Play×Tag×Vampire02
「ちょ、ちょっ!」
アタシが抗議する前に男の子は地面を軽く蹴って高く跳んだ。ぐんっと身体が下に押さえつけられるような感覚がして、ふと下を見てみると、二階建ての屋根が、見えた。
「うおぉぉぉいっ!」
彼に対する恐怖やら緊張やらいろいろな気持ちをすっ飛ばして高いという恐怖だけがアタシの中を埋め尽くした。
アタシは男の子の服を力一杯掴み、何としてでも離れまいとした。さっきまではこの人から逃げなきゃ死んでしまいそうな雰囲気だったけど、むしろ今はこの人から離れたら確実に死ぬ! 死んじゃうから!
「どうしたお前。怖いのか?」
頭の上から彼の声が聞こえる。幾分か優しくなったような気がするその声にアタシは激しく首を縦に振って答えた。顔は彼の冷たい胸板に押しつけたまま。目を開けていられないし、声も出ないんだよちくしょう!
「さっきまで俺のことを怖がっていただろ。でも今はデインのことが怖いのか」
違う! 察してくれよ!
今度はブンブン首を横に振った。するとじゃぁ何を怖がっているんだ、と訳が分からないとでも言いたそうな声が返ってきた。これは流石に口で答えなければならない。
アタシは渇ききってカラカラになった口を開けて何とか言おうとした。
「……た……うひゃっ!」
しかし言葉は内蔵がふわっと浮く感覚に遮られてしまった。あんなにも遠かった屋根がすごい速さで近づいてきているのが見える。
降下しているんだ!
アタシはさらにシャツを掴む両手に力を込めた。
男の子はそのまま軽く屋根に着地すると間髪入れずにまた飛び上がったので、アタシはまた空気に押さえつけられた。
まるでジェットコースター、いや、ジェットコースターよりも迫力満点だ。こんな機械があれば良いアトラクションになること間違いなしだが、今のアタシはそれを必要としていない。それよりも早く解放して欲しい。高いところで放り投げられるのはごめんだけど。
「で、どうして怖がっているんだ?」
いつの間にか閉じていた瞼を開けると青い目とぶつかった。
綺麗。唐突に思う。青空をそのまま写し込んでいるのではないかと思うほど澄んでいて、綺麗だ。
「高いところが怖い……から」
瞳に吸い込まれてしまいそうだったけど、落ち着いて言えたと思う。口ももう渇いていないし、なぜか……そう、なぜか彼の瞳を見ていたらうるさかった心臓が静かになった。
アタシが答えると、彼は片眉を上げてすごく不思議そうな顔をした。
「高いところが怖いのか? 俺たちのような吸血鬼よりも? 変わった人間だな」
そりゃぁこの人は初めすごく怖かったし、正直に言えば今だって逃げたい気持ちはある。だって、この人は吸血鬼だ。
ん、待てよ、きゅうけつ……き?
「……きゅうけっ……!?」
驚いて思わず口に出そうとした時、彼が降下し始めたのでアタシは思いきり舌を噛んでしまった。
いってぇ! ごりゅって音がしたよ、今!
「待ちやがれ! アイゼンバーグ!」
アタシが悶絶しているところにさっきのあのお兄さんの声が響いた。どうやら追いかけて来ているらしいのだが、高さを実感しそうで怖くてその姿を確認することは出来ない。
男の子が俺たちと言っていたので彼も吸血鬼なのかもしれないな。いやしかし、この男の子とあのお兄さんが吸血鬼だという証拠はどこにも……あった。初めてこの人を見たとき、この人は口元を真っ赤に染め、首から血を流した女の子を塀に押しつけて立っていたのだった。その姿はまさに生き血をすする吸血鬼そのものだ。それに今、人間には不可能な跳躍を繰り返している。加えて夢では無いという証拠の舌の痛み。あぁ、うん、現実逃避したくなってきた。
「デインの奴、諦めないな」
彼は一度後ろのお兄さんの姿を見てからすぐにアタシの方に向き直り、口を開いた。
「お前目は良いか?」
……この人、何が言いたいんだろう。見たところ彼の目は真剣そのものでふざけているようではない。よく分からないが、まぁ目は良い方だ。
「良いけど」
「だったらデインを見張っていろ。俺は走ることだけに集中する」
「は?」
この人はホントに何を言っているのだ。アタシにあのお兄さんを見張れというのか。この、お姫様抱っこされている状態で、しかも高所で真っ暗闇の中!
いくら目が良くったって限度というものがある。ましてやアタシは怖くて今の景色さえ満足に見られないのに、どうしてお兄さんを見張れようか。
「無理」
きっぱり言い切ると彼は眉をひそめて不機嫌そうな顔をした。そんな顔されても。
「見ているだけでいいのに無理なのか?」
人間のアタシには難しいということが分からないらしい。
「アタシは君みたいにきゅ、吸血鬼とかじゃない。こんな真っ暗闇の中、しかも高いところが嫌いで今の景色も見られないアタシが見張れる訳がない」
言うと彼は無表情にそうかと呟いた。分かってくれたのだろうか。あぁもう、表情だけでは判断しづらい。ホントにこの人よく分からない。分からなすぎる。そもそも吸血鬼という存在自体がよく分からないので、当たり前と言えば当たり前なのだが。
男の子はそれからすぐに降下し、どこかの屋根の上に着地すると素早く丁寧にアタシを下ろした。わりと紳士的である。
久しぶりに足の裏で地面を感じたからか、上下運動が無くなったからか、少し変な感じがする。でも気にしないでおこう。これで解放してもらえるかもしれない。
「目、閉じろ」
「?」
男の子の青の瞳がじっとアタシの目を見つめている。どうして急に? しかもこのまま逃がしてくれる雰囲気ではないらしい。
「デインが来る。早くしろ」
あぁぁぁー。アタシは仕方がなく彼の命令を聞いて目をつぶった。さっきまで命の危険を感じていた相手に対して無防備すぎるかもしれないが、不思議と初めて見た時の恐怖は消えていた。初めの怖ろしいイメージと違って結構話せる人だったからだ。
それに、何よりも瞳が綺麗だった。アタシの本能はまだ逃げろと言っているかもしれないが、もう聞こえない。
瞼の辺りに何かが触れ、アタシの目は燃えるように熱くなった。心臓のようにドクドクと脈を打っている。
何だ、何が起こったんだ?
堪らなくなって目を開けるとニヤリと笑っている彼の顔が見えた。
「これで見えるはずだ」
ホントに見えるようになっているのだろうか。確かに何かが起こったようではあるが、熱いこと以外に変わった様子はない。別に見えるようになっていなくても良いけど。
少し訝りながら彼を窺っていると、後ろで突然赤色のものが二つ光るのが見えた。あのお兄さんだ!
「後ろ!」
アタシが叫んだ時にはもう、お兄さんが彼に殴りかかっていた。
当たる! そう思って目を閉じた。