花が言った。
「あらまっ、先生でしたか。これはこれは」
球子は畏まって一礼した。
「どうぞ」
朱花はビールを注ごうとした。
日置はグラスを持って、それを受けた。
「ほな、私、奥で準備があるから」
「ありがとうね」
「先生、どうぞごゆっくり」
そして球子は、カウンターの奥へ入って行った。
「日置さん」
「はい」
「また、いつでも店にいらしてくださいね」
「ああ・・はい」
「そんな緊張せんと、リラックスしてください」
「僕、緊張してますかね」
日置は苦笑した。
カランカラン・・
そこへ、吉住という中年の男性が入って来た。




