1 森上のポテンシャル
桐花学園は、新学期を迎えた。
今年も初々しい新入生たちは、真新しい制服姿もまだぎこちなく、学園の雰囲気にも慣れない中ではあったが、これから始まるであろう学園生活に期待で胸を膨らませていた。
今日は、クラブ紹介の日だったが、小屋に来るものはみな、日置目当ての生徒たちばかりだった。
桐花学園の体育教師であり、卓球部監督の日置慎吾は、三年前、この学園に赴任してきた。
素人ばかりの八人を、たった二年でインターハイに出場させ、なんとベスト8に入賞させた実績の持ち主だった。
日置は皆藤との「後輩を育てて全国優勝をさせなさい」という、約束を果たしたく思っていたが、生徒にやる気がなければ指導も無駄になると考え、全て入部を断っていた。
皆藤とは、大阪のみならず、全国でも王者として君臨する、三神高校の監督である。
まあ・・仕方がないか・・
焦ったところでどうしようもないな・・
日置は小屋でボールを打っていた。
そして、八人の顔を思い浮かべていた。
もう・・あんなに熱くはなれないかもな・・
あの子たち・・桂山で頑張ってるかな・・
桂山化学は、東京に本社を置く一流企業だ。
大阪にも、大阪本社や、工場も構え、八人は桂山化学へ入社し、現在も実業団の現役選手としてプレーしていた。
卓球部の入部者はゼロだったが、バレー部は人気があった。
特に、バレー部監督の堤が目をつけていたのは、一年三組の生徒、森上恵美子だった。
森上の身長は170cmと、とても背が高くて肉付きも良く、いわゆる、大柄な女子だった。
けれども森上は、まだどこのクラブにも所属しておらず、堤は森上をバレー部に引っ張ろうと、直ぐに声をかけていた。
「森上」
堤は、授業が終わって森上を呼んだ。
「はぁい」
森上の声は低く、のんびりと話をする生徒だった。
「きみ、バレー部に入らんか?」
「えぇ~、バレー部ですかぁ」
「きみのその体格、バレーに持って来いなんやけどな」
「いえぇ、私ぃ、バレーに興味ないんですぅ」
「そんなん言わんと。きみならパワーもあるし、直ぐにエースアタッカーになれるで」
「私ぃ、文化部に入るつもりなんですぅ」
「え・・どこや」
「華道部ですぅ」
「いや・・もったいない、もったいないで」
「とにかくぅ、バレー好きやないんですぅ」
「まあ・・そやな、また考えといて」
堤は、森上の肩をポンと叩いて、職員室へ向かった。
バレーて・・
手・・痛そうやな・・
そして森上は、放課後、華道部のドアを叩いた。
「失礼しますぅ」
のそっと顔をのぞかせた森上に、部員たちは関取が入って来たと思った。
「なんか用?」
三年生の女子が訊いた。
この女子は部長だ。
「あのぅ・・まだ入部、受け付けてますかぁ」
「ああ・・受け付けてるけど・・」
部長は、大柄な森上に引いていた。
「私ぃ、入りたいんですけどぉ」
「ああ・・うん、いいけど・・」
部長は、他の部員の顔色を見た。
他の部員も、けして歓迎していなかった。
小学生の時から、ある意味「バケモノ」扱いされてきた森上は、直ぐに彼女らの意を察した。
「ああぁ、やっぱりええですぅ」
「え・・」
「私ぃ、家の手伝いせなあきませんのでぇ、入部はやめときますぅ」
「そ・・そうなんや・・残念やわ・・」
そして森上はドアを閉めた。
しゃあないな・・
いつも通りや・・
森上は肩を落として、校門へ向かった。
廊下を歩いていると、事務室の前にはバレー部や卓球部の表彰状や楯が、ガラスケースの中に飾られてあった。
森上は、何気にそれらを見た。
へぇ・・卓球部て・・
去年、インターハイ出てるんや・・
森上は、少しだけ興味を持った。
なぜなら森上は、見た目とは全く逆の、抜群の運動神経を持っていたからだ。
それこそ、小学生の時から体育はずっと5だった。
「あ、森上」
そこに堤が通りかかった。
「ああぁ・・どうもぉ」
森上は少しだけ会釈した。
「これ、すごいやろ」
堤はバレー部の成績のことを言った。
「まあ、うちはまだ、卓球部には及ばんが、きみが入ってくれると、大阪代表は決定したようなもんや」
「はあぁ・・」
「練習、見にけぇへんか?もうやってるで」
「いえぇ・・いいですぅ」
「そうか・・ま、明日でも明後日でもええし、一回、見学においで」
そう言って堤は、体育館へ向かった。
森上は、またガラスケースの中を見た。
卓球部か・・
中学の時・・やったことあるしな・・
そして森上は、引き返して小屋に向かった。
森上が小屋に到着すると、中からボールの音が聴こえた。
やってるな・・
そして森上は「失礼しますぅ」と言いながら扉を開けた。
森上に気が付いた日置は、「入部希望者なの?」と訊いた。
けれども森上は、日置しかいないことに、驚いていた。
「あのぅ・・」
「なに?」
「部員は・・」
「ああ、まだゼロだよ」
「えぇ・・先輩は、いてないんですかぁ」
「うん。部員だった子は、みな三年生だったから、三月に卒業していなくなっちゃったの」
「えぇ・・」
「きみ、卓球に興味があるの?」
「いえぇ・・特に興味はありません・・」
「そうなんだ」
「ただぁ・・卓球部て、強かったんやなぁと思てぇ」
「とても強かったよ」
「そうですかぁ・・」
「興味がないなら、残念だけど、入部は認めないよ」
「あのぅ・・」
「なに?」
「私ぃ、子供の頃、ちょっとだけやったことがあるんですぅ」
森上は、中学では卓球部に入っていたが、それでも籍を置いていたに等しい程度だったので、あえて「子供の頃」と言った。
なぜなら、部自体が低レベルで、監督も単なる経験者というだけで、森上は自分の力など、なんら自覚していなかったからである。
「へぇー卓球を?」
「はいぃ」
「じゃ、打ってみる?」
「はいぃ」
そして森上は靴を脱いで、中へ入った。
その時、驚いたのが日置だ。
大柄なのは、確認できたが、思ったより背が高いのだ。
「きみ、身長、何センチなの?」
「170ですぅ」
「へぇー高いね~」
「はいぃ」
「ちょっと待っててね」
日置はそう言って部室に入り、ラケットを持って戻った。
「はい、これ使ってね」
それはペンの裏だった。
「どうもぉ」
「じゃ、コートについて」
そして二人は、分かれてコートに着いた。
「サーブ出すよ」
「はいぃ」
森上は素人でありながら、構えはなんとなく様になっていた。
そして日置は、緩めのサーブを出した。
するとどうだ。
森上の打ったボールは、コートに入りはしなかったものの、その振りとパワーたるや、並ではなかったのだ。
この子、すごいな・・
日置はこの時点で、この子は育てると「もの」になると感じていた。
「すみませぇん」
森上は、ミスしたことを詫びていた。
「かまわないよ」
日置はニッコリと微笑んだ。
「じゃ、行くよ」
そして日置はサーブを出した。
森上は空振りすることなく、ラケットにはあてていた。
普通、素人なら、空振りするのが当たり前だ。
なぜなら、日置の出したサーブは、普通のロングサーブなのだ。
つまりポッコーンという「ピンポン」ではないのだ。
こうして、ラリーこそ続かなかったものの、森上は日置のサーブを全て返球していた。
「きみ、とても筋がいいよ」
「そうですかぁ」
「ちょっと待ってね」
そこで日置は森上の後ろへ回り、ラケットを正しく握らせ、正しく構えさせた。
「そうそう、足を曲げてね。きみは背が高いから、もっと曲げないとね。で、左手はここ。そしてこうやって振るの」
日置は、森上の右手を持って正しい振り方を教えた。
「じゃ、振ってみて」
「はいぃ」
すると森上は、日置の指示通り、ほぼ完璧にできたのだ。
嘘だろ・・
この子・・呑み込みが早すぎる・・
「その形のまま打てば、コートに入るよ」
「そうですかぁ」
そして日置は、元の位置に戻った。
「じゃ、出すよ」
「はいぃ」
そして日置はサーブを出した。
スパーン!
なんと森上は、日置のフォアクロスへ入れたのだ。
「きみ・・ほんとに筋がいいよ」
日置は、まさか返って来るとは思わず、見逃したのだ。
「そうですかぁ」
けれども森上は、ピンと来ていない様子だ。
「きみ、名前は?」
「森上恵美子ですぅ」
「森上さんね。僕は――」
日置がそこまで言うと「知ってますぅ。日置先生ですよねぇ」と森上は言った。
「うん、そうだよ」
「クラスの子らがぁ、キャーキャー言うてましたんでぇ」
「そうなんだ」
日置は苦笑した。
「きみ、よかったら僕と全国目指さない?」
「インターハイですかぁ」
「そうだよ」
「私ぃ、素人なんですけどぉ」
「去年ね、インターハイ行った子たちも、みんな素人だったんだよ」
「ええええ~~!」
「一年の夏から始めたんだよ」
「ひっえぇ~~、それはすごいですねぇ」
「そうだね」
「ほなぁ、私でも出られますかぁ」
「僕が絶対に連れていく」
「えぇ~・・」
「でも、僕の練習について来れたら、の話だけどね」
「しんどいんですよねぇ」
「かなりね」
「そうですかぁ・・」
「無理にとは言わないよ。僕はやる気のない者を育てるつもりはないから」
「ちょっとぉ・・考えさせてくださいぃ」
「うん、わかった」
そして森上は、小屋から出て行った。
日置は思った。
森上なら、絶対に大型選手になれる、と。
そして三神にも勝てる選手に、必ずなれる、と。