Foolish×Misunderstanding×Vampire07
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気がつくと枕に顔を埋めていた。
すぐに顔を上げてベッドに彼の姿がないか確認する。
温度の感じられないシーツ。広いベッドには、アタシ一人きり。
――まだ、まだだ。部屋にはいるかもしれない。
服を着ていないのでシーツを身に纏い、部屋中を歩き回って彼を探した。
――いない。どこにも。
アタシは絶望した。
彼は行ってしまったのだ。アタシは彼を引き止められなかった。全てを捧げて引き止めたのに、彼はアタシを置いて行ってしまった。
「ううぅ……」
涙がこみ上げてきて、その場で蹲って泣いた。
そんなに大切なことがここにはあるの? アタシのことはどうでも良いの?
悲しみが頭の中で渦を巻いて、頬を伝って落ちて来る。しかしアタシの悲しみは次第に悔しさに変換されていった。
そんなにアタシより大事なものってあるわけ? アタシはそれに負けたってこと? アイゼンバーグはこのアタシより何を選んだの?
一旦沈んだはずの活力がどんどん湧いてくる。
こうしちゃいられない!
アタシは高速で新しい衣服を纏って部屋を飛び出し、彼を探しに出かけた。
ワガママだって言われてもいい! 面倒だって思われてもいい! アイゼンバーグに分からせてやる! アンタにとってアタシは特別で、アタシ以上に大事なものなんてなくて、いつだってアタシを優先するべきなんだって!
廊下を駆け抜け、辿り着いた先にあった階段を飛び越えていく。
目指すは三階。絶対アイゼンバーグはそこにいる。アタシが踏み入れたことのないところに!
三階の全容を覆い隠す機械製の扉まで行き着いたアタシは、ちょうど中へ入ろうとしていた人の隙を突いて飛び込んだ。二人の警備員が驚いた様子で声を出していたが、俊足のアタシは彼らの驚きを置いてきぼりにしていた。
相変わらず、無機質で真っ白い空間だ。白衣を着た吸血鬼が数人いてアタシと目が合うと銀色の目を大きくしたが、アタシは構わず踵を返して空間の奥へ向かった。
すぐに壁と機械製の扉が現れ、行く手を阻まれたけれど、これまた運の良いことにちょうど扉が開いて中から眼鏡をかけた女性の吸血鬼が出て来たので、入れ替わりで中へ入った。
あっという、出て行った吸血鬼の驚く声が、扉が閉まって聞こえなくなった代わりに。
たくさんの銀色の瞳がアタシに注目していた。
コールセンター? 電話はないけど白い長机がずらりと並び、白いパソコンがたくさん置かれていて、白衣を着たたくさんの白の吸血鬼たちがいる。何をしているのか気になる気持ちもあったが、今のアタシはそれどころではなかった。
彼らが招かれざる侵入者がやって来たことを理解する前に駆け抜ける。
また機械製の扉に行く手を阻まれ、ようやくアタシの存在を排除しなければならないという答えを導き出した白の吸血鬼たちが集まってきた。
アタシは拳を構え、ここにいる二十人ばかりの吸血鬼たちを全員殴り倒す準備をする。
男性吸血鬼の手がアタシに伸びてきた!
アタシは彼の手を振り払おうとした。
「Stop! Don't Touch!」
「!」
切迫した声が飛んできて、寸でのところでアタシに手を出そうとした吸血鬼が固まり、周りに集まっていた吸血鬼たち全員が動きを止めた。
声の主は先ほどここへ侵入する際にすれ違った女性の吸血鬼だった。
髪色はダークブラウン。小柄で丸いレンズの眼鏡をかけており、口元にはここにいる全員と同じように機械製のマスクをつけている。
ふと、彼女の容姿に見覚えがあることに気づいた。女王様に会った時にいた吸血鬼の一人だ。吸血鬼なのに眼鏡をしていたから印象に残っていた。
彼女が静止をかけたおかげで白の吸血鬼たちはアタシに伸ばした手を引っ込めたが、納得していない様子で彼女に抗議しているようだった。内容は英語なのではっきり分からないが、おそらくこのままにしていいのかとか、追い出さないといけないとか、そういったものだろう。
彼らがいくら抗議しても地位のある吸血鬼らしき女性が首を振っているので、アタシは無理矢理追い出されることはなさそうだと解釈した。
何故なのかは知らない。でも都合が良い。このままこの人たちがアタシに手出し出来ずに手をこまねいている間に、また幸運が訪れて向こうから扉が開くのを待とう。
その機会はすぐに訪れた。
ウィン、という独特な音と共に扉が開いたのだ。
アタシは扉を開いた先の光景に驚いて固まった吸血鬼の脇に身体を滑り込ませ、更に深部へと侵入した。
今度は広い一部屋ではなく、左右に個室が並んでいた。どれもロックされた機械製の扉で侵入を阻んでいるので、どこにも入ることが出来ない。けれどアタシは何となくここにアイゼンバーグはいないような気がしていた。ただの勘だけれど。
自分の勘に従っていくつもの部屋の前を通り過ぎていき、何度も曲がってより深いところへ向かう。これも何となくなのだが、アイゼンバーグは三階の最深部にいるような気がしていたからだ。
そうして、おそらく次の空間へと繋がる扉を見つけた。
しばらく待ったけれど三度目の奇跡は中々起こらないようだった。
アタシは壊すことも辞さないつもりで、扉に両手をつけてみた。
瞬間、ぞわりと背中に冷たいものが這うような感覚がした。
なんだろう。どうしてそんな感覚がしたのか見当もつかない。けれど、なんか、嫌な予感のようなものがする……。
アタシはこの気持ちの悪い寒気の原因を掴もうと、扉に手を当てたまま考え込んでいた。
すると突然、独特な機械音を立てて扉が開いたのだった。
勝手に開くことのない機械製の扉が開くなんて、あまりにも不自然。でも、今は関係ない。アタシはアイゼンバーグに会わなきゃいけない。
つんのめるようにして中に入ったアタシの目に飛び込んで来たのは、アニメで見たことのあるような近未来的な内装だった。
無機質な床。不思議な照明の天井。満遍なく蛍光灯の白い光が注いでいるはずなのに、薄暗く、中心にある大きな円形の水槽が青白く光って見える。左右に展開された丸みを帯びた机の上にはよく分からない機械や実験器具のようなものが置かれており、異質だった。
これは、何の部屋? ここで何が行われているの?
見渡してみたが、すぐ目に入る範囲に人影はない。
アタシは不安ですくみそうになる身体を引きずるようにして、足を動かした。
部屋の真ん中にある、青く光る水槽に行き着く。中には何も入っておらず、水も澄んでいたので、水槽の向こう側が見えた。
二人の人影が佇んでいることに気づいたアタシの心臓が呻く。
一人はアイゼンバーグだった。とても珍しいことに片膝をついている。顔は俯いていて白い髪がかかっているので見えない。
そしてもう一人は――金糸のような真っ直ぐ長い金髪に、大きな銀色の瞳とふっくらとした桃色の頬。艶のある唇に、あどけない顔つき。華奢で小柄な身体を椅子に沈めている――青い少女。
瞬間、アタシは彼の絵を思い出していた。彼に対峙している少女があまりにもそっくり――いや。彼女をモデルにしたのだと確信せざるを得ないくらい、そのままだったからだ。
――偶然じゃない。こんな偶然、あるわけない。
ドッと心臓が嫌な動きをする。
たぶん二人はアタシに気づいているはずだ。それなのに二人はこちらに一瞥もくれず、互いの姿しか目に入らないような雰囲気で向かい合っている。
まるで彼の描いた絵画のように、彼らは動かなかった。
そしてアタシもまた、動けなかった。
けれど、三度目に瞬いた時だっただろうか。アイゼンバーグが動いた。
椅子に座って投げ出している少女の足首を掴み、持ち上げる。
そうして――彼は彼女の靴を脱がせ、足先に唇を落としたのだった。
たった一瞬の仕草が、アタシを壊すには十分だった。頭を殴られたような感覚がして、ぐわんぐわんと視界が揺れる。
何が起こったのか頭が理解する前に、結論だけが転がる。
――彼にはアタシよりも大事な人がいた。
それだけ。たったそれだけのことだったのだ。ずっと、今まで、それだけだった。
アタシは全てを理解した。
そして、アタシの魂は壊れた。
ぶわっと涙が溢れた。腹の底から嗚咽が漏れそうになって、アタシは急いで踵を返した。絶対に、二人の前で声を上げて泣くことを許してはならなかった。
アタシは走った。頬を伝った涙が床に落ちてしまわないうちに、一人になれる場所を探して――。
ドンッ
「ひっ」
動かし続けていた足が、顔から何かにぶつかることでようやく止まった。
顔を上げると困惑をはらんだ銀色の瞳が見下ろしていた。
「マ、マリ……」
青い長髪の白の吸血鬼。マリウスの名前を呼ぼうと思ったけれど、嗚咽が漏れて言い切ることが出来なかった。
アタシは唇を噛んで彼の顔を見上げた。
マリウスは少しばかり躊躇しながら、アタシの頬を伝う涙を、ひどく優しく親指で拭ってくれた。
彼の優しいぬくもりが今のアタシには残酷だった。
「~~~っううっ! うあ、わぁぁぁぁぁ!」
ギリギリのところで堰き止めていた涙が溢れた。同時に他の音が聞えなくなるくらい自分の泣き叫ぶ声が響いてきた。
涙も、声も、今のアタシには止める術が無かった。
わんわん泣くアタシに、マリウスはさぞかし混乱したことだろう。けれど彼は偉いもので、アタシの頭を抱え込むようにして胸に抱き、慰めるように頭を撫でてくれたのだった。
マリウスはアタシの涙が一旦落ち着くまでそうしてくれ、アタシが喉を痙攣させて叫ばなくなると、手を引いてその場から連れ出してくれた。




