Artist×Blue×Vampire01
陽に焼けたことのない青白い手が、木製の扉の横にあったブザーを鳴らす。
時刻は深夜に差し掛かるかというところ。季節がら、猫の爪のような三日月がかなり高い位置まで登っている。夜が深いこの時期は日光が苦手な純系吸血鬼アイゼンバーグにとって過ごしやすい時期であり、アタシにとっても退屈しない時期であるようだった。
こんな時刻だから扉が開くには時間がかかった。たっぷり五分。アタシたちなら五キロくらい走れる時間だ。
「どちらさまでしょうか?」
扉を開けたのは寝間着姿の男性だった。
男性はアタシたちを見て怪訝な顔をする。どう見ても十代のアタシたちが深夜に訪ねると、たいていはどの人も同じ顔をした。
「『青の使徒』だと伝えてくれ」
けれどアイゼンバーグがこのフレーズを述べると表情が一変する。
男性は驚いた顔をして、慌てた様子で一旦扉を閉じた。
そうしてバタバタと扉から離れていき、足音をもう一人分増やして帰って来た。
扉が開いて、寝間着姿のお爺さんと先ほどの男性が顔を出す。
「ようこそ! おいでくださいました!」
お爺さんが握手を求めて手を出したが、アイゼンバーグは応えなかった。仕方がないので脇からアタシが手を出して握手をしておく。
「どうぞお入りください! 地下にお部屋をご用意しております!」
ようやく招き入れてもらえて、室内に入ることができた。
まず目に入って来たのは小ぶりな玄関ホール。七歩も進めば両開きの扉に行き着いて、扉が開くと小さな礼拝堂がお目見えした。
アタシたちが尋ねているのは教会だから、礼拝堂があるのは当たり前だ。
赤い絨毯がひかれた短い主廊の両脇に、木製の長椅子が三脚ずつ。突き当りには祭壇があって、中央に大きな絵が飾られており、右側にはグランドピアノ。左側には教壇。そしてアタシたちは右側にあった階段を降りていった。
案内してくれているお爺さんがずっと話しかけてくれているのに、アイゼンバーグは無視し続けている。かわりにアタシが適当に「えぇ」とか「まぁ」とか「すごいですね」とか、短い相槌を打っている。少しくらい反応してあげれば良いのに。
階段を降り終わった地下空間には、聖母の石像や教壇、長椅子などが雑多に置かれていた。おそらく普段は倉庫として使っているのだろう。
「こちらをお使いください」
お爺さんがそう言って扉を示し、男性が扉を開けて中の電気を点けてくれた。
部屋には大きなベッドが一つ。キャストが一つ。そして天井まである大きな棚に、これでもかというくらい画材が押し込まれていた。壁にはイーゼルも立てかけてある。
お爺さんと男性が下がっていくのを見送ってから、アタシはイーゼルを指さした。
「これ、こっちに出す?」
「いや、今日は描かない。絵具の匂いが気になる。使える物を選別する方が先だ」
言いながらすぐさまアイゼンバーグは作業に取り掛かり、ぽいぽい使えない(らしい)画材を棚から降ろしていった。アタシにはどれが使えてどれが使えないのか分からないので、彼の作業が一段落するまで適当に遊んでいることにする。
何も言わずに部屋を出て行こうとすると、「上の礼拝堂までだ」と忠告された。
アイゼンバーグはアタシが一度出て行って赤の吸血鬼に捕まってから、かなり過保護だ。足音が聞こえる範囲にいないと怒られる。
とはいえ張り合うつもりはないので、アタシは「はーい」と返事をして、来る時に降りて来た階段を上り、礼拝堂にやって来た。
主廊を歩いて突き当りまで歩いていき、壁にかけられた大きな絵画を見上げる。
横は両手を広げたぐらい。高さはそれの二倍くらい。
主に青い絵の具を使って書かれた宗教画のような絵画。白い布を纏い、目を閉じた金髪の少女が一際大きく描かれていて、周りには何人かの男性や女性が倒れ伏しているような、近付こうとしているような……? ちょっとこういうのに詳しくないアタシには分からないけれど、たくさんの人が描かれている。
「綺麗だなぁ」
思わず感想を述べて長椅子に座り、絵画を眺める。
これはアイゼンバーグが描いた絵だ。今まで見てきた絵の中にも、この金髪の少女が出てきていたから。連作ってやつらしい。彼の絵の特徴の一つであり、サインの代わりでもある完成した年月の記載がされている。彼の血で書かれた赤黒い字で。書かれている年月は今から百年くらい前だ。
アイゼンバーグには定住場所が無く、アタシとアイゼンバーグは日本全国の教会を転々としていた。一か所の滞在期間はだいたい一週間から二週間くらい。アイゼンバーグがその時描きたい絵が完成するまでだ。
なんとアイゼンバーグは絵画で生計を立てている(?)画家だったのである。しかも絵を寄付するかわりに、毎回いろいろな教会に滞在させてもらっている流浪の画家。
吸血鬼が教会なんて、面白い。
どうやら十字架が苦手なのはお話の中だけらしい。教会の人たちもアイゼンバーグを排除しようとはしていなくて(吸血鬼だと知らないからかもしれないが)、『青の使徒』という通り名を出せばこうして寝床を提供してくれるのだった。
以前話してくれた修道士曰く、アイゼンバーグの絵は高値で売れるらしい。ファンが一定数いるようで、「青の使徒の新作」として世に出せば、たちまち物凄い金額で即売されるそうだ。教会はその金額の半分をもらえるそうで、アイゼンバーグがふらりとやって来るのを快く迎えてくれるというわけである。
「この絵はどうだ?」
いつの間にか画材の選別を終えたアイゼンバーグが隣に座っていた。相変わらず、王様の身体能力にはついていけない。
少しだけ開いていた隙間をにじり寄って埋めると、長椅子に伸ばしていた腕がアタシの肩を抱いた。
「相変わらず上手だね。これを描くのにどのくらいかかったのか覚えている?」
「一ヵ月程度だろうが」
「すごいね」
どのくらいが普通なのかは分からないが、たぶん吸血鬼だから人間よりは早いだろう。でも単純に一ヵ月もずっと描き続けていることがすごいと思った。彼に倣ってアタシも絵を描こうとしてみたけれど、アタシは五分と筆を持っていられなかったから。
ちなみに絵自体の出来の感想は、芸術というものが分からないアタシがするものではない気がして、話さない。それから、モデルになった人物がいるのかどうか……も。
アイゼンバーグは時々同じ人を描いている。特によく出て来るのはこの金髪の少女だった。
「……これを描いた時期って、百年くらい前だけど。その時のことは覚えているの?」
「いいや」
まただ。この少女が出て来る絵を描いた時期について問うと、必ずアイゼンバーグは否定した。
吸血鬼が忘れることは滅多にない。特に王様は見た物全てを記憶しているとフェリックスさんは教えてくれた。
それなのに何故かアイゼンバーグは金髪の少女を描いた時期のことを覚えていないのだった。それから。
アタシはアイゼンバーグの表情を盗み見た。
――やっぱり。目を細めて哀愁漂う表情をしている。アタシは彼のこの表情にいつも胸がチクリとした。
この少女が実在した人物なのか、架空の人物なのか、詳細は分からない。アイゼンバーグが覚えていないようだから分からないのではない。アタシにこれ以上聞く勇気がないのだ。だってもし、この少女が実在した人をモデルにしているのなら、絶対に思い入れのある人に違いないから。アタシの絵は描いてくれていないのに、この子の絵は何枚も描いている。アイゼンバーグはずっとアタシと一緒にいるから、今も思い続けている人かは微妙なところ(だと思いたい)だが、彼の口から他の女の人の話を聞きたくなかった。




