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1、出会い

 酔った。視界が歪むほど飲んだのはいつぶりだろうか。

 大学に入って初の夏休みにサークルでの旅行の際に自分の限界値が分からずにむやみやたらに飲んでた時以来かもしれない。


 終電があるからと、半強制的に連れられた三次会から逃げるように抜け出して電車に乗ったまでは良かったものの、会社近くの飲み屋から自宅の最寄駅までの3駅分電車に揺られるとさらに気持ち悪さが増してきた。

 終電を逃したくない余り駅まで軽く走ったのも悪かったかもしれない。


 駅から出たときにはもう完全にアルコール特有の高揚感もなくなり、酔いからくる吐き気と、次の日に確実に襲ってくる虚脱感に悩まされる頭痛だけが襲ってきた。


 駅から自宅までの徒歩十分が千鳥足なのと、体に襲ってくる気持ち悪さでやけに長く感じる。今すぐにでも布団に横になりたいが、これは途中のコンビニで一休みしなければ多分耐えられない。

 そんな最悪の状況でも一歩一歩歩いていけば住宅街において一際目立つ明るい建物が見えてくる。青地に白文字でローマ字が書かれた看板が燦々と夜道を照らしている。


 とりあえず酔いには水だ。水がいる。この気持ち悪さを一時的にでも癒してくれる水が急務だ。


 吐き気とアルコールで焼かれた喉のためにわき目もせずに一目散にコンビニ内を突き進み、水を購入して、コンビニを出る。ここのコンビニは都内のコンビニには珍しく、犬走りの終わり際には灰皿と薄汚れた白い一つのベンチが設置されている。とりあえず喉を潤して休憩するためにベンチで休もう。


 しかし、そこには終電も終わったにもかかわらずその場にはよほど似つかわしくない女の子が座っていた。

 綺麗な黒髪が肩から少し下あたりまで伸び、顔をうつ向かせているからか、それとも周りから見られないようにか髪の毛が顔を隠し、さながら井戸どころかテレビから出てきた女の霊のようであった。女の霊のような白のワンピースに似たいで立ちなら多分酔いなんて一発で吹き飛ばして走り去っていたかもしれない。いや気持ち悪くてできないかな。


 ただ、そこにいたのは灰色のパーカーにホットパンツ姿といういくら五月に入ったとはいえ夜中には若干の寒さを感じさせる服を着た女の子だった。

 世間ではゴールデンウィークに入ったばかりというのにこんな夜中にそんな薄着で何をしているのだろうか。


 そんなことを考えながらベンチを通り過ぎ、灰皿の反対側に立って今しがた買った水を一気に半分ほど飲み干し、気持ち悪さと灼けた喉を一気に浄化した。水を飲み、気分が落ち着いたからか、飲み会から時間がたっているからか、急に煙草への衝動が沸き上がってきた。


 ちょうど灰皿もあることだしと、胸ポケットから煙草を取り出し火をつける。

「ふ――――っ」

 最初の一口を口の中でふかしただけで吐きだし、そのまま一口二口煙草を吸っていく。


 酒の席でいやほど吸ったにもかかわらず一人で吸っていると落ち着くのはやはりたばこ元来の依存性からくるものなのか、それとも飲み会では気を張っていた反動で一人になれたことへの安心感からくるものなのだろうか。そんな煙草への思いを馳せているともう半分も吸ってしまっていた。

 

 灰を落とそうとしていると、

「あっ、あの!」

 横からいきなり大声で呼ばれた。

 

 声のした方向へと目を向けるとそこには先ほどまでベンチに座っていた女の子が立っていた。ベンチに座っていた時には見えなかった顔がコンビニの明かりに照らされてようやく姿を現した。


 知らない人に話しかける勇気からか大きめに開いた目。緊張で強張って閉じた口。その表情にはまるで似合わない小さく乗った鼻。緊張が伝わってくるほどのその顔は怖かったが、パーツがバランスよくそろえられているからか、元は整った顔立ちなのが見え隠れしている。


 一体そこまで緊張した面持ちはなぜなのだろうか。喫煙所にいるということはライターを貸してほしいのだろうか。それともお恵み頂戴のたばこ一本要求だろうか。喫煙所で話しかけられるなんて知り合いでもない限り大体この二つだろう。だが、そんなに緊張してまで聞くものでもない気がする。喫煙者に風当たりが厳しい昨今、同じ喫煙者同士ライターくらいなら快く貸すのにそこまで強張る必要はないのだ。


 そんなことを考えていたからか、彼女の次の一句が以外すぎて耳を疑った。


「今晩、一晩だけでもいいです。おうちに泊めていただけませんか!!」


 ん? 泊めてほしい?

 何を言っているのか一瞬理解ができなかった。いや、出来なかったというより唐突過ぎて理解することを放棄した。彼女は何を言っているのだろうか。泊めてほしいなんてまるで小説のような突然の出会いのシチュエーションが自分に降りかかって来るなんて予想も想像もしていなかった。


 理解しようと未だ半分酔った頭を懸命に回しても現実離れしていくばかりだった。色々と自分の置かれた状況を理解しようとそちらに意識をすべて持っていかれたせいか、煙草の火が手元まで伸びていることに気づかなかった。


「あっづっっっっっっっっ!!」


 思わず煙草を手放してしまった。半分ほど残っていた煙草がなくなるほど考え込んでしまっていた。

 地面に落ちた吸殻を拾いながら彼女を覗き見る。その顔は先ほどよりももっと険しい顔になっていた。


「あのっ! 本当に一晩だけでいいんです。何でもしますからお願いします!!」


 なんでもだとっ?!

 いや、それは泊めてもらうための口実に過ぎないか……。

 そりゃ男相手に女の子が一晩泊めてもらうとなると、体で払いますっていうしかないよな……。


 彼女がどんな理由なのかは分からないけどそういうしかないよなって思ってつい同情してしまう。けれど、そんな同情よりもより強い感情が沸き上がるのを感じる。それは男の、また20代半ばの自分が持つにはおおよそ似つかわしくない感情。


 女という性を武器にした男への同情を誘うことへの嫌悪感。または、嫉妬心。

 生まれ持った変えられないものによって行われるそんな行為が何よりも不快だった。

 この子にとっては体を差し出すことに多分の覚悟と固い意志があるのだろうが、その行為を連想させられることが嫌だった。気持ち悪かった。


 多分自分以外の男性ならある程度女性に飢えていれば彼女を一晩泊めることに多少の困惑や怖さと夜の営みの快楽を天秤にかけて泊める人がいるかもしれない。

 だが、彼女のその一言は自分にとって最悪の一手だった。

 この子も運が悪い。

 拾い上げた煙草を灰皿に落とし、未だ返事がないことに不安そうな顔をしている彼女に向けて言うことは決まってしまった。


「すまん。俺は何でもするなんてその一言が何よりも嫌いだ。だから、泊めてもらうなら次に来る若い男でも待つんだな。じゃあな」


 そう言って彼女の脇を通り抜けようと歩き出した。

 今彼女を見れば多分悲しい顔か、絶望に打ちひしがれた顔をしていることだろう。

 顔を見ればまた同情心がぶり返してきて彼女を助けようとしてしまうかもしれない。

 厄介ごとに関わらずに済むならそれに越したことはない。


 そう自分に言い聞かせながら彼女の横をすり抜けた。

 彼女とすれ違い背に彼女を構えた瞬間、彼女の手が左腕をつかんできた。酔いも十分とは言えないほど抜けきっていない状態でそんなことをされたせいで体が大きくぐらつき、彼女の方に向いてしまった。


「お願いします! 嫌がることはしません! 玄関だけでもいいです! してほしいことがありましたら私のできる範囲でやります! だから! 一晩だけでも!」


 彼女が畳みかけるように、情に訴えながらそう叫んだ。

 何でもするとは言わないまでも大して内容は変わっていない。そんなものはいくら言われても、情に訴えかけられても響かない。


「だから、そんなものは次に来る奴にでもやれって。俺は女を安売りする奴が嫌いなんだ!」


 ここまで言うつもりは正直なかった。

 つい気の高ぶるままに言ってしまった。

 後悔とは言えなくても多少の罪悪感がこみあげてくる。自分の正直な気持ちではあってもそれを押し付ける気もそれに賛同させて引かせる気もなかった。

 アルコールによる気持ち悪さが残っていたが、それとは別の不快感に苛まれていた。

 もう彼女の前に一秒たりとも居たくはなかった。

 早くこの不快感を消し去りたかった。


 だけど自分のそんなことなど気にしてないのだろう。彼女は未だ自分の腕を掴んだままこちらを見ている。

 彼女がぱっと手を離した。

 多分自分の顔がよほど怖かったのだろう。一瞬おびえた表情を見せた。

 もうこれで彼女から解放される。その安堵が込み上げてくる。


 そう思った瞬間だった。彼女がいきなり目の前で綺麗に腰を折り曲げた。

「ご、ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。ただそう言うのが一番だと思っていて……。で、でもその覚悟がないと誰も泊めてくれるなんて思えなくて……。だから、本当に何もしません。玄関でいいです。一晩だけでもいいです。お願いします!」


 そう言って顔を上げた彼女の顔は固い意志が見て取れて、一切引く気が見えなくて。

 これ以上の問答は流石に面倒くさくて、少し大きな声を出したせいでまた吐き気が戻ってきて、いち早く家に帰りたくて。

 そんな如何にもな言い訳を並び立てて、この場で押し問答することと折れることを天秤にかけて。

 何もしない、されないのなら、玄関だけでいいのならと自分に無理やり言い聞かせて、天秤がさっきとは違う方に傾いた。


「はぁ……わかったよ。一晩だけだ。もう時間も時間だから朝には出て行ってくれれば泊めてやる」

「……っ! あ、ありがとうございますっ! お願いします!」

 先ほどとは打って変わった安堵の顔を浮かべながらはっきりと言った彼女の顔は、少しばかり大人だった。


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