37.キバとエチル
状況が何も進展しないまま十二月に入り、再び冬服を着込む季節を迎えた。
シバヤシやマドレルが不参加の採集調査も何度か行ったが、寒くなるにつれて、生き物たちは冬眠の準備で動きが鈍くなっていった。
「エチル、ハスィが救われるにはどうしたらいいと思う?」
「なに偉そうなことを言ってるの……そんな事がわかっていたら苦労しないわよ。」
地球部の雰囲気は至極穏やかで、文化祭以後安定を保っていた。
ハスィを完全否定する人間、ストレスになるような人間がいない為、当たり前だと思われるが……。それは現状維持以上の意味を持たず、問題を先送りにしているだけだった。
「唐突に訊いてくるぐらいだから、お言葉はそれだけじゃないでしょう?」
エチルのいやらしい目つきが、ソファに座っている俺を揶揄う。
「俺が行きついた結論の一つは、『逃げ』だ。」
彼女は一瞬怪訝な顔をしたが、うんうんと頷いて続きを聞いてくれる。
「プライドも、責任も全部捨てて、自分も他人も気にしない世界に逃げる。」
「そんなあまったれた世界なんて無いわよ。あるとしたら……。」
「『死を選んだ世界』」
口ごもるエチルを出し抜いて、はっきり言ってやった。
「周りに迷惑をかける、周りの人間がストレス。我儘を突きとおすエゴもなければ、共調することも出来ない。何をやっても苦痛ならば、いっそのこと死んでしまった方が楽なのではないか?」
「キバ君……あなた、相当疲れてない?」
事実、俺はかなり精神的に疲れていた。
簡単に死ぬとか言ってしまうあたり。
「いや……かなりサイコなこと言っているわよ。疲れてるんだったら……おっぱいでも触らせてあげようか?」
「プライドが高いのを知っているだろう。」
「そうね……。」
そんなに強く言ったつもりはなかったが、意外にもエチルは本気で心配しているようだった。申し訳なさそうな顔をしながら、テーブルにお茶を出してくれる。
「でも、誰もが一度は通る道だと思うわよ。自分にしろ、他人にしろ、生きている意味について考えることは。特に、地球部なら尚更じゃない?」
俺の隣にゆっくり腰を降ろすと、身体を寄せて密着させてくる。
「何故向かい合わせに座らない。」
「こうしてた方があったかいからよ。たまに人肌が恋しくなるときがある。」
「こんな不細工で、根暗で、寒い台詞ばかり吐くダサくて気色悪い男にくっついて、何が楽しい。」
エチルはにやりと笑うと、絡ませるように腕を抱いてくる。
「私は一度、キバ君に好きだって気持ちを告白してるのよ?まだ返事はもらってない。だから……」
微妙に話が噛み合ってない。
「ハスィが羨ましいのよ。こんなにも自分のことを頭一杯にして考えてくれる人が。」
女にくっつかれていると、体がポカポカしてくる。しかし、驚くほど冷静でいられる。垢抜けた資格を持っている訳でもないのに。
「俺はそれがとても悔しい。間違った人間を受け入れるなど、傷の舐めあいでしかない。そうなったら、人間として終わりだ。だからエチルは……。」
「ハスィを再教育しようとした……でもね。」
彼女はわざと悪いニュアンスを使って表現した。
「死ぬことが一番楽なんじゃないかって、そんなことは誰もが一度は辿り着く結論なのよ。だけど、彼女には死を選ぶより、生きる事を優先する理屈があるんじゃないの?」
エチルは、このまま脱ぎ始めるんじゃないかと思えるような勢いで、煽情的にすり寄ってくる。
「でも、ハスィオリジナルの理屈が生き続けたら、いつかは社会に殺されるわ。だから、彼女を守るために理屈を再教育する。」
納得に値する一つの結論だった。
(ハスィの面倒を見る義理が、俺たちのどこにあるのか?)
(じゃあ、俺たちの生きる意味とは何なんだ?)
(俺たちのお節介を、彼女は了承しているのか?)
(それはそれ、これはこれ)
瞬時に現実世界へ帰ってきた。
相変わらず、エチルはぴったりぎゅうと密着したまま。
「なんか興奮してきちゃった。発情っていうのかしら?これ。」
言葉の意味が分かるだけ、ほのかに桃色に染まった女の顔が気色
悪かった。
「地球部の諸君ごきげんよー!今日は珍しくハスィ君と登場だア!イエーイ!」
俺とエチルが隣り合って密着している所へ、ツキノワ先生とハスィの陽陰コンビがやってきた。
性格の温度差が激しい二人だが、意外にも仲は良く、学校でも一緒にいるところを見かける。理由は多分、地球について圧倒的な知識と経験を持つツキノワ先生が興味深くて仕方ないから。
ハスィはそんな奴だ。
しかし、そんな感想を呑気に浮かべられるほど、状況は穏やかではなかった。
「二人とも何やってんの、」
若干軽蔑してるような目で、こちらを見下してくる。
「こうしてる方があったかいのよ。」
部室には飼育環境の関係で、暖房器具が設置されていなかった。
「そうだぞ、ハスィもこっちこいよ。」
「キモチワルイ、」
俺は誤魔化し半分でおちゃらけてみせたが、恥をかいただけだった。ツキノワ先生はめっちゃ大笑いしてる。
俺はエチルを無理やり押しのけて、反対側のソファに移動する。
そして、元いた場所にハスィが座り、俺の隣にはツキノワ先生が座る。
ツキノワ先生が厳粛な咳ばらいをして、早口気味に喋り始める。
「えー、今日は今年最後の調査計画の話を持ってきた。これから向こう数か月は、山の連中は冬眠に入って動かなくなる。既に採れにくくなっているが、この次の調査はしばらく無いと思ってくれ。」
「本題に入るとしよう、今回は久しぶりに海へ行こうと思っている。」
ぴくりとハスィが反応する。
関係ない話だが、彼女は山川よりも海の方が好きらしい。
「でも、今の季節は寒くて、とてもじゃないけど水に入る気にはなれませんよ。もしかして、ウェットスーツとか着るんですか?」
「いや、水の中には入らない。」
ハスィの質問にツキノワ先生が答える。
「それでだ、新たな試みとして『夜』に行こうと考えている。」
「夜……ですか。何を採りに行くんですか?」
「フッフッフ……それは秘密だ。」
普段は無感情な青髪少女の瞳が光を持ってキラキラと輝く。
「なので、寮の方には事前に深夜帯外出届を申請しておいてくれ。必ず責任者の欄にツキノワケイと書いておくようにな。そして、調査予定日は……。」
ツキノワ先生は不敵な笑みを浮かべながら、必要のない変な間をとる。勿体ぶって、俺たちの反応を楽しみたい時はいつもそう。
まあ、期待したリアクションを取るやつはハスィだけだが。
「来週の金曜日の夜!そして、制服のまま学校から直で海に行くぞ!」
確かにイレギュラー、衝撃はあったが……。
普段、採集に出掛けるときは、地形や環境に適した装備をするのが基本。動きづらくて、かつ汚れたら困る服装は最も避けるべきなのに……。
「制服で行く意味はあるんですか?」
「おう!いや、完全なる気分だ!」
気分かよ……。
「大丈夫、何かやらかさなければ汚れることはないし、安全はこのツキノワが保証する。まあ、強制はしないがな。汚れることが不安なら、着替えを持ってきてくれて構わないし、何なら制服以外のオシャレな服でもいい。あ、でも防寒はしっかりした方がいいな。」
ハスィは腑に落ちない顔をしている。
そんな彼女の様子を見て、先生はこう付け加えた。
「まあな、完全なロマンだよ。」
「ロマン?」
「そう、地球との共存が進んで、いつの日か普通の高校生が制服のまま、当たり前に自然を楽しめるようになったら、とても素晴らしいとは思わないか?。」
「はあ……まあ、そうかもしれないですね。」
心の入ってない生返事だ。
ハスィからしたら、能天気な高校生は、安易に環境を破壊しかねない不安要素なのだろう。自分たち有識者の成長に興味はあれど、嫌いな連中の成長には全く期待してないのが、彼女の考え方の特徴だった。
「でもな?正しい楽しみ方をしないと、また自然は恵みを与えてくれなくなる。美しさに気を取られて、過ちを繰り返さない為にも、私たちが正しい自然との接し方をみんなに伝えていくべきだと……まあ、そんなところだ。」
そう話を締めると、ツキノワ先生は立ち上がって大きく伸びをしてから、「今日は解散!みんな気をつけて帰るように!」と言い残して、大股で部室を出て行ってしまった。




