Play×Tag×Vampire07
「傷の治りが遅いな……」
アイゼンバーグがアタシの前に左掌をかざした。左手はあの人の剣が深く突き刺さったはずで、穴が開いていたはずだった。それなのにもうその穴はふさがっていて少しだけ痕が残っているだけだった。
治りが遅い、ねぇ。やはり吸血鬼はいろいろな意味で人間と比べてはいけない生き物かもしれない。これで治りが遅いというのにはいささか疑問があるのだが、この分の回復力なら命に別状はなさそうだ。多分胸の切り傷も治っているんだろう。アイゼンバーグもそうだけど、剣のあの人もきっと。
「良かった。それなら大丈夫みたい」
アイゼンバーグはアタシの言葉を聞いて少し驚いたような顔をしてアタシを見た。何だ、この人。さっきからよく驚くような気がする。
「……まぁな。それよりホノカもどうにかしろ。血の臭いがきつい」
言われてハッとしたアタシは自分の姿を上から下に見た。そういえばアイゼンバーグに抱えられた所為でアタシも血みどろになっていたのだった。確か顔にも血が飛んでいたような気がする。皮膚についた血は洗えるが、制服にこびりついたこれはどうにかできるものではないな。
アタシはとりあえず手や顔についた血を洗い流した。髪の毛にはついていないことを祈って水を止める。
「髪も、服もだ」
あぁ、髪の毛にも跳ねていたか。でも制服は洗えないし、下が下着なので脱ぐこともできない。今日に限ってこれだ。やはり母の言うことを聞いて着替えておくべきだった。
「服と言われても」
口ごもるとアイゼンバーグが突然アタシの襟元を鷲掴みにした。
「な、何!?」
驚いて腕を両手で掴み返す。相変わらず冷たい。ではなくてなんなんだ!
「洗えないなら脱げ」
「無理!」
即答した。だって、脱げなんて意味が分からない! アタシはこれでも女の子だし、一応人前で下着姿になるのには抵抗がある。一緒にいる相手が男であるなら尚更だ!
「アタシ一応女なんだけど!」
必死に抗議するもそれがどうしたと言わんばかりの顔をされる。もしやこの人、デリカシーの欠片もないのか? そんな綺麗な顔しておいて!
「そのままだと奴らに気づかれる。特に匂いに敏感な面倒な奴がいるからな」
面倒なヤツ? そういえばさっきもそんなことを言っていたような気がするのだが、そんなにも面倒なのだろうか。
でもこれを脱ぐことは出来ない、絶対に! 女の意地だ!
「無理なものは無……いっ!」
キュンキュンッ
話している最中で突然頭を押さえつけられて舌を噛んでしまったことはもはやどうでもいい。今までアタシの頭があったところの壁についさっきまでは無かった小さな穴が空いていることに気づいたからだ。
今アタシたちは姿勢を低くしているわけだが、アタシは全く状況が掴めていなかった。なぜ、急に穴が? そしてなぜ彼はそんなにも楽しそうな顔をしているのだ?
「アイゼ……ぅわっ!」
バキッ、ブシャァァァァ
状況を訊こうとしたら腕を強く引っ張られ、アタシは無理矢理彼の後ろに隠れる形になった。その訳を聞く前にアタシがいたところの蛇口が吹っ飛び、水が噴水のように出てきたのでアタシは口を開かなかった。ただただ驚いて、狂ったように水を吐き続けるかつての蛇口を見ているだけ。水がかかって冷たいことは驚愕のあまり気にならない。
「血に誘われて来たか」
アイゼンバーグはニヤリと笑って吐き捨て、素早く立ち上がる。そしてアタシの腕を掴んだまま走り出した。彼がすごく速く走るので足を動かしていても半分引きずられる。あぁ、靴が脱げる!
キュンキュンキュンッ!
何て思っていられない! だって確実に何かはアタシが通った後を狙っているのだ!
振り向くと地面に点々と続く穴があった。あぁっもうっ何!? 言い知れない恐怖が襲ってくる。
「ハイネグリフ、ホノカを狙っているな」
「はい!?」
何て!? ハイネグリフがアタシを狙っている? 何それ! というかハイネグリフって誰!?
「ハイネグリフって……!」
背中に向かって問いかけたが、聞こえているかは微妙だった。何しろ走る、というか引きずられるのでやっとなので声がうまく出ないのだ!
彼はひとまず置きっぱなしになっていた黒いバンの後ろで足を止めてアタシに低い姿勢を保つように促した。アタシは心臓をドキドキさせてハァハァ息切れしているのにアイゼンバーグは息一つ乱れていない。まぁ、呼吸をしないらしいから当たり前か。
「ハイネグリフは血の臭いを嗅ぐと饒舌になり、何倍も強くなる面倒な奴だ」
アタシの問いかけが聞こえていたらしく、アイゼンバーグはバンの窓からどこかを窺いながら答えた。
血の臭いを嗅ぐと饒舌になって何倍も強くなる? なんだそのパワーアップ。なんだかよく分からないが現状は相当危険らしい。だから早く血を洗い流したかった訳か。
「それにハイネグリフがホノカを殺そうとしているのは確実だ。奴はデインやマリウスとは違う。ホノカ、お前死ぬぞ」
鋭く光る牙をアタシに見せて笑うアイゼンバーグ。嘘、ちょっと死ぬってそんなに簡単に言わないでよ!
「何それ! 元はといえばアイゼンバーグが……!」
キュンキュンッ!
何かがバンを擦り抜けてアタシの目の前を通っていった! アイゼンバーグがアタシの頭を軽く後ろに押してくれなければその何かはアタシの頭を貫いていた! 何何何!? もう頭の中がぐちゃぐちゃになる!
「今ので分かったか?」
「何が!」
「ハイネグリフがホノカを殺そうとしていることだ」
ニヤリ顔に文句を言ってやりたいのだが、言ってやることは出来なさそうだった。こんがらがった頭の中に殺されるという単語だけが浮かび上がってくる。
確かに何かがアタシを狙っている。それが当てずっぽうではないことは、アイゼンバーグがいなければ恰好の餌食になっていただろうことから分かる。どこにいてもどこに隠れてもそれはアタシだけを狙っているのだ。アイゼンバーグだけを狙っていた前の二人とは違って、ハイネグリフという人はアタシを……。背筋がゾクリとした。
「!?」
突然ふわりと甘い匂いがしたと思うと魅力的な声が耳元で響いた。恐怖から、今度は溺れるように魅せられてしまい、ぼうっとしてしまった。正気に戻ったのは高らかに響く彼の声を聞いた時だった。
「ハイネグリフ! ぶっ飛んでいるんだろ?」
アタシはバンの上に立って真っ直ぐにどこかを見つめている彼を見上げた。そんなところに立っていたら危ないのに! 思ったけど口には出さなかった。彼がくれたチャンスだ。それを棒に振るようなことはしたくない。




