Play×Tag×Vampire10
「わ!」
お兄さんが右腕を振り上げてこちらに向かってきた! アタシは咄嗟に握る手に力を込めてしまう。アイゼンバーグはその腕を片手でしのぎ、アタシの手から易々と抜けてお兄さんの左腕がとんでくる前に懐に入って体当たりした。しかしお兄さんはアイゼンバーグの頭上をひょいと跳んで避け、アタシの目の前に躍り出た! 見下ろす血のように赤い瞳に肺がギュッとなる。
ガッ
お兄さんがアタシに手をかける前にアイゼンバーグが蹴りで彼の注意を引いてくれた。反応したお兄さんが彼の足を引っ張り、肘を腹に食い込ませようと振り下ろす!
ドッ
肘が思い切りアイゼンバーグの腹に振り下ろされた! だが彼の腹はかなり硬いらしく肘はめり込んでいないし、彼の表情が笑みから変わることもない。アイゼンバーグは笑顔のまま、自由な方の足を振り上げて掴んでいる腕を蹴った!
ゴキッ
骨の折れる音。この嫌な音を聞くのは今日で二回目だ。力を込められなくなった手から逃れたアイゼンバーグは床に着地すると体当たりでお兄さんをふっ飛ばす。ドゴゴゴッ、また壁に大きな穴が空く。凄まじいな!
「ホノカ、走り続けろ。どこへでも良い。とにかく止まらずに走り続けろ」
アイゼンバーグが少しもアタシの方を見ずに言った。走り続ける? どうしてだろう。逃げた方が良いのだろうか。
「走り続けるって……」
アイゼンバーグの瞳を追うとカタカタと動く瓦礫が見えた。お兄さんが、コンクリートを退けてゆっくり立ち上がる。ぶら下がった右腕とゆらゆら揺れる前屈みの姿勢が……とても不気味だ。
「行け!」
彼の大声でハッとしたアタシは床を蹴って走り出した。足がズキズキするけど今はなんとか我慢してアイゼンバーグに従うしかない。彼には多分、何かの策があるのだ。何も出来ないアタシは少しでも生きられる確率が上がるように彼の言う通りにしなければならない。
アタシは来た道を全力で戻る。後ろからドガッ、ガガガガッ、ガシャン! という凄まじい音が聞こえてくるが構っていてはいけないのだ。
そうして階段まで着くと一つとばしで駆け下り、外に出た。
外は入る前と随分変わっていた。ふと目に着いたあの黒いバンは不自然な形に歪んでいて、地面には無数の穴と抉った様な跡がある。アイゼンバーグは金髪の男の人と激戦を繰り広げたらしい。それなのに、休憩することもなくあのお兄さんと戦っている。大丈夫なのだろうか。走りながら、彼の心配をした。しかしすぐにそんな場合ではないことを思い知らされることになる。
ヒュワッ
「わ!」
強い風が吹いたと思ったら、目の前に、お兄さんがいた。急なことに驚いてアタシの足は固まってしまい、前のめりになった。
ぐいっ
突然首根っこを掴まれ、身体が後ろに引っ張られる。そのアタシの鼻先をお兄さんの爪が空振った。引っ張られていなければアタシの頭は飛んでいたかもしれない。そう思うとゾッとして血の気が引いた。
ドッ
「痛っ」
尻餅をつくアタシ。今の姿は相当情けないだろう。
「人間は鈍いな」
アイゼンバーグがお兄さんの蹴りを防御しながら馬鹿にしたような口ぶりで呟いた。アタシの前に立ちふさがってくれているのは有り難いことだが、あまりいただけない言葉だ。少しだけ苛立ちがにじむ。
「転んでも倒れても良いから走れ」
「言われなくても!」
アタシはスッと立ち上がり、大きく回り込むようにお兄さんとアイゼンバーグを避けて走った。アイゼンバーグが笑っていて、お兄さんの顔がこちらを向いたような気がしたが、もう、知らない。いいと言われるまでどこまででも走り続けてやる! なぜか俄然やる気が出てきたアタシは身をくすぶっていた痛みと恐怖を忘れ、廃ビルの敷地内を出ると家々の間をジグザグに進んだ。やはり、後ろからは何かが壊れる音や骨の折れるような音がする。それでもアタシは回りを見ずに走った。ただ、アイゼンバーグへの怒りを募らせて。
ドンッ!
何度目かのどこかの角を曲がった時、冷たい胸に飛び込んでしまった。……こうなるのは二回目だ。
「ホノカ」
胸で響く心地いい声。顔を上げて胸から離れると、キラキラ光る青い瞳がアタシを見ていた。鼓動の速い心臓を左手で押さえ、アタシは荒い息をしながら右手を膝の辺りに突いて倒れそうになる身体を支えた。あのお兄さんとは何かしらの決着がついたのだろうか。
「疲れたか?」
ニヤリ、音がしそうな笑み。アタシは瞳だけを上げてまるで疲れを感じていないアイゼンバーグをギロリと睨んでやった。
「全っ然!」
ホントは今すぐ横になってしまいたいぐらい疲れていた。数えてはいないが三十分ほど走り続けたように思う。それでも疲れたと正直に言うのは嫌で、小さすぎる見栄を張った。だってまた人間はどうとかこうとか言われるのが嫌だったのだ。人間を卑下している吸血鬼の彼に少しでも認めてもらいたかった。……なぜか。
「俺には今すぐにでも倒れてしまいそうに見える」
ある程度呼吸が落ち着いてきたので重い上半身を持ち上げて額の汗を拭った。ホント、この人の笑顔がムカツク。
「疲れてない。アイゼンバーグは疲れてないの? 傷はあるみたいだけど」
まだ少し荒い息の所為で早口になってしまった。アイゼンバーグは……傷だらけだった。身体のいたるところに擦り傷ができ、皮膚が剥がれて赤い肉が丸見えになっているところもある。見るのも痛々しく、アタシは自然としかめっ面になってしまった。
「俺は疲れたことがない。ただ少し、傷の治りが遅くなった」
あぁそうだ。吸血鬼たちは傷が出来にくくてすぐに治るらしかったのだ。それなのにこれだけ傷が残っているということは相当身体に負担がかかっているのだろう。表情からは分からないが。
「お兄さんとの戦いは大変だったんだ」
言うとアイゼンバーグはいや、別にと答えた。アタシはかなり大変だと感じたのだが、それはアタシが走っていたからだけなのか。というかアタシはなぜ走らなければならなかったのだろう。
「ねぇ、何でアタシに走り続けろって言ったの?」
ただの骨折り損のくたびれもうけだったのなら、掴みかかってやる。
「あぁ、意識を失った状態のデインの特徴を巧く使うためだ」
「特徴?」
「あの状態になった彼奴の行動は、意識がないためほぼ反射で成り立っている。だから飛んできた物に咄嗟に手を出し、逃げる者を追う」
あぁ、だからあのときアタシを殺すよりコンクリートの塊の方を攻撃したのだ。
「追う方に身体が強く反応していれば戦いやすい」
ということはつまり、アタシを囮のように扱ったわけだ。アタシの安全のためと考えてくれたのかと思ったが、実際は自分の利益を考えていたのだな。ちくしょう。
でも、それでもどうやって決着をつけてきたのだろう。意識を失った相手に何をすればケリがつくのだろう。意図的に目覚めさせるなんて出来るはずがない。まさか殺して……?
「……お兄さんはどうなったの?」
アタシはゴクリとつばを飲み込んだ。殺してなんか、ないよね?




