5.御前試合で剣を捧げられてしまったので
閲覧とブクマをありがとうございます。
とても嬉しいです。
奇跡というものは起こそうと思って起こせるものではない。
だから僕のこの影響力だって、前もって準備していた事なんて一度もない。
いつも突発的に、事故みたいにやらかしちゃって、後から僕だけの常識だったんだって気付くんだ。
この世界は元の世界の中世ヨーロッパよりは江戸時代に近くて、だからこそ僕もそこそこ快適に暮らせているんだけど、それでも遅れているなぁと思う事は沢山ある。
だからと言って科学が万能だとは思わないし、僕が偉そうに文明の発展に協力しようだなんて気もない。
大体、高校卒業間近の女子高生に、どんな知識があるんだっての。
いや、教育レベルは高いかもしれないんだけどさ、僕がそれを活かせる程には優秀じゃなかったって事だね。
そういう訳で、僕はいざ豆知識を披露して見せようなんて意気込んだところで、なーんにも思い浮かばないんだ。
読売に書いて貰う為に、奉納部のギーや下っ端料理人のテオに僕が祝福を与えるって話をしてしまったというのに。
しかもみんなの前で、ちゃんと分かる形でするからって宣言したんだ。
馬鹿だよねぇ。僕は聖者でも何でもないのに。
「フゥ……」
思わず溜め息を吐いたら、仮縫いの手伝いをしていた女性が手を止めて顔を上げた。
「リュシアン王子、どこかキツいところがありますか?」
僕は慌てて首を振り笑顔を作る。
「ううん、大丈夫。ほら、僕が大勢の人の前に出るのって初めてでしょう? 覚えることがいっぱいあって、ちょっと疲れているんだよ」
「まあ! 王子は礼儀作法も立ち居振舞いも完璧ですのに」
「そんな事はないよ」
精神年齢が高い分、普通の子供に比べたら大人びていたってだけだよ。
「それでは仮縫いはここまでに致しましょうか?」
「ううん、時間がないんでしょ? 僕は平気だから、このままお願いします」
「王子のお優しいお心遣い、感謝致します」
両手を胸の前でクロスして目を伏せる仕草に、どことなし日本に共通した奥ゆかしさを感じる。
この世界って、街並みや服装なんかはヨーロッパに似ているけれど、精神性はちょっと日本を感じさせるところがあるんだよね。
僕はちょっとした共通点を見付ける度に、心がフワッと軽くなるんだ。
「少し腕を上げて戴けますか? 生地が引き攣れないか確認しますので」
「はい。これで良い?」
「ありがとうございます。刺繍の歪みも生地の攣れも無いようです」
男のデザイナーがホッとしたようにそう言ったがまだ終わりではない。試着の服はもう一着ある。
今着ている濃紫の服は夜の祝賀会用で、本命はこれから着る白い服だ。
「おお、輝くばかりにお似合いです!」
白い服を着た僕を見て、デザイナーも手伝いの女性も目をキラキラさせた。
だけど僕としては、こっちの服は遠慮したかったんだよね~。
だってまるで白い長ラン(丈の長い詰め襟の学生服)みたいなんだもん。
どこぞの乙女ゲームにでも出てきそうな、少しだけ聖職者っぽくもある衣装にはびっしりと金糸で刺繍が施されていて重い。
「これまで白い衣装は殆んど作った事がありませんでした。神の色を着こなせる方がいらっしゃらなかったからです! きっと、この衣装を身に纏われたリュシアン王子のお姿に、皆が目を奪われますよ」
デザイナーの目がうっとりとしていて気持ちが悪い。
彼自身が優男だし、武張ったこの国のデザイナーにしては珍しく耽美趣味なのかもしれない。
「僕は主役ではないので、目立つ必要はありません。もう少し地味にしてくれても良かったのに」
「とんでもない! これからまだ宝石を縫い付けるのですよ」
ウヒー、勘弁してくれ。
石なんか付けた日には更に重くなるじゃないかぁ。
僕は王妃より目立つ訳にはいかない、少し控えなければ不快にさせてしまうだろうとアドバイスした。
「む……確かに、化粧や装飾品など無くても王子は十分に煌びやかですからね。宝石の光など、邪魔でしかないかもしれません」
僕はそんな事は一言も言っていない。
話を聞かない人種って、どこの世界にもいるんだね。
「オーギュスト、兎に角これ以上の付け足しは禁止ね。約束だよ?」
僕がデザイナーを見上げながらそう頼んだら、彼はニヤニヤと笑み崩れながら頷いた。
こいつ、ちょっとショタコンの気があるんじゃないのか?
僕は、今後はなるべく彼に近付かないようにしようと心に決めた。
こうして、着々と準備が整い、僕が何も思い付かないうちに御前試合の日の朝を迎えた。
「やっばぁ~い」
流石に、大口を叩いておいて祝福は出来ません、では拙いだろう。
かと言って光らないのに祝福だけするのもイマイチだ。
読売にだって ”精霊の王子が再び奇跡を起こす!” とか、”聖なる祝福を授けられる戦士は誰だ!” とか派手派手しく書き立てられていたのに、今更しょぼい祝福なんて見せられないよ。
「困ったな~」
僕はウロウロと部屋を歩き回った。
そうこうしているうちに部屋付きの女官がやって来た。
「リュシアン王子、おはようございます。今日はいよいよ午前試合の日ですわね」
「おはよう、アンヌ。そうだね、雨も上がって良かったよ」
「ええ、本当にいいお天気になりました」
アンヌがシャッと音を立ててカーテンを開けると、部屋いっぱいにキラキラと陽光が射して、窓から水色の空が見えた。
「王子、虹が見えますわ!」
はしゃいだ声を上げるアンヌの後ろから僕も空を見上げる。
空気が澄んでいる所為か、色が濃くてくっきりと見える。
「綺麗に七色に分かれているね」
僕が何の気なしにそう言った途端、虹が眩く光った。
「リュシアン王子! 奇跡が!」
いやいやいや、今の一体どこに常識を塗り替える要素があったよ。
僕が人知れず冷や汗を流していると、アンヌのはしゃぐ声が響いた。
「まあ、本当に虹色が七つも見える!」
それか!
僕はアンヌの言葉で前世での知識を思い出した。
日本では七色に見えている虹が、実は他の国では六色だったり五色だったりする。
これは文化の違いによって、色を表す単語があるかないかの違いなのだそうだ。
確かに色の境目がある訳ではないから、青と藍色を区別しなければ一色減るし、橙色を認識しない人もいるらしい。
「はぁ、レインボーカラーが七色って常識は、日本人だけのものか~」
僕は空に掛かった光の帯を、七色も認識した日本人の感性を素敵だと思う。
そして虹は七色だと思い込んでいる僕が常識を書き換えたので、この世界でも虹は七色に見えるようになった。
「うん、虹はやっぱり七色だよね。でも……」
何でこのタイミングで発揮しちゃうかなぁ!
どうせなら祝福のタイミングで、僕にとっての虹は七色だって言えば良かったのに~。
悔しくて地団太を踏みたいところだけど、王子がそんな真似を出来る訳がない。
僕はひっそりと涙を呑んで、運ばれてきた朝食を食べた。
売られていく仔牛のような気分で円形闘技場に入ったら、物凄い歓声が上がってひっくり返りそうになった。
「な、何を騒いでいるの?」
「リュシアン王子のお姿を拝見したからですわ」
「ええ?」
僕はロッテの言っている事が全く分からなかった。
だって僕はまだ六歳で、公式行事にだって殆ど顔を出した事が無い。
ましてや庶民にまで知られている筈が――あ、読売だ。
読売で派手に書いて貰ったんだった。
「そんなに精霊の加護って珍しいかな~」
大騒ぎするほど大した事は出来ないんだけど。
僕がホケ~っとしていたらロッテに窘められた。
「珍しいに決まっているではありませんか! 精霊が見えるのも、加護を頂けるのも、世界中でリュシアン様お一人なのですよ。それに今朝の奇跡を目にしたものも多いのです。真っ青な空にくっきりと浮かび上がる虹が輝いて、誰もがその敬虔さに打たれたのです」
ええー、それは別に神の奇跡とかそういうんじゃなくて、単なる常識の違いを力技で塗り替えちゃっただけなんだけどな。そこまで感動されるとなんか申し訳ないよ。
「リュシアン様がこの後、優勝者に祝福をお授けになると知っていますから今から期待が高まっているのです」
やーめーてー。あんな派手なのを見た後で光らない祝福? そんなの誰も納得する訳がないじゃん!
「リュシアン様? どうなされました?」
「いや、ちょっと……この服、暑いなって」
「今日は雨上がりの好天でちょっと蒸しますからね。でも、いつものように精霊にご加護を賜れば良いではありませんか?」
「ああ、うん。そうする。ニア、ちょっと涼しい空気を貰えるかな?」
僕はいつものように、精霊に頼んで服の中に涼しい風が通るようにして貰った。
ついでに王族の観覧席一帯を涼しくして貰った。
「リュシーのご加護はありがたいですね。化粧が崩れなくて済みます」
にっこりとほほ笑んだ母上に感謝され、僕もにっこりと笑みを返す。
その光景を父上が厳めしい顔を微かに緩めて頷いている。
これでもこの人は国一番の剣士なのだけど。
「あの、父上は見ていて歯痒くありませんか? だってみんな、父上から見たら未熟者でしょう?」
僕の言葉に父上がはっはっは、と楽しそうに笑った。
「リュシー、それを言うなら私もまた未熟者だよ」
「そんな、父上より強い人間なんて――」
「おるよ。剣で敵わなくても知恵で勝つ者、人の力を借りて勝つ者、運頼みで勝つ者、私を倒せるものなど幾らでもおる」
流石に幾らでもはいないでしょ。
でも分かった。剣で一番になっても他の力には負けるかもしれない、完成した剣術なら全てに打ち克つ筈だから、自分もまた未熟者だと言うのだ。
「剣士として完成した人間がいると思いますか?」
「この国の始祖様、アダン・コンスタンティノープルが剣聖と伝えられている」
「あらゆるものを剣一本で退けたという始祖様ですね」
きっと箔付けの逸話だとは思うんだけど、なんかもう阿呆みたいに強いこの国の人達を見ているとそういう事もあったのかもしれないって思えてくるんだよね。
僕みたいな規格外の転生者だっているんだし、案外と始祖様も異世界転生者だったりして。
「始祖様は聖剣を残されたのは知っているな?」
「はい。誰にも抜けない剣です」
「午前試合に勝つと、抜くのを試す事が出来る」
「それは知りませんでした。これまで抜けた人は――」
「勿論、おらん」
ですよね~。
「父上は試した事はありますか?」
「いや、ない」
「意外ですね」
「抜けても抜けなくてもガッカリしそうでな」
ニヤリ、と悪戯っぽく口の端を上げたのが漢臭くて格好良い。
畜生、気持ちは女の子だけど憧れちゃうよ。
「それよりほら、次の試合が事実上の決勝戦と言われておるからよく見ておけ。どちらかがリュシーが祝福を授ける相手だ」
「……はい」
あああ、常識の違いを探そうと思っていたのに、つい父上とお話し出来るのが楽しくて忘れちゃってたよ。
どうしよう!
僕はわたわたと慌てて辺りを見回した。けれど前世との差異なんて目に付く訳がない。
こうなったらこじつけでも迷信でもいいから何かないか、といよいよ追い詰められても何も出て来ない。
そして長い戦いにもついに決着が付き、その後も消化試合のようなものなのでさっさと済んでしまった。
「リュシアン、用意はいいか。参るぞ」
僕は父上に促され、立ち上がって何千人もの観客の視線を浴びた。
ヤバイ、帰りたい。
神様、どうかこのピンチをお救い下さい!
心の中で助けを求めたけれど、勿論、個人の頼みを聞きつけるような神様ではなかった。
僕はご丁寧にもこの為に設けられた壇の上に立たされた。
どうしよう、倒れそう。
目の前に跪いた優勝者は、熊よりも大きな男だった。
「リュシアン王子にこの勝利と剣を捧げます」
捧げられたくない。
でも、どうやら笑って済ます事は出来ないようだった。