108 衝突
―――この日の夜。
小島は日置の家に電話をかけた。
マンションへ寄ろうとも思ったが、昨日の今日で、少し気が引けていた。
「もしもし、日置です」
「あ・・先生」
「彩ちゃん、こんばんは」
「こんばんは・・」
「どうしたの?」
「いや・・あの、先生」
「なに?」
「今日・・楽器屋さんへ行ってませんでした?」
「え・・なぜ知ってるの」
「私と内匠頭、お好み焼き屋にいたんです」
「そうだったんだ。声かけてくれたらよかったのに」
「なんで楽器屋へ・・」
「ああ・・僕さ、カセットデッキ買おうと思ったんだけど、うっかりしちゃって、楽器屋さんへ行ったんだよ」
「カセットデッキ・・」
「でね、店員さんに訊いたら無いって。そうだよね。あれは電気屋さんに行かないとね」
「なんか、聴きたい曲でもあるんですか」
「ああ・・ちょっとね」
日置は隠すつもりはなかったが、歌詞の内容を話すと、また小島が心配すると思った。
「なんですか~」
「たまには音楽もいいかなって」
「そうですね。気分転換になりますよね」
「彩ちゃんは、練習だったんでしょ」
「はい」
「よく頑張ってるよね」
「社会人、あかんかったですし、もっと練習せなあきませんからね」
社会人とは、全日本社会人大会のことである。
ちなみに彼女らは、予選で総崩れだったのだ。
「きみたちなら大丈夫。来年頑張ればいいよ」
「はい」
「ところで、きみの誕生日、二十五日だけど、どこへ行くか決めたの?」
「ああ・・先生、ドライブ連れてってくれるて言うてはりましたけど、ドライブて、結構時間かかりますよね」
「時間、ないの?」
「いえ・・あの子らの練習時間がとられると思いまして」
「そんなこと、気にしなくていいのに」
先生・・
やっぱり、練習時間のこと・・あまり考えてないんや・・
私とデートする方を選ぶやなんて・・
先生らしない・・
というか・・こんな先生・・嫌や・・
「先生」
「なに?」
「私のことは後回しでええですから、あの子らの練習、見たってください」
「せっかく、好きなところへ連れてってあげようと思ってるのに」
「私の誕生日は、練習が終わってからでええです。ほんで先生のマンションでええですから」
「そっか・・」
「あの・・先生」
「ん?」
「私のことより、あの子らを優先してください」
「そんなこと、わかってるよ」
日置は小島の気持ちを当然嬉しく思ったし、小島の思いやりに感謝もしていたが、自分の気持ちに整理がつかないことで、耳が痛かった。
日置は偶然、三島と出会い、歌詞に共感を覚えた。
ある意味「迷路」から抜け出すための励みになりそうな三島の歌詞で、少し心が救われた思いがしていたところに、今しがたの小島の言葉だ。
今の日置にとっては、「迷路」に逆戻りさせられた気がした。
そしてこうも思った。
小島の誕生日を祝う気持ちは、無論のことだが、二人でドライブに出かけ、気分転換を図りたいとも。
そう、日置は「きっかけ」を探していたのだ。
一方で小島は、意見するのではなく、話を聞くことが大事だとわかってはいた。
けれども小島は、やはり日置に「理想」を抱いていた。
練習の鬼である日置、卓球に「立ち向かう」日置、それこそが、日置を輝かせるのだ、と。
だからこそ、自分は、そんな日置を好きになったのだ、と。
とはいえ、日置にも弱さがあるのは当然のことだ。
在学中は、これっぽっちも弱さを見せなかった日置。
何でも話してくれ、と頼んでも話さなかった日置。
それを今は、自分を頼って弱さを見せている。
支えるのが自分であり、日置もそれを求めている。
小島は頭では十分すぎるくらいわかっていた。
けれども、どうしても気持ちには勝てなかった。
「とにかく、私のことはええですから、先生は、練習に集中してください」
「きみに言われなくても、わかってるよ。じゃ、おやすみ」
そこで電話が切れた。
先生・・
ああ・・怒らせてしもたな・・
でも・・逆に怒った方が、やる気が出るかも・・
今度、会うたら・・冗談の一つでも言うて・・
うん・・それがええな・・
―――そして月曜日の放課後。
「さあ~今日から、練習だ!おめーら、わかってるよな」
小屋の中で、中川は森上と阿部に向けて言った。
「おーう!」
「わかってるぅ」
この三人は、意気軒昂だった。
教室では、朝から芝居の話で持ちきりだった。
クラスメイトから絶賛された三人と重富は、まさに「時の人」だった。
それは加賀見に対してもそうだった。
「先生のナレーション、よかった!」と、称賛され、なんと授業そっちのけで、芝居の話に時間を費やされたほどだった。
クラスメイトは「中川さん!早乙女愛、やって~」とせがみ、中川はそれに応えていた。
一方で、称賛は日置にも向けられていた。
「誠さ~~ん」
「ひおきん~、セリフ、言うて~」
「私も早乙女愛、やりたい~」
「ひおきんとキスしたい~」
と、このように生徒たちは日置に纏わりついていた。
その実、日置は辟易としていた。
そしていつもは「はいはい」と軽くかわす日置だが、「いい加減にしろ!」と怒鳴ったのである。
怒鳴られた生徒らは、あの優しい日置が・・と戸惑っているところに「もう芝居は終わったんだ!」と、突き放されていた。
ガラガラ・・
そこで小屋の扉が開き、日置が入って来た。
「よーう、先生」
「きみたち、早いね」
日置はそう言いながら、靴を履き替えていた。
「土曜日は、お疲れさんだったな」
中川が言った。
「きみたちこそ、お疲れさま」
「まあ~芝居は大成功だったな」
「うちのクラスの子なんか、再演して~と言うてましたよ」
阿部は、嬉しそうに言った。
「そうそうぉ。中尾さんや木元さんや石川さんもぉ、蔵王権太、よかったで~と言うてくれましたぁ」
森上は、かつて中尾らにいじめを受けていたが、今では普通に話ができる間柄になっていた。
「もう芝居は終わったんだよ」
日置は冷たい言葉を発した。
「まあ、そうだけどよ。余韻っつーのか、それだよ、それ」
中川は、ほんの少しだけ日置の言いぶりに驚いていた。
「そ・・そうですね。今日からは卓球に集中せんとあきませんね」
阿部も気を使った。
「準備体操、やったの?」
「ああ・・今からです」
「じゃ、始めて」
三人は顔を見合わせて、体操を始めた。
日置は思っていた。
なにが芝居だ、と。
「ここ一週間以上、練習できなかったんだから、その分を取り戻すよ」
体操を終えた彼女にら向けて、日置が言った。
「はいっ」
「おーす!」
「はいぃ」
「いいかい。きみたち素人にとって、これだけ長い間、練習が出来なかったというのは、大変なリスクになってる。ものすごく貴重な時間を失ったんだ。それを肝に銘じて取り組むように」
「先生よ」
中川が呼んだ。
「なに?」
「じゃさ、なんで昨日休みにしたんだよ」
「きみたちが疲れてると思ったからだよ」
「いや、私さ。正直、昨日から始めるもんだと思ってたんだけどよ」
「・・・」
「休みっつったんで、驚いたんだぜ」
「そうなんだ。じゃ、昨日から始めればよかったね」
「まあ、いいさ。じゃ、先生、始めてくれ」
「まずは、フォア打ちからね。阿部さんと中川さん。僕と森上さんね」
そして四人は、それぞれ分かれて台に着いた。
一通りの基本を一時間ほど続けたあと、「阿部さんはカット打ち。中川さんはカットね」と言った。
二人は日置の指示通り、練習を始めた。
「森上さん、ちょっとフットワーク、やってみようか」
「はいぃ」
日置は、森上の調子を見ることにした。
そう、足の動きのことだ。
そしてフットワークが始まったが、森上の動きは以前のままだ。
「もう少し、早く動けないかな」
「すみませぇん・・」
森上は、懸命に動いているつもりだった。
けれども、足がいうことを聞かないのだ。
「続けるよ」
そしてラリーが始まった。
日置は、少しスピードを上げた。
森上はそのスピードに対応できかね、空振りをする有様だった。
「動こうとしてる?」
日置は思わずそう言った。
「はいぃ・・動かしてるつもりなんですけどぉ・・すみませぇん」
「ちょっと」
日置はそう言いながら、森上の横に立った。
「足だけ動かしてみて」
「はいぃ」
森上は、反復横飛びの要領で、左右へ動いた。
「もっと速く」
「はいぃ・・」
「いちいち返事しなくていいから」
森上は、らしくない日置の態度に、少し戸惑っていた。
「あのね、ここ。ここに足を置いて、その反発力でこっちに動くの」
日置は自身で動いて見せた。
「ほら、やって」
森上は、懸命に足を動かし続けた。
「遅いんだよ。それはフットワークじゃない」
「すみませぇん・・」
森上は大きな体を小さくしていた。
「じゃ、ボール、送るからね」
日置はそう言って、元の位置に戻った。
そしてラリーが開始されたが、森上には全く変化がなかった。
「どうして動けないんだよ」
「・・・」
森上は下を向いていた。
「こっち見て」
すると森上は頭を上げた。
「どうして動けないの」
「どうしてってぇ・・」
「きみ、やる気あるの?」
「え・・」
「おい、先生よ」
このやり取りを気にしていた中川が、口を開いた。
「なんだよ」
「森上、やる気があるに決まってんだろうがよ」
「きみには訊いてない」
「先生、なにイライラしてんだよ」
「イライラなんか、してない!」
日置は思わず怒鳴った。
「きみも阿部さんもそうだ。さっきから見てると、送るコースも不安定、ミスも多い。きみたちこそ、集中してるのか!」
「おい、なんだよ、その言い方」
「中川さん・・止めとき・・」
阿部が制した。
「まったくよ、何があったか知らねぇが、教師が生徒に八つ当たりかよ!」
「なんだと」
「八つ当たりって言ってんのさ!」
「きみさ、そもそもその口の利き方、それが教師に向かって言うことなのか」
「けっ、話をすり替えてんじゃねぇよ」
「中川さん・・もう止めて」
阿部はオロオロとしていた。
森上は、ずっと下を向いたまま、小さくなっていた。
そして日置は何も言わずに、小屋から出て行ったのだった。




