3.レオナールとの初対面
閲覧をありがとうございます。
幼児期は駆け足で通り過ぎる予定です。
僕は最近、とても悩んでいる事がある。
この髪を、そりゃもう立派に巻いちゃってるこの金の髪を、切るべきか伸ばすべきかだ。
幼児の頃は、多少髪が長かろうとふわふわしていようと問題はなかった。
でも僕ももう六歳になったのだ。
こちらの世界の貴族の六歳と言ったら、婚約者だっていておかしくない年齢だもの。女みたいにチャラチャラと髪を伸ばしているのはおかしい。
そう理性では分かるのだけど……。
「うわぁん、切りたくないよぅ!」
だって天然の巻き毛だよ? 蜂蜜みたいな黄金色だよ?
前世では少しうねりの出てしまう剛毛の黒髪だったから、外国人の髪質に憧れていたんだよ。
それがこんな素敵な髪質に生まれ変わったんだから、伸ばしてみたいに決まってるじゃん!
絶対に似合うし可愛いから!
僕は鏡の中の自分と目が合って、ドンッ! と手を突いた。
「僕は、王子だから……」
だから髪を切るのだ。
僕は髪を伸ばすのを諦め、もっと男らしく、背が伸びるようにと沢山の牛乳を飲んだ。
「リュシー、牛乳を飲み過ぎて腹を壊したって? 馬鹿だなぁ、どうしてそんな事をしたんだよ」
寝込んでいる僕の枕元に座ったカミーユが、くしゃりと頭を撫でてくれた。
「馬鹿じゃないもん。牛乳を飲むと背が伸びるから、それで――」
「チビなのを気にしてんのか? 抜け出すのに便利だから良いじゃないか」
「ヤダよ! 僕だって、大きくなりたいよ」
カミーユの軽口に腹が立って、じんわりと目に涙が浮かぶ。
それをカミーユが指で拭いながら言った。
「お前だってちゃんと大きくなっているさ。比べる相手が僕しかいないから、全然伸びていないような気がしているだけさ」
「……本当?」
「そうだよ。去年の服だってもう着られないだろう?」
「同じ服を何度も着たりしないよ」
「そうか、王子だもんな」
「うん」
僕らは顔を見合わせて、同時に噴き出してしまった。
「母さんに言って、去年の服を見せて貰ったらいいよ。きっと思っているよりも小さくて、吃驚するぜ。僕なんて、直ぐにシャツが短くなる、パンツの丈が合わなくなるって文句を言われてばかりだ」
「へぇー、ロッテもそんな事を言うんだ?」
王子の乳母なんだから、給金はたんまりと貰っていると思っていたんだけどな。
「下級貴族や庶民は肌着やシャツくらいは自分で縫うからな、手間が大変なんだってさ」
「そっか。こっちにはミシンがないもんね」
「は? 何だって?」
「いや、何でもないよ」
この世界にはまだ化繊もないし、ミシンもないから服は貴重品なんだ。
もしかしたら、庶民は古着を着るのも当たり前なのかもしれない。
「あっ、そうだ。腹痛に手を当てたら治るんだよな? 僕が当ててあげようか?」
「もう薬を飲んだから平気だよ」
「でもまだ痛いんだろ?」
そりゃー、治まったとはいえ、トイレもいっぱい行ったからまだシクシクする。
「じゃあ、ちょっと撫でて貰おうかな」
この体はまだ男の子だし、子供なんだから問題はないだろう。
僕は寝間着をぺろんと捲って、カミーユにお腹を擦って貰った。
「ふぅ、気持ちいいよ。カミーユ、ありがとうね」
「早く治せよ。リュシーがいないとつまらないからな」
そうか、カミーユは僕の相手役だから、僕がいないと剣術の稽古も講義もして貰えないんだ。
僕はもう少し、周りの人間の立場にも気を回さないといけないな。
「午後からはいつも通り、動けるよ」
「無理しなくていいよ。僕も仕事があるから、また明日な」
カミーユはそう言うとそそくさと部屋を出ていってしまった。
「なんであんなに急いで出ていったんだろ。仕事が忙しいのかな?」
僕は不思議に思ったけれど、直ぐに考えるのを止めて体を起こした。
そんな事より、カミーユに手当てをして貰って体調も良くなったので、もう寝ている必要はない。
流石に外に出るのは止められるだろうから、部屋の中で出来る事をしよう。
「久し振りに、精霊達とお喋りでもしようかな」
この世界の精霊は僕にしか見えない。
昔は聖職者とか子供とか、少しは見える人もいたらしいけど、今では精霊を光として認識できる人がごく稀にいるだけになってしまった。
学者なんかは社会が発展する事と引き換えに人々が適性を失っていったと仮説を立てているらしいけど、じゃあ僕って先祖返り? になっちゃうじゃん。
どうせなら、何人かはそういう人がいたら良かったのに。
まあ誰も本当の事を知らないのを幸いに、適当に誤魔化しているから文句は言えないんだけどね。
僕は部屋に常備しているお菓子の缶を開け、クッキーを一枚取り出して、お付きの精霊ニアを呼び出した。
「ニア、皆にもクッキーをあげるから呼んできて~」
ニアはクッキーを両手で抱えたまま、心話で近くにいる仲間達を呼び寄せた。
精霊同士は離れていても心話で会話が出来るので、こうして直ぐに伝えられるのだ。
「ん~、今日は空の精霊とハーブの精霊だね。さあ、クッキーをお食べ」
たまたま近くにいて、寄ってきてくれたのは二匹だった。
外だともう少し多いのだけど、精霊は室内を余り好まないから仕方がない。
「お代わりもあるからね」
僕は彼らが満足するまでクッキーを与え、一息ついたところで話し掛けた。
「最近、お城の中で内緒話をしている人達はいたかな?」
「いたヨ。宰相、カペー子爵、レニエ伯爵」
「どんな話をしていたの?」
「王子、カワイイ。カワイイだけ、王子」
いつもの悪口じゃん。ほんと、あの人達も飽きないよね。
「他には?」
「レオナール公子、陛下に似テル。そっくり」
「……ふうん。それだけ?」
「それダケ」
そうか。あの人達も、城内で決定的な言葉を口にしないだけの分別はあるんだね。
でも会合は重ねて、親睦を深めているってところかな。
まあ、代わり映えのしない面子だから良いんだけどさ。
しかし精霊は人間の内緒話を聴くのが好きって、随分と都合の良い習性だよね。
お陰で僕は城内の噂話も謀も、少しは他国の事情だって知ることが出来る。
「どうもありがとう。また宜しく頼むね」
「わかッタ。またクル」
二匹の精霊はパタパタと飛んでいなくなった。
彼らは光となって高速で移動するか、羽根を使って蝶々くらいのゆっくりとしたスピードでしか動かない。
もしも見える人が沢山いたら、簡単に捕獲出来そうだ。
それにしてもレオナール公子か。確かもう二歳になるんだよね。
えっと、二歳児ってもう喋って歩くんだっけ?
きっと益々父上に似てきているのだろう。
下手したら、銀髪のブロイ公爵よりも父上の方に似ていたりして……。
うわ、それって流石に父上も寵愛しそう。
大貴族の嫡子でも国王に謁見出来るのは六歳からなので、それまでは関わる心配が無いだろうけど……四年後には確実に目に留まる。
そして四年後には僕はもっと少女じみているかも知れない。
「うわぁ、憂うつだなぁ」
ただでさえ僕は女性化を誤魔化さなくちゃいけないのに、比較対象が増えるのは勘弁して欲しい。
レオナールが髪を伸ばしたり女の子らしい物が好きだったり、女々しい気質だったら良いのになぁ。
僕がそう現実逃避をしていたら、珍しくバタバタとした様子でロッテが部屋に入ってきた。
「リュシアン王子、カミーユは来ていませんか?」
「一度お見舞いに来てくれたけど、直ぐに仕事に戻ったよ。いないの?」
「いえ、来ていないのならば良いのです。失礼致しました。王子はゆっくりとお休み下さい」
ロッテがまた慌ただしく部屋を出ていき、暫くしてカミーユがそっと忍び込んできた。
「カミーユ、何をしたのさ? ロッテが慌てて探していたよ」
「リュシー、それどころじゃない。レオナール公子が城に来た」
は? 何を言っちゃってるの? そんなの、無理に決まってるじゃない。
「カミーユ、六歳になるまで国王には謁見出来ない決まりだよ。それは公爵だって変わらない」
「ブロイ公爵夫人は妹として、兄を訪ねてきた。そのついでに甥を会わせても、私的な顔合わせだから構わないって理屈だよ」
「詭弁だ!」
幾らなんでもそんな言い分が通る訳はない。
でもカミーユは悔しそうに唇を噛んで俯いて、絞り出すような声で言った。
「リュシーの、乳兄弟が陛下にお目にかかっているのに……まさか甥の顔を見るのもイヤとは言いませんよね? って……」
「卑怯だ!」
それは父上がカミーユを見かける事も、声をかけた事だってある。
だってカミーユは僕の乳兄弟で、城内に住んでいるのだから一度や二度くらいそういう機会だってあったさ。
それなのに貴族の子息の謁見は六歳を過ぎてから、という規則を曲げる口実に使うなんて。
それとこれとは絶対に違う話なのに。
誰だって無茶だって分かることを、夫人は血筋を嵩にきて強行したんだ!
降嫁したら王族ではないのに!
「許せない!」
僕は頭に血が昇ったまま部屋を飛び出した。
「おい、待てよ! リュシー!」
カミーユが慌てて追い掛けて来たけれど、精霊の力を借りられる僕の方が足だけは速い。
僕は後先考えずに国王の談話室に飛び込んで、ヤンチャそうな黒髪の子供を見て固まって動けなくなった。
「リュシー、どうした? 休んでいたのではなかったか?」
父上に気遣わしげに声を掛けられ、母上に心配気な視線を送られてハッと我に返った。
「えっと、従弟殿がいらしていると聞いて……僕、会ってみたくて」
「おお、そうか。これがレオナールだ。顔を見るが良い」
「はい。こんにちは、レオナール公子。僕は従兄弟のリュシアンだよ」
内心の動揺を抑えてレオナールの前に膝を付き、笑いかけたらいきなり首が絞まった。
「天使様! 天使様だ!」
「ちょ、苦し……」
「綺麗ね、天使様、とっても綺麗!」
なんだこの生き物。いきなり抱き付くとかありか?
しかも結構力が強く、遠慮がない。
「助けて……」
僕がヘルプを求めたら、父上が引き剥がしてくれたのでやっと息が出来るようになった。
「はぁ、まさかこう来るとは……」
「ヤダッ! 天使様にもっとギューする!」
大胆にも父上の手を振り払おうとするレオナールに、僕はそっと手を伸ばして頬に触れた。
「レオナール公子、僕に触れる時は、こうして優しくしてね」
「だって逃げるもん!」
「逃げないよ。レオナール公子が優しい、良い子なら逃げない」
「わかった! いい子にする! だから抱っこ!」
堂々と抱っこを求められて、僕は苦笑するしかない。
この弾丸のような子の所為で、さっきまでの怒りが何処かへ行ってしまった。
僕は嬉しそうに僕にくっついてくるレオナールを抱き締め、そっとブロイ公爵夫人の様子を窺った。
うわぁ……腹立たしさと、これで今後も堂々と出入り出来るだろうという計算で顔が歪んでいる。彼女も難儀な人だね。
「兄上、このようにレオナールもリュシアン王子に懐いております。今後は兄と思って慕わせて――」
「城への出入りはならん」
「で、ですが――」
「ブロイ公爵夫人。範となるべき筆頭が決まりを破るのか?」
「も、申し訳ありません」
「此度の事は、リュシアンとレオナールに免じて不問にする。しかし二度目はないと思え」
「……仰せのままに、致します」
ブロイ公爵夫人は青い顔で項垂れてしまった。
この人も父上にだけは素直なんだよね。
僕はやたらと懐いて離れないレオナールに、再会を約束して、手紙もプレゼントも贈るからと宥めてやっと諦めて貰った。
「天使様、会いに来てね。忘れないでね!」
「忘れないよ。君の事は絶対に忘れない」
忘れられる訳がない。
僕はレオナールとの会瀬にぐったりとして、夕食もカミーユへの説明もパスして早々に眠りに就いた。
思っていたよりもレオナールを嫌いにならなくて、僕はちょっとだけホッとしていた。