8.壁外調査
そして、心待ちにしていた土曜日の早朝。
オレは電車を乗り継いで、約束の集合場所に出掛けた。
駅の改札を通って外にでると、目前に三十メートルはあろう巨大なコンクリートの壁があり、万里の長城のように東へと続いていた。
休日に女の子と出掛けるのは初めてなんだよな~、エチルとハスィさんの私服が楽しみだ。
なんてことを考えながら待っていると……。
「ごきげんよう諸君!休日仕様ツキノワ先生のお出ましだ!……ってアレ?まだワタシとシバヤシ君しか来てないじゃないか。まあ、女の子は色々準備があって、待ち合わせに遅れるのは常識みたいなモノだからな。じゃあまずシバヤシ君にカードを渡しちゃおっかな。」
まずはツキノワ先生がいつもの暑苦しく、寒い一人語りと共に登場。深緑色のツナギを着て、如何にも作業着といった格好をしている。
それから十分ほど遅れて女子組が到着した。
「ごめんなさい、私の準備が遅れちゃって……。」
「いやいや全然大丈夫だよ!オレらも来たばっかりだから。」
それにしても、エチルはお洒落だなあ。
長袖長ズボンという制約の中、柔らかそうな紺色のカーディガンと動きやすさ重視のジーパンを選んでいる。
「どう?変じゃない?」
「ううん、すごいお洒落で可愛いよ!」
「そう、ありがと!」
「エチルがああだこうだ唸っている所為で遅刻したのに。」と、シンプルな紺色ジャージ姿のハスィさんがぼやいた。
「ハスィはもう少しお洒落に興味を持った方がいいわ。」
「機能性があれば何でもいい。」
確かに学校のジャージは動きやすくて機能的だけど…。ハスィさんの私服が見れなくて残念だなあ。ボーイッシュな感じの、制服の時とは一味違う姿が見れると思ったのに。
「服持ってないなら私が貸してあげるって言ったのに、『いい、ジャージで行く』って聞かないのよ。」と、エチルが耳元で囁いてきた。
「こんど、一緒にハスィに似合う服買いに行きましょうね!」
え!
オレ、女の子のお買い物について行っていい感じなのですか?
「これが私の愛車!P55モデル、ネハレムだ!これは地球探査用の高出力カスタマイズがされていて……。」
オレたちはツキノワ先生の車に乗り、面白くないマニア話を聞き流しながら、薄暗いトンネル世界を眺めていた。
助手席にオレ、後部座席にはエチルとハスィさん。
二十分ぐらい走って行き止まりで停車すると、ガコンと車内が振動して、車がリフトに乗って上昇していく。
「さあいよいよ外の世界だ!」とツキノワ先生が言うと、急に視界が明るくなって目が潰される。
それから、ひたすら舗装されていない道路を一時間ほど走る。
見渡す限り木、木、木、三つ合わせて森!の景色で何も面白みがない。ツキノワ先生は延々と車について語ってるし、ハスィさんはずっと黙ってるし、エチルとは前後ろで喋りづらいし、車の中はカオスな空間になっていた。そして、永遠とも思えていた重苦しい空気から解放された頃には、既に体力が半分くらい削られていた。
車が停まって、
「よし!ここからポイントまで少しだけ歩くぞ!皆でトランクの荷物を分担して運んでくれ。あ、シバヤシ君はくれぐれも女子に重い思いをさせないように!」
それから道なき道、草木をかき分け、足場の悪い湿った地面を踏みしめ、激しいアップダウンを繰り返ながら林の中を進んでいく。
これがもう辛いのなんの!全知全能の体力を持ってしても辛い!
青臭いにおいがするし、葉っぱや変な虫が体中に引っ付いてくるし、ヘビやヒルも出てくるし、いちいち「わあ!」とか声をあげるとエチルやツキノワ先生が笑うし。
それにしてもハスィさんはすごい体力だ。
体力というより、山道の歩き方を知ってるから?足の運びがとても軽やかで、妙に不整地に慣れている。
鹿やイノシシのような気分で小一時間ほど行進し林を抜けると、疲れも吹っ飛ぶような青空と、が出迎えてくれた。
「今日は美皿川の支流で仕掛けを入れてみようかあ!。」
ツキノワ先生はどさっと荷物を投げ出し、背の低い草の上に大の字で寝ころんだ。
「エチル君、ワタシのリュックから仕掛けとエサを取り出してくれ。」
「はい、センセイ。」
エチルは、登山用のゴツいリュックから道具を取り出す。
「シバヤシ君、これ嗅いでみて?」
「ん、なになに?うっ!くさっ!」
腐った梨を超凝縮したみたいな?
クソマズイ梨ジュースを鼻に流し込まれたような……。
「ハハハハハ!魚は強烈なにおいを好むからな!」
エチルも楽しそうにケタケタと笑っている。
まあ、面白かったならそれでよし。
ツキノワ先生は直方体の折り畳み仕掛けを、流れの緩い澱みに投げ込む。
そして、魚が掛かるまで植物や虫とかを探しに付近を散策。
「みんな、この花はハルジオン、ヒメジョオンどっちかな?」
「季節的にハルジオンかと思われます。」
「ハスィ君正解!流石部長だな!」
「いえ……、」
(若干だけど照れている?)
普段は憂鬱な表情が、いくらか晴れ晴れしている気がする。オレが虫の羽音にビビったり、エチルにイタズラされているとこを見ても、相変わらず反応は薄いけど……。
地球部の活動、特にこの「調査遠征」に関して、何か特別な感情があるのだと気づいた。
それから、小一時間ぶらぶらして適当な木陰で休息。
レジャーシートを敷いて、ツキノワ先生が作ってきてくれた弁当を食べる。
俺たちはすっかりピクニックをしている気分。
道中の険しい行進もあってお昼ご飯がうまい!
いいお天気、ほのぼのとした陽気にあてられて、会話も面白いほどによく弾んだ。
昼食を食べ終えたら、放置していた三ケ所の仕掛けを回収しにまた歩く。
一人一つずつ引き上げると、どの網箱の中にも魚が掛かっていて、ぴかぴか銀色を反射しながら跳ね回っていた。
「確実にオイカワだな、どこにでもいるやつ。レア度は星一つといったところかな?」
丁度十二、三センチほどのカタクチイワシぐらいのサイズ。たまにアジとかイワシを釣って家で食べていた男としては、食べられる魚なのか何となく知りたくなった。
「ツキノワ先生、コレって食えるんですかね?」
「ン?ンー……文献や資料によれば食べていた民族もいたらしいが。身が少ない上に骨も多くて、そんなに美味くないと思う。それに、自然の生き物を食うと生物資源横領罪で捕まるし。」
「イワシとかオイカワとか、いっぱいいる魚でもダメなんですか?」
「ダメだ。本来は採取して個人で飼育保管するのもダメなのだが、この『地球部』は研究機関として認可されているから、魚を学校に持ち帰っても問題ないのだ。」
えー……、オレ釣りたての魚大好きなのに、食べられないなんてショックだな。
「一度、地球の生態系を滅茶苦茶にした人間への当然の報い。そのうち、規制は解除されるだろうけど、過ちを繰り返さない為に、私達は学ばなければならない。」
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唐突に、ハスィさんは意味深な発言をする。
「よし、仕事も終わったし今日は引きあげるか!」
「そうですね。明日は水槽の建ち上げやるんでしょうセンセ?」
「明日は午前十時に部室集合、持ち物は特に要らんよ。」
みんなはまるで、ハスィさんの言葉が聞こえてない様に話を進めてしまう。
「エ、エチル……これはどういう?」
荷物を担いで、車に戻る道中で訊いてみた。
「ハスィは感受性が豊かなの。だから、たまに変な事を言う。」
「それでも、なんで二人は無視していたんだ?」
「無視なんかしてない、ちゃんと聞いていたわよ。その上で反応しなかったの。」
「うーん……ごめん、わからない。ってか、おちょくってるなら早く答えを教えてよ!」
「わからないなら直接ハスィに訊いてみたらどう?それとも、もう少し自分で考えてみるのも面白いわね。」
エチルは、悪戯っぽく口角を上げてウインクすると、オレを置いてツキノワ先生の側まで走っていってしまった。