101 騒然とする館内
やがて正午になり、『チーム中川』は部室に集合していた。
「今から、スケバングループには化粧をしてもらう。先生の眉間の傷と、それと上半身に包帯を見立てた紙テープを巻く」
みなは、それぞれ鏡の前で化粧をし始めた。
「僕は、どうすればいいの?」
日置が訊いた。
「私がやるよ」
中川はそう言って、日置を席に座らせた。
「水性マジックだから安心しな」
中川は、自分の髪留めピンで日置の前髪を留めた。
そしてマジックの蓋を開け、「じっとしてろよ」と言って傷を描き始めた。
「おい、田沼」
中川は描きながら、岩清水役の田沼を呼んだ。
「なに?」
「おめー、誰かの茶色のアイシャドー借りてくれ。それと黒のペンシルもな」
「わかった」
田沼はそう言いながら、大川にアイシャドーとペンシルを借りた。
「はい、これ」
「おお、サンキュな」
中川は傷を描き終えると、茶色のアイシャドーで傷口を塗った。
「先生、目、瞑ってくれ」
「え・・」
「え、じゃねぇし。目に凶暴さを持たせるために、これでラインを引くんだよ」
「わかった」
日置は目を閉じて、中川の言うに任せた。
「それで、これだ」
中川は用意してあったカツラを被せた。
するとどうだ。
もともとハンサムな日置は、完璧とまではいかないものの、まるで太賀誠のように仕上がったではないか。
「おおっ、先生、いいぜ!」
他の者も日置に注目した。
すると「おおおおお~~」という声が挙がった。
「先生ぇ~~、よく似合ってますぅ~~」
思わず森上も、興奮を隠せない様子だ。
「森上。驚くのはまだ早いぜ」
「なんでなぁん~」
「これさね」
中川はヨレヨレになった、学生帽を日置に被せた。
すると再び「おおおおお~~!」と声が挙がった。
「これで、舞台裏で学生服に着替えたら、完璧さね」
「ちょっと、鏡を見せて」
日置が言うと、大川が日置に鏡を渡した。
「あっ・・」
日置は自分の変わりように驚いていた。
「先生、どうだ」
「ああ・・まあ、太賀誠に見えなくもないかな」
「のんびりしてる暇はねぇ。先生、裸になってくれ」
日置はジャージの上着とTシャツを脱いだ。
そして中川と田沼で、グルグルと紙テープを巻いた。
「よし、先生はこれで出来上がりだ。他の者、準備は整ったか」
「準備OK!」
掛井が言った。
「じゃ、舞台へ行くぞ。その際、あまり人に見られないよう、顔を隠せよ」
そして『チーム中川』は、体育館へ急いだ。
一行は、裏口から中へ入った。
すると、観客者の熱気が既に館内を包んでいた。
中川は舞台袖から、客席を見た。
「あ・・」
そう、客席は満杯どころか、立ち見の者までいたのだ。
「おい、すげーぜ」
中川はすぐにみんなに報せた。
「満員御礼だぜ」
「えっ・・」
驚いたみんなは、袖から客席を見た。
「うわあ・・」
誰しもが、客の多さに怖気づきだした。
「とっ・・とにかく・・落ち着こう・・」
部長の掛井でさえ、声が震える始末だ。
「は・・はよ・・制服に・・着替えんと・・」
木村も同じだった。
「ど・・どうする・・こんなん・・」
「あかん・・セリフが飛んでしもた・・」
「なにしたらええの・・」
「きみたち」
そこで日置が口を開いた。
みんなは黙って日置を見た。
「こんな大勢の観客の前で、芝居ができるなんて、滅多にないよ」
日置には、全く動揺など見られなかった。
「演劇人冥利に尽きるんじゃない?」
「そ・・そやかて・・」
「いいかい。観客はカボチャだと思えばいい。きみたちは今日まで懸命に稽古を続けてきた。普段通りにやればいいだけ。せっかくのチャンスなんだ。観客をあっと言わせようよ」
日置の言葉を聞いた中川は、ある意味、衝撃を受けていた。
なぜなら日置は、稽古は真面目に取り組んできたものの、常に受動的だった。
そう、本気でやる気などないと受け取っていたのだ。
ところがどうだ。
中川にすれば、とても日置の口から出た言葉とは思えなかったのだ。
「大丈夫。きみたちはやることやって来た。それをこれから発揮すればいい。自分が一番強いと思えばいいんだよ」
「強い・・?」
掛井が訊いた。
「あ・・違った。自分が一番うまいと思えばいい」
日置はニッコリと笑って、一人ずつ、肩に手を置いて「いいね」と言って回った。
するとみんなの気持ちも解れ「はいっ」と逞しい返事が返って来た。
「そうでなくちゃ」
日置はまた、ニッコリと微笑んだ。
「先生よ」
中川が呼んだ。
「なに?」
「監督の顔になってたぜ」
「あはは、そうかな」
「よく緊張を解してくれた。さすが日置先生だ。ありがとうございます」
中川は丁寧に頭を下げた。
「よーし、着替えだ!」
中川の号令で、みんなは着替え始めた。
そして準備も整い、いよいよ開演五分前になっていた。
「間もなく、愛と誠の上演が始まります」
加賀見が放送をかけた。
「ここで上演前の注意点を、少し述べます。上演中は立ち上がったり、物を投げたりなさらないようお願いします。それと、原作はかなり長いので、時間の都合上、ほとんど割愛させていただきますことをご了承くださいませ。それでは開演となります。どうぞ観客席の皆さま、桐花学園演劇部の熱演を最後まで楽しんでください」
加賀見が言い終えると、場内の灯りが落とされた。
そこで館内は大きな拍手が起こった。
「物語りの始まりは、ここからだった――」
加賀見のナレーションが始まった。
「幼い頃、スキーに訪れていた早乙女愛は、両親から禁止されていたスロープへ興味本位で飛び込んだ。魔のスロープといわれるここは、たとえ屈強な大人でも足を踏み入れることがなかった。幼い愛をあざ笑うかのように、スロープは愛を飲み込んだ。するとそこへ山小屋の住人である息子の太賀誠が、体を張って愛を助けた。その際、誠の眉間には、大きな傷がつけられた。けして消えることのない傷が元で、誠の家庭は崩壊する。そして数年後、太賀誠と早乙女愛は再会する。どうしようもない不良と化していた誠を見た愛は、傷が元でそうなったことを悟り、誠を東京へ呼び寄せる。けれども誠は通い出した青葉台高校で大暴れをし、警察沙汰になって退学させられる。誠は一人静かに花園実業高校という、日本で一番の不良の吹き溜まり高校へ転校する。事実を知った愛は、青葉台を退学し、悪の花園へ誠を追って行ったのだった――」
加賀見のナレーションが終わると、舞台にスポットライトがあてられた。
舞台上には、机と椅子が並べられ、スケバングループらが、獲物を狙うかのように、日置を取り囲んでいた。
日置は、椅子に座り、机に足を投げ出していた。
「ガムコ、やるかい」
重富が言った。
「こいつ・・どうも気に入らねぇ」
阿部は、ガムをクチャクチャ噛みながら言った。
「スケバングループ、中堅幹部のガムコを、とうとう怒らせちまったね」
「これは厄介だ」
「あ~あ、お気の毒なこった」
そして阿部は、手にしていたナイフで、日置の足を刺そうとした。
日置は、阿部の手を蹴り上げるフリをして、その場で立ち上がった。
阿部はナイフを落とした。
すると観客席から「きゃああああ~~!」という黄色い声が一斉に上がった。
なんなんだ、このハンサムな男性は、と。
そして日置は、帽子のつばを少し上げて、眉間の傷を見せた。
「なっ・・」
阿部は怯む演技をした。
「ガムコとやら。俺に歯向かうとどうなるか、体で覚えな!」
日置は阿部を羽交い絞めにし、机の上のコンパスを、阿部の喉元に突きつけた。
「生意気な野郎だ!」
「てめぇ~調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
スケバンたちは、日置に襲い掛かろうとした。
「来たら・・こいつで、喉を一撃よ」
「や・・やめてぇ~~」
阿部は叫んだ。
「て・・てめぇ~~」
「ガムコ、情けない声出してんじゃねぇよ!てめー、それでもスケバングループの幹部かよ!」
「こっ・・こいつは・・やると言ったらやるよ~~」
「ああっ?こいつって、誰に言ってんだ!」
日置はさらに、コンパスを阿部の喉に近づけた。
「わ・・わかった・・わかったから・・」
「ああっ?なにがわかったんだ」
「悪かったよぉ~~・・私が悪かったよぉ~~」
阿部は泣き叫ぶ真似をした。
「太賀誠さま、申し訳ありませんでした、だろうが!」
「たっ・・太賀誠さまあ~~申し訳ありませんでしたあああ~~」
「すると転校したての早乙女愛は、この騒ぎを聞きつけた――」
加賀見のナレーションが入った。
そこで中川登場だ。
「まっ・・誠さん!」
そう言いながら、舞台の袖から出てきた中川を見た来訪者たちは、日置を見た時より驚愕していた。
「ええええええ~~~!」
「さっ・・早乙女愛やん!」
「本物や・・本物やん!」
「きゃあ~~~~!」
「えー、お静かに願います。ご静粛に願います」
あまりの騒ぎに芝居が続けられず、加賀見は放送をかけた。
それでも館内は、まだまだ騒然としていた。
「ちょっと~~太賀誠といい、早乙女愛といい、なんなん~~」
「本物の役者とちゃう!?」
「私、写真撮る。写真撮る~~!」
「きゃ~~~誠さーーーん」
「愛ちゃーーーん」
「ご静粛に、ご静粛に!これでは芝居が続けられません」
加賀見がそう言えども、誰も聞く耳を持たなかった。
「一旦、幕、幕~~!」
三波がそう言って、一旦、幕は閉じられたのである。




