Play×Tag×Vampire04
苦、しい……。
肺に空気が入らないこともすごい風圧に押されている窮屈さも、アタシを苦しめる。しばらく息をするのを我慢していたがいよいよ我慢できなくなり、アタシは彼の襟元をぐっと掴んで顔を胸に埋めた。冷たくて硬い胸の中、目を閉じて集中すると少しだけ息が楽になる。
「どうした?」
声に、答えられない。すると男の子がスピードを落としてくれたのが分かった。身体が浮かび上がる感覚がしたから、きっとまたあの高く跳ぶ上下運動に切り替えたんだろう。その御陰で息が出来るようになった。ただ顔を胸に押しつけていただけのアタシを気遣ってくれたのだろうか。そうだとしたらこの人、やはり思ったより怖い人ではないのかもしれない。
「どうかしたのか?」
顔を上げると不思議そうな顔をした彼が覗き込んでいた。ホント、最初の恐怖は何だったのだろう。この表情を見ると普通の人と何も変わらないと思う。むしろ普通の人より美形だから目の保養になる。
「速すぎて息が出来なかっただけ」
彼は眉をピクリと動かした。
「息? あぁ、人間は呼吸が必要だからか。面倒な生き物だな」
そういう言いぐさということは、吸血鬼は息をしていないのだろうか。ますます吸血鬼という生き物がよく分からなくなってきた。いや、そうなると生き物ということにも疑問がある。この人は息をしていないらしく、それに決定的に生き物と違うのはこんなに胸にくっついているのに全く心臓の音がしないことだ。
吸血鬼……よく分からない。
「それじゃさっきは息が出来なくて死にそうだったのか」
コイツ。口の端を吊り上げて笑う姿はまるでアタシの死を願っていたようで、恐怖というより怒りを覚えた。
「死んで欲しかったわけ?」
嫌みたっぷりの声で聞くと彼は別にと答えた。その笑顔がムカつく。何があってもこの人の前では絶対に死んでやらない。
「今、俺の前では死んでやらないと思っただろ」
……得意げな顔が非常にムカつく。
「アタシ、まだ……っ!」
若いから。そう言おうと思ったのに、目に映った光景に驚いて声が喉の奥に引っ込んでしまった。だって誰かの足が彼に向かって飛んできているのが見えたのだ!
ゴッ!
瞬間の出来事だった。気づいた時にはもう彼の頭に蹴りが入れられていて、凄まじい音と共に彼の姿が飛んでいっていた。
蹴ったのは青の長髪の、銀色の目の男の人。瞬きすれば見逃してしまいそうなくらい短い間だったけど、アタシの目はそれを鮮明に映した。そこまで見えていたのに、口に出すよりも速く、男の人は彼を蹴った。そのおかげでアタシは
「ぎゃぁぁぁぁ!」
すごい速さで落下中である。
彼が蹴られた時、アタシは空中に放り投げられたのだ! 普通の人間であるアタシには空中で身体を止める術はなく、かといって猫のようにうまく着地できるわけでもない。落ちて地面に打ちつけられるしか、ない!
忘れていた高いという恐怖や死への恐怖が蘇ってきた。
「放さないでって言ったのにー! 馬鹿ー!」
叫んでも、声は闇に溶けてどこかに飛んでいくだけ。
あぁぁぁ! もう死んじゃう! アタシはやって来るであろう衝撃に備えて目を閉じた。
しかし待てど暮らせど衝撃はやってこない。そればかりか落ちていた感覚もなくなっていて、代わりに腹の辺りに何かが巻きついている様な感じがする。
恐る恐る目を開けると、その何かは腕であるようだった。色のない腕。この腕は、この感覚は、知っている。ゆっくり顔を上げるとアタシを見下げる彼の顔があった。間一髪、家の屋根の端でギリギリ受け止めてくれたらしい。地に着かない足がぶらぶらしている。
「誰が馬鹿だ」
白髪の間から見える真剣な顔。この人は少しでもアタシを心配してくれたのだろうか。しかしあんなすごい蹴りを入れられたのに怪我はないみたいだった。吸血鬼とはなんとも不思議な生き物だ。鉄やニッケルで出来ているのかもしれない。
アタシがぼうっと考えている間に彼はアタシをひょいと持ち上げて屋根に座らせ、
「デインのことばかりで他の奴のことを忘れていた」
笑った。その彼の横でキラリと光るものが見えた!
「危ない!」
今度はしっかり言えたのに、もう、遅かった。彼に向けられた剣の切っ先は深々と、彼が盾として出した左手に突き刺さってしまった。真っ赤な血が辺りに飛び、アタシの顔にも飛んできた。ぐしゅっ、そんな音がして彼の手から腕にかけて伝った血が、ぽたぽたと屋根を赤く染め上げる。絵の具とかケチャップじゃない、鉄の臭いのする、完璧な血だ。
「けどまぁ、こいつは戦いやすい」
手に剣が刺さっているというのに彼はあのニヤリ顔で笑っていた。そしてあろうことか自らの手をさらに深く深く剣に突き刺していった。ぐちゃ、ぐちゃ、嫌な音を立てて剣は濡れていき、それに伴って大量に落ちた血がますます世界を赤くする。嫌な臭いにあてられたからか、闇に浮かぶ赤がそうしているのか、気分が、悪くなってきた。
「お前、名前は?」
この状況でそれを聞くのか? 睨んで問いかけてやりたかったけど、生憎そんな気分ではない。
「……ほのか」
質問という名目の命令に答えるのがやっとだった。自分では血を見ただけで気分が悪くなるような柔なヤツではないと思っていたのだが、実際は違うらしい。あぁ、頭がクラクラしていて今にも倒れてしまいそう。吐き気も、する。
「俺はアイゼンバーグ。ホノカ、死にたくないなら寄ってくるなよ」
彼……アイゼンバーグはアタシと話しているのに一瞬たりとも男の人から目を離さなかった。その瞳はギラギラ光っていて、まるで飢えた獣のようだ。これはアタシと初めて会った時の目と似ていたが、少しだけ違うような気がする。今の目の方がもっと怒りが……いや、殺意がこもっている。
「やろうか、マリウス」
男の人の右手がアイゼンバーグの首を狙って突き出された。しかしアイゼンバーグはそれを避け、すぐに剣に刺さった左手を引き寄せた。つられて男の人の身体がほんの少し近づき、アイゼンバーグはその横腹に強烈な蹴りを入れた。バキバキと骨の折れる凄まじい音がしたが、男の人は吹っ飛ばされてもいないし表情一つ変えていない。
バチバチバチッ
そこで突然彼の剣がアイゼンバーグの手を拒絶した。刃のような強い風が剣から発せられたと思うとそれは刺さっていたアイゼンバーグの腕に移り、皮膚を豪快に裂いた。バッと花が咲いたように赤いものが飛び出し、アイゼンバーグの手は剣から抜ける。アタシはその光景を見た瞬間、吐き気が込み上げてきて手で口を押さえて下を向いた。瓦を染めた赤も見ないように目も閉じる。
ダメだ、ホントに吐いてしまいそうだ。血の匂いがきつい。それにもう、見ていられない。
アタシがそうして苦しんでいる間にも戦いは続いているらしく、骨と骨がぶつかる音や金属の音、瓦が割れる音が聞こえてくる。このまま下を向いていれば少しずつ気分が良くなりそうだったが、気が気じゃない。なぜか二人の戦いがどうなっているのか気になって仕方がないのだ。もし、そう考える自分がいる。
もし? もしってなんだろう。もし、アイゼンバーグがひどい怪我をしたら? アイゼンバーグが彼に殺されてしまったら……?
そこまで考え、アタシは素早く目を開けて彼らの姿を探した。目に入ったのは血みどろになったアイゼンバーグと腹に穴の開いた状態で剣を構えている男の人だった。二人とも普通なら倒れて動けなくなっているほどの怪我を負いながらも戦意喪失していない。怖くて、気分が悪くて、見ていられない。そのはずなのに二人が立って戦っていることにホッと心をなで下ろしている自分がいる。
なぜ。分からない。アタシはおかしくなってしまったのだろうか。