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サーよし!2  作者: たらふく
106/413

106 得体のしれない気持ち




日置ら一行は、食事を済ませた後、解散してそれぞれ家路についていた。

日置と小島は、そのままマンションへ向かい、たった今、部屋に入ったところだった。


「先生、お疲れさまでした」


小島は早速、台所で手を洗い、お茶の準備に取り掛かった。


「彩ちゃん、なにもしなくていいよ」


日置はトイレに入った。


「いいえ、せめてお茶くらいは。先生、コーヒーと紅茶、どっちがええですか」


小島はドアの前で訊いた。


「ああ・・それなら日本茶がいいかな」

「わかりました」


そして小島は、茶の葉と急須を用意した。


「それは先生~」


小島はまた、鼻歌を口ずさんでいた。


「彩ちゃん」


日置がトイレから出てきた。


「はい」

「それだけでいいからね」


日置はお茶のことを言った。

すると小島はニコッと笑った。

そして日置は「あ~」と言いながら、ソファに腰を下ろした。


「疲れたでしょう」

「まあね・・」


日置は苦笑していた。


小島は思っていた。

練習の鬼の日置が、帰りの際、明日の日曜日、休みにすると森上らに言っていた。

ここ一週間は、芝居の稽古に時間をとられ、全く練習していない。

やっと芝居から「解放」され、さあここからだ、という時に、日置なら休みにするはずがない、と。

よほど疲れたにせよ、自分のことより、あの子たちの練習を優先させるはずだ、と。


そして小島は、湯飲みを二つテーブルに運んだ。


「どうぞ」


小島は日置の前に湯飲みを差し出し、そのまま座った。


「ありがとう」

「先生」

「ん?」

「明日・・練習、休みにしたんは、疲れてはるからですか」

「ああ・・まあ、そうかな・・」

「そうですか・・。そうですね。無理はあきませんね」

「・・・」


日置は、何かを考え込む風に、黙っていた。


「先生・・?」

「・・・」

「先生、どうしたんですか」

「なんだろう・・」


日置は独り言のように、そう呟いた。


「え・・」

「自分でもよくわからないんだけどね」

「はい・・」

「きみたちを教えてきた二年間は、本当に充実してたし、一分一秒を惜しんで練習してきたよね」

「はい」

「でも、なんて言うのかな・・四月に新学期が始まって、森上と出会って、ここに来るまでほんとに色々とあった」

「はい」

「ようやく森上が練習に参加できるようになったかと思えば、森上は以前の森上ではなくなってた」

「・・・」

「いや、僕はそれでも森上を育てる気持ちに変わりはない。きみたち素人を一から教えた時のようにね」

「はい・・」

「でも・・何かが違うんだ・・」


その実、日置自身は気が付いてなかったが、日置のインターハイ出場の目標は、あくまでも団体戦に拘っていた。

実際、小島らの時代は、八人という選手に恵まれた。

それが素人であろうと、なんであろうと、団体戦に参加できる資格は持っていたのだ。

だからこそ、日置の目指す、団体でインターハイという高見も、けして絵空事ではなかったし、苦難を乗り越えながらも日置自身も頑張れた。


けれども今は、団体に参加すらできない有様だ。

たとえ全国へ行けたとしても、森上のシングル、或いはダブルスのみだ。


一方、ここまで様々な問題に直面してきた。

それが卓球の技術のことなら、日置は乗り越えてきたであろうし、当然、通る道だと悩みもしなかったであろう。

けれども、その様々な問題は、練習時間が取れなかったり、或いは森上家の事情であったり、『よちよち』のコーチのことであったりと、いわばスタートラインに立つ以前のことで悩まされ、時に、森上の母親である恵子から何度も侮辱され続けたこともあった。

そんな日置は、知らず知らずのうちに、そうとうなストレスを抱えていたのだ。


「先生、芝居の稽古やら、今日の公演で疲れたんですよ」

「うん・・そうだと思うんだけど」

「明日は、ゆっくりと休んで、また月曜から頑張ればいいですよ」

「あのね・・彩ちゃんにだから言うけど・・」

「なんですか・・」


小島は、瞬間的に、聞きたくないという勘が働いた。


「僕・・きみたちを教えてた時の方が、生き甲斐を――」


日置がそこまでいうと「先生」と、厳しい表情で小島が制した。


「え・・」

「先生の口から、そんな情けない言葉、聞きたくありません」

「彩ちゃん・・」

「森上さんを強引に誘ったのは先生でしょ」

「うん・・」

「その後も、何とかして森上さんに練習させようと、卓球を続けさせようと、嫌なことも言われたのに耐えて頑張ってきましたやん」

「・・・」

「それを今さら、なにを言うてるんですか」


そこで日置は、小島から目を逸らした。


「先生、大丈夫ですって」

「・・・」

「今は、疲れてはるだけです」

「うん、そうだね・・ごめん」


日置はそう言いながら、いつもはつけないテレビをつけた。


「この時間、なにやってるのかな」


日置はチャンネルを捻った。


「ずっと練習ばっかりだし、僕、知らないな」


日置は適当なところでチャンネルを止めて、「なんだろうね、これ」と笑っていた。


先生・・

なんかおかしいな・・

私の言葉で傷ついたんかな・・


「先生・・」

「ん?」


日置はテレビ画面を見たままだ。


「私の言うたこと、悪かったです。すみません」

「なんできみが謝るの?」


日置は小島をチラリと見た。


「いや・・ちょっときつ過ぎたと思います」

「何とも思ってないから、気にしないで」


日置はニッコリと笑った。


「あの・・先生」

「ん?」


日置はまた、画面を見ていた。


「生き甲斐なんて・・一つやと決まってないと思うんです」

「・・・」

「森上さんらはきっと、先生の期待に応えてくれます」

「・・・」

「だから・・その・・やる気をなくさんといてください」

「・・・」

「先生が引っ張らんと・・あの子ら、どうしたらええか、迷います。私らかて、出来るだけ協力しますから」

「彩ちゃん」


日置はまだ画面を見たままだ。


「はい」

「悪いけど、ちょっと黙っててくれないかな」

「え・・」

「あのね」


そこで日置は小島を見た。


「僕があの子たちを見捨てるはずがない。きっと強い選手に育てる。でもね、僕が弱みを見せられるのは彩ちゃんだけなんだよ。愚痴をこぼせるのはきみだけなんだよ」

「・・・」

「僕は強い人間なんかじゃない。そうなろうと努めてるだけ。辛いこと、苦しいこと、一杯あるんだよ」

「・・・」

「きみは僕に、完璧でいてほしいみたいだけど、それじゃ息が詰まるよ」

「すみません・・」

「僕こそ、ごめん」


そこで二人は、テレビ画面を見るともなく見て、しばらくの間、沈黙の時間が流れた。


「今日は・・帰ります」


小島はいたたまれなくなり、そう言った。


「そっか。じゃ、駅まで送って行くよ」


日置も引き止めはしなかった。


「いえ、一人でええです」


小島はそう言って立ち上がり、鞄を持って玄関に向かった。

日置も小島の後に続いた。


「お邪魔しました」

「ほんとに送って行かなくてもいいの?」

「はい」

「じゃ、気を付けてね」


小島は一礼して部屋を出た。

そして「はぁ・・」とため息をついた後、マンションの廊下を歩いた。


ああ・・なんか・・付き合うって難しいな・・

でも確かに・・先生の言う通りかもしれん・・

先生かて・・人間やもんな・・

悩みもするし・・苦労もある・・

そんな時・・支えになってあげられるんは・・私だけやん・・

私は・・先生を誤解してたかもな・・

少なくとも卓球に関しては・・絶対に後ろ向きにならんと思てた・・

そうじゃないこともあるんやな・・


小島は日置の心情を思いやり、申し訳ない気持ちになっていた。

そして、意見をするのではなく、話を聞いて共感することも大事なことなんだと、また一つ大人になったのである。


一方で日置は、ソファに座りながら、テレビ画面を見ていた。


僕は彩ちゃんより、一回りも年上なのに・・

子供みたいなこと言っちゃったな・・

でも・・僕は、一体・・どうしたんだろう・・

なんなんだ・・この気持ちは・・

いや・・考え過ぎだ・・

それこそ彩ちゃんが言ったように・・芝居で疲れてるだけなんだ・・

また月曜から・・頑張れるさ・・


その後、日置は風呂に入ったあと、パジャマに着替えてベッドで横になった。

そして、ずっと天井を見つめていた。


正直・・あの子たち八人と必死になって練習してきた日々が懐かしい・・

団体戦・・か・・

来年の予選には・・間に合わない・・

たとえ部員が増えたとしても・・試合では勝てない・・

森上の調子もいつ戻るかわからない・・

阿部もやっと応用に入ったばかりだ・・

ましてや・・中川は・・まだまだこれからだ・・


日置は何度も寝返りを打ち、気持ちを整理しようと努めた。

けれども一旦、心の中に芽生えた「得体のしれない」思いは、日置の眠りを妨げるほど重くのしかかっていたのだった。

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