5.ハスィの不信
部屋の中に雑然と置かれている、無数の観葉植物達。窓際のアクアリウム水槽と相まって、非常に幻想的な雰囲気を醸している。
よくよく地球的な、私が求めていたイメージに限りなく近い。
しかし、この有機的な空間にいても、私の意識は毛羽だったまま。
独り濃茶色のソファに腰を降ろす。繁る水草の隙間に赤や黄色の熱帯魚が鮮やかな色彩を魅せる。私は鋭く穿った眼差しで眺める。
偏屈な考え方と捻じ曲がった価値観から、手放しに陶酔出来ない。
エチルを待っている間にも、思考はどんどん複雑に絡んでいく。
考え続けなければいけない、強迫観念に駆り立てられて……。
「ハスィ、待たせたわね。」
澱んだ意識は仲間の声と引き戸の音によって現実に引き戻された。
「遅い、こんな時間まで何をやっていたの。仕事は一人で終わらせたよ。」
「ごめんね。今日はお客さんを連れてきたから遅くなったの。どうぞ、シバヤシ君。」
「お邪魔します。」
エチルは一人の男を招き入れた。
どこかで見た顔だけど……。
黒髪を今風な二段に刈り上げて……ツーブロックという奴か。目尻が丸くて、感じのいい人畜無害な好青年といった雰囲気。根暗で閉鎖的な私の性格とは真反対な人間に見える。
「どちら様ですか?」と、取り合えず訊いてみた。
「ええっ……彼、同じクラスの委員長だよ。覚えてないの?」
エチルは細い目を最大に見開いて驚き、呆れたような仕草をする。
「ごめん。私、あまり人を覚えようとしないタチだから……。」
「あはは……。オレ、シバヤシ・キヨシっていいます。よろしくな!」
彼は少し苦笑を見せた後、曇りのない真っ直ぐな目を私に向けて自己紹介をしてくる。
「はあ……。よろしく。」
『よろしくな!』と気さくに言われてもな……。
私は盛大に人見知りして、激しく目を泳がせてしまう。
こういう……なんだろうな、初対面の人間が恐いと思ってしまう。
「それでエチル、彼はどうしてお客さんになったの?」
話題を逸らして彼の眼から逃げることにする。
「ちょっとシバヤシ君とご縁があって、色々とお話して仲良くなってね。ロマンチックな場所があるから来てみない?と誘ってみたのよ。」
そういう事で、『シバヤシ』といった男はエチルに連れられて、部屋の熱帯魚や多肉植物を見て回る。物珍しそうに眺める割には「わあすごい」「へえー」「綺麗だね」と、ありふれた簡素な感想しか口に出さない。心なしか、水槽を見ている時間よりも横のエチルを眺めている気がする。
もしやこの男、エチルが目的でこの部活に来たのではないか。
エチルは一通り部室を案内すると、シバヤシに地球部の説明をした。
「ここは地球部といって、地球の自然に関する色々な現象を学んだり、経験したりする部活なの。ひとえに学ぶといっても、休日に先生に連れられて外で星を眺めたり。隔離壁の外に出て、生き物を観察したり、採集したりって感じね。アクティヴィティを楽しむ的な?ユル~くやってる部活なんだけど…。どう?シバヤシ君、そんなに時間は取らせないから入部してみない?」
エチルはこの男を部活に入れようというのか。
私はエチルと男の近くに歩み寄り、『地球部は決してアソビ感覚で活動している訳じゃない。確かに他には無い魅力や、興味深さはあるけど。それらを自分達に都合のいい解釈で消費したり、生半可な気持ちで参加しないでほしい』と、忠告を入れようとした。
しかし、エチルが顔をぐっと近づけてきて、右手で私の口を塞いだ。
「ハスィ、そんな初心者お断りなこと言わないで。シバヤシ君だって素人なんだから、これから教えればいいじゃない。」
「それは…。」
エチルは私の言いたい事を察していた。
(甘い言葉で人を釣ってどうしたいの?)
私は眼を鋭く尖らせて、不敵な笑みを浮かべる彼女に訴えた。
「部員確保しないと、新興部活は潰されちゃうんだから。それに、ツキノワ先生も女だけより、男子部員もいた方がやりやすいでしょう?」
そうあざとくウインクしてみせて、エチルは私の口から湿った手を離す。
『取り合えず黙っとけということか』
エチルはシバヤシの何が気に入ったのだろうか。彼女は下心が見え見えの男と仲良さげに喋っている。シバヤシは時々こちらに視線を向けて、目があうと笑ってみせたりもしたが、私は二人の関係に不信感を抱かざるを得ない。
しばらくして、完全下校のチャイムが鳴り響き、気づけば外は静かな暗闇になっていた。
エチルはシバヤシをいたく気に入っている様だが、私は地球部に必要な人間だと思えなかった。
そして、女子寮と男子寮の分かれ道まで一緒に歩き、彼は「今日は楽しかった!また明日な!」と言って、非常に満足げな様子で去っていった。
エチルは笑顔で手を振り、彼の姿が見えなくなると、ふうと息を吐いてから私の顔に目を向けた。薄黄色にぼやけた街灯の光が、彼女の左頬を不気味に浮かび上がらせる。
軽く目を細め、やや口角を上げると、彼女の基本である『余裕さ』が存分に際立った微笑みになる。
「ハスィ、何か言いたげな様子ね。わかったわ、部屋に戻ってからゆっくり話しましょうか。」
エチルもエチルだ。
何もかも見通しているような…不気味な老獪さがある。
だからこそ、私の最大の理解者なのかもしれない。
だが、言動行動余裕のある佇まい全てが、反って恐ろしいとも感じていた。
部屋に帰ってきて、糊のパリつきが残る紺色の制服から、普段着の緩やかで気楽な鼠色のパーカーに着替える。
「何故エチルは急に、今頃になって部員集めを始めたの?」
話の口火を切ったのは私の方だった。エチルは二段ベッドの上でCフォンをいじりながら答える。
「生徒会の方から脅されたのよ。今年から部活に関する規定を変えるってね。部員が十人未満四人以上の団体が『同好会』、十人以上もしくは何らかの実績を持つ団体が『部活動』。四人未満の実績のない団体は教室も顧問も付けてくれないって。」
「そういう事情は大体察してた。だけど、あの何も考えてなさそうな男を直接誘う必要があるの?部員が欲しいのなら、学校中に概要を載せたポスターを貼るなりして……。」
「そう言うならあなたがポスターをやりなさいよ。それに、ハスィの案を採用したって、有望な人材が来るとは限らないわ。」
「ン………、」
「あなたは理想が高すぎるのよ。最初から出来てる人間なんて、そうそういないモノよ。部活は来る者拒まず、去る者追わずなんだから、誰が入ってこようがあなたは拒否できないわ。」
「でも……。」
「大丈夫、彼は決して悪い人じゃないわ。私が保証する。それに、ハスィの人間嫌いを治すいい薬になるかもよ?」
「フン……私はエチルだけでいい。」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。でもね、彼も……。」
突然、ポケットに入れていたCフォンが振動する。
画面を見ると、『地球部に招待されました』という通知が表示されていた。
「このグループには既にシバヤシ君がいるわ。入部を決めてくれたみたいね。」
「エチルが仕組んだくせに……。」
私がそう言って歯ぎしりすると、エチルはケタケタと笑いながら……。
「諦めて受け入れなさい。部活というモノ、そういう事もあるわ。それに相手は男の子。恋仲に発展するかもしれないわよ?」
「それは絶対に無い、何故なら……。」
私はそう言い終えないうちに、グループチャットの参加ボタンを押した。絶対に期待なんかしない、エチルの目論見通りになんか、という反骨心を抱いて…。