7、お誘い
今回はちょっと短めです。
週も半ばを過ぎ、体が休みを求め始めた木曜日。
いつものように帰り支度をして、いざ席から立とうとした時、横から声をかけられた。
「あれ、涼太さん。もう帰るんですか? 私もう少しで終わるので飲みに行きませんか?」
左のデスクでキーボードを打っていた彼女・町井楓が告げてきた。
脱色された茶髪がかったボブカット。目は大きくクリっとしていて、化粧なのか小さな口は艶々としていて可愛らしい。少し童顔で身長も少し低めなせいか、高校生にも見えなくはない。その容姿と人懐っこい性格で、部署ではマスコット的存在として皆に可愛がられている。歳は自分の二つ下だが、入社時期的に同期にあたる。名前呼びを始めたときは打ち解けたものだと思ったが、なぜか敬語はやめてくれない。同期入社とは言え、年上だという感覚がこびり付いているらしい。
「いや、今日は帰るよ。土曜に買い物に行ったせいで休んだ気になってない」
「えっ……涼太さんが休みの日に買い物? もしかして彼女でも出来ました!?」
「なんでそうなる……。まずをもって出会いがない。色々用事があったんだよ」
あながち間違いではない。土曜日は色々あり過ぎた。早く家に帰って休みたい。
しかも、町井の中では自分は休日完全引きこもりだと認識されているらしい。
その認識が間違っていなくて否定できない自分がもどかしい。
最近では、稲森がご飯を作って待っていてくれるので食べに行くとこに少しばかり抵抗感がある。
稲森が家にいることを誰にも話してはいないし、ばれるわけにはいかない。
「えー、だって今日は木曜日ですよ! いつもどうせ最後にはいく羽目になるんですから折れてくださいよー」
なぜか毎週行われる木曜日恒例の町井との飲み会。初めは同期との交流も兼ねて、大人数で行っていたのだが、いつの間にか一人二人と飲みに行く人数が減って、今や大体は二人、多くて四人でしか行われてない。
なぜ木曜に恒例となったのかは、金曜日だと人が多すぎてゆっくりと飲めないかららしい。次の日も仕事だというのに元気なものだ。
「今日は本当に勘弁してくれ。来週は行くから」
嘘だ。多分来週にはそんな約束忘れて、また帰り際にひと悶着起こして有耶無耶にする予定でしかない。
「えー、折角今日は夏樹ちゃんが涼太さんの好きなお酒取り寄せてくれたのに。それでもいかないんですか? 手に入りにくいからすぐ無くなるかもって言ってましたよ」
何?! わざわざ取り寄せてくれたのか……。
一度店で飲んでいた際にお試しさせてもらって、すっかり気に入ってしまい、次に入る時を今か今かと待ち望んでいた甘口の日本酒だろう。これまでも何回も夏樹ちゃんに頼んで、メニューに加えるように言ってきたからわかる。
今の時代、通販でも買えるのだが、一人で家で飲んでも虚しくなるだけなので大抵は居酒屋でしかお酒を飲まない。夏樹ちゃんの店は固定のメニューだけでなく、その時の気分で置いているお酒を変えたりしている。そのため、次に店に訪れたときには置いてなかったりする商品も多い。
ちなみに、夏樹ちゃんとは町井の大学の頃からの友人らしく、今は小さな居酒屋を経営している女の子だ。町井と二人で飲みに行くときは、大体夏樹ちゃんの店で飲むことが多い。あの店のだし巻き卵は絶品で、口の中で消えてなくなっているんじゃないかというほど、ふわふわで、行くたびに頼んでいるほどの好物である。
「いま、ちょっと考えましたね? 迷うんだったら行きましょうよー」
完全に町井に心を読まれているが、考えものである。
今日行かないと多分来週にはその酒はもう置いてない。
けれど、今家には稲森がいる。一応、昼飯や、夕飯の支度で必要な買い物のためにそこそこのお金は渡してある。帰りが遅くなったところでそこまで問題が起こるような年齢でもない。ご飯を作って待っているかもしれないが、明日に回せばいいだけである。
そう思うと、だんだんと急いで家に帰る意味もない気がしてくる。
いくら女子高生を匿っているとはいえ、自分の行動をセーブされる謂れはない。
長いこと稲森のことと、飲みに行くことを天秤にかけていた。
自分の娘でもない子のために待ちわびたお酒を断れるほど、自分の心は自制が効いていなかった。考えれば考えるほど飲みに行く方がいいのではないかと、思考がシフトしていく。
いつまでも迷っていると、町井は仕事を終わらせたのか帰り支度を始めていた。
「仕事も終わりましたし、行きましょう! もう夏樹ちゃんに行くって言ってしまいましたし」
外堀を埋められ、行くとこに傾き始めていた気持ちの天秤は確実に一つの方へと落ちていった。
「わかったよ。 明日も仕事だから、遅くならん時間までなら付き合うよ」
「さっすが、涼太さん。話が分かりますね! では、行きましょうか」
稲森のことは気がかりではあったが、二か月も家出していた女の子だ。気に病むほど大きな問題は起こらないだろう。
連絡の一報でも入れられればいいのだが、連絡先は知らない。パソコンを持っていたことは知っているが、メールアドレスを聞いていないため、連絡の取りようがない。
なんにせよ高校生なのだ。一人で留守番の一つもできるだろう。
そう決めつけて、会社を後にした。