Hero×Villain×Vampire07
正面も、右も、左も、見渡す限りが真っ赤に染まっている。血のように赤いバラの花畑が何十、何百メートルと続いているのだ。量が多いからか、とてつもなくキツイ刺激臭に思わず顔をしかめ、息を止める。けれどもやはりぐわんぐわんと襲ってくる頭痛は治らなかった。
どうやらブランは敷地内だけでなく、この山にも血でバラを咲かせたらしい。おそらくアタシたちが今立っているこの一区画だけでなく、くるりと山を囲うようにバラを咲かせてあるのだろう。それにはどれだけの量のバラが必要で、どれだけの量の血が必要で、どれだけの準備期間が必要だったのか。いずれにせよ、全くアタシたちを逃がすつもりはないことが伺い知れる。
「どうしますか、サンダーさん。また焼きますか?」
「まぁまぁ何となく予想はしていましたが、これ程までに時間ピッタリとはゆめゆめ思いませんでした」
突然何を言い出すんだと首を傾げてみる。
サンダーさんは口の端を上げて左手の人差し指を立てた。
左腕に巻かれた金の十字架のネックレスが光った。と思うと、鼻先に何かが落ちてきた感覚がして触って確認した。
「あ、雨」
呟いたと同時くらいにザァァと大量の雨が降り始めた。
「うわっ。びちょびちょだ!」
「残念無念です。これでは全然全く火は使えませんね」
サンダーさんはポリタンクをその場に降ろし、濡れて顔にはりついていた髪を掻き上げた。
「残された道は血での上書きしかありません。刈り取ることも出来なくないですが、刈り取って道を開く前に臭いでくらくらしてゆくゆくはブラックアウトでしょうから。不幸中の幸いでしょうか、少々の血でも雨の水が染み渡らせてくれるので時間も労もかからないでしょう」
言いながら右腕を出し、戸惑うことなく左手の爪を食いこませるサンダーさん。痛々しくて見ていられずアタシは思わず目を逸らし、真っ赤なバラが黄色に変わっていく様だけを見た。
バラの色が黄色に変わったとしてもアタシの鼻と頭をつんざく刺激臭は変わらない。サンダーさんに先に行ってもらってから、今度はアタシの血で上書きして進んだ方が良いだろう。
「ささ、ホノカ行きますよ」
何故かサンダーさんが腕を広げてアタシを抱き上げようとしてきた。
驚いて目を瞬いていると、サンダーさんは言った。
「まさかまさか、私が通過した後に自分の血で上書きしよう、とでも思っていましたか? そんな愚かなことなんて絶対絶対しませんよね? ホノカは自分を大切にしないといけないんですから。ここで、私の前で、血を流そうなんて、全然全く思っていないですよね?」
口元は笑っているけれど目は全く笑っていない表情で圧をかけられて思い出す。
アタシは軽率に血を流しちゃいけないんだった。赤の吸血鬼たちがアタシの血で色が変わったバラを見たら、アタシが青と黒の吸血鬼だと気づいてしまう。それにサンダーさんの前で血を流すのは危険だ。あんな怖ろしい目には二度とあいたくない。
こくこく何度も頷いて応えると、今度はちゃんと目まで笑わせてサンダーさんは言った。
「ではでは遠慮なく抱かせてもらいましょう!」
腕をアタシのお尻の下に添え、抱き上げるサンダーさん。
「なんかサンダーさんが言うと卑猥ですね」
「やや!? 心外ですね! ショックで気をやってしまいそうです」
これはわざとそういう言葉を選んでおどけているとみた。
「そんなことを言っていると、ホントに殴って気絶させますよ」
アタシも冗談で返した。
「なんとなんと恐ろしいですねぇ。ホノカは剛腕ですからね!」
言いながらサンダーさんはアタシの後頭部に手を添え、胸に顔を埋めさせた。キツイ刺激臭を少しでも和らげる対策だろう。時々まともなことをされると株がすごく上がるからやめてほしいなんて思いながら、シャツの襟を掴んで顔を埋めた。
「!」
ここでアタシはある気配を感じ取った。
アタシが視線を向けてから、やや遅れてサンダーさんが首を動かした。
土砂降りの雨の中に、真っ赤な傘を差して真っ赤なドレスを着たアンナさんが立っていた。その後ろには手に様々な武器を持った女吸血鬼たちがずらりと並んで壁を作っていた。
アタシは目を眇めた。
「鍵を見つけたら出て行かせてくれるんじゃなかった? 手出ししないって約束したのに」
「ブランがその約束をしたのは『屋敷を出るまで』のはずよ。ここはもうお屋敷ではないでしょう?」
雨粒が邪魔をしていても分かる。アンナさんは今、真っ赤な唇を弓なりに曲げて妖艶に笑っていることだろう。
「やっぱりね」
これまで仕掛けられた罠からそんなことだろうと思っていたので特に驚きはしなかった。アタシがブランと交わした約束は全部こうやって捻じ曲げられているのだろう。気づかなかったアタシの落ち度だ。
アタシはサンダーさんの胸を押し、降ろしてほしいと意思表示をした。サンダーさんは意図を汲み取ってくれ、地面にアタシを降ろした。
「サンダーさん。今までありがとうございました。黄の吸血鬼のみんなにもお礼を伝えてください。それから、もう助けてもらわなくても大丈夫だと伝えてください」
サンダーさんは何も言わなかった。いつもの楽しそうな表情を引っ込ませて、無表情にアタシを見つめている。でも何も言ってこない。
これも予想通りだった。サンダーさんは黄の吸血鬼のみんなさえ守れればそれでいいと思っていることを、アタシは知っている。ここにはたぶん、アタシのホントの味方はいない。いや、ホントに頼って良い人がいないのだ。
「アタシはここで出来る限りみんなを食い止めます。だからサンダーさんは逃げてください。後で追いかけますから」
アタシはサンダーさんのお腹辺りを押して先に行くよう促した。
しかしサンダーさんの巨体は動かなかった。それどころかアタシの腕を掴んできたのだった。
どうしたんだろう。この手は何なんだ。もしレオだったらアタシの発言に怒って「一緒に帰るんだ!」なんて言って引っ張ってくれるだろうけれど、サンダーさんはそんなことは言わないだろうし思いもしないだろう。だってアタシを体よく追い出したり、ブランにアタシを突き出したりした人なのだから。
「どうしたんですか? サンダーさんなら、アタシを置いていってくれるでしょう?」
ピクリとサンダーさんの眉が動く。
「えぇえぇ、もちろん」
それまでの無表情が嘘のようににこやかに笑い、サンダーさんはアタシの腕を放した。
「ではではお言葉に甘えましてお先に失礼させていただきます」
仰々しく胸に手を当てて頭を下げたと思うと、今度は大きく手を広げて天を仰ぐサンダーさん。
「あぁあぁ、すでにすでに再会が待ち遠しいことこの上ないですね! 次に会う時、ホノカはきっと大喜びして私に『抱いて!』と言うでしょう!」
「そんなこと言いませんよ!」
声を荒げたアタシを慰めるようにポンポンと頭を撫で、サンダーさんは一つ笑って地面を蹴った。
さよならも、またねも、言わなかった。サンダーさんもアタシも。
雨垂れの中に彼の大きな背中が消えて行く。別れの言葉がなければ振り向くことすらないあたりが彼らしい。潔く行ってくれたからこちらには名残惜しさも寂しさも残らず有り難かった。




