3-25.反撃【挿絵】
夕刻となった。
ナタリアが、部屋の調理設備の貧弱さにぶつくさ文句を言いながら芋を茹でていた。彼女が塩と酢とハーブでドレッシングを拵えているとき、玄関扉が叩く音が響いた。聖輝はアミュウのベッドでうとうととまどろんでいる。アミュウが音を立てないようそっと扉を開けると、疲れ果てた様子のジークフリートが入ってきた。
「靴を脱いでね」
「おっと、わりい」
余程疲れていたのか、靴を脱ぐことを忘れている様子のジークフリートに、アミュウは釘をさした。ジークフリートは履き慣れない様子の革靴を脱ぐと、肺の底から盛大なため息をついて、今の今までアミュウが座っていた食卓の椅子にどっかりと座った。アミュウは反感の色を控えめに混ぜて抗議の声を上げた。
「ねえ、その椅子」
「あのなあ。ひとが仕事してるところをこそこそ嗅ぎまわるのはやめてくれ」
ジークフリートは、アミュウの席を奪ったことに気付きもしない様子で言い放つ。この部屋に椅子はふたつしかない。残る一脚はナタリアが使っている。ベッドでは聖輝が休んでいる。アミュウは仕方なく、畳んである聖輝の布団の上に腰を下ろした。スタインウッドのグレゴリーの小屋でも、椅子ではなく行李に座らされたことを、とりとめもなく思い出した。
「気付いてたの?」
食卓でドレッシングをかき混ぜていたナタリアが意外そうに訊ねる。
「ああ。お前ら、朝から俺らを尾けてただろう」
「やだ、ケインズおじさんにバレたかしら」
アミュウが訝ると、ジークフリートは首を横に振った。
「どうだかな。気付いてたら、あんな話はしないと思うぜ」
人の増えた気配で目覚めたらしい聖輝が、寝起きのくぐもった声で呟いた。
「この町を拠点にして、革命派をつぶそうとかいう話ですか」
「あんたの耳にまで入ってるのか。そうだよ。会頭も牧師も、収穫祭の話なんかろくにしねえ。選挙と、教会の拡張の話ばかりだったぜ」
そう言いながらジークフリートは「ほらよ」と言いながら、食卓に紙袋を投げ出した。中には朴の葉の包みが入っている。アミュウが包みを開いてみると、茹でたブラッド・ソーセージがとぐろを巻いていた。
「スタインウッドの名物らしいぜ。それでも食って精をつけろ」
「有難い」
スタインウッドとカーター・タウンは近いので、週に何度か行商がやってくる。今日がちょうどその日だったらしい。聖輝のためにジークフリートがお土産を選んでいるところを想像して、アミュウは思わずクスリと笑った。
ナタリアが、暖炉からゆで上がった芋の鍋を取り出し、流しで湯を切った。そこに先ほどこしらえたドレッシングをかける。ブラッド・ソーセージは食べやすい長さに切り分けた。
「うまそうだな」
ジークフリートがつまみ食いしようとした手付きに、アミュウは夢で感じたシグルドの熱い手を思い出し、思わず顔を背けた。ソーセージへと伸びた手は、ナタリアがぴしゃりとはたいた。
「お祈りが済んでからね」
聖輝が唱える祈りの文句に、全員が目を伏せ手を組み、ひととき心を合わせる。祈りが済むと、ナタリアが食事をめいめいの皿に取り分けた。
茹で芋にブラッド・ソーセージという質素な食事だったが、病み上がりの聖輝もアミュウも、食が進んだ。ナタリアとジークフリートは、ほんのつまむ程度にしか口にしなかった。アミュウは二人の顔を見比べて、この後二人で仕切り直すつもりなのだろうと踏んだ。
ジークフリートがブラッド・ソーセージの一切れをごくりと飲み込んでから、ぼそっとつぶやいた。
「俺、考えたんだけどさ。聖輝がこの町を出ていった後に、俺一人でナタリアとアミュウの二人を護衛するには、無理がある」
聖輝がおもむろにジークフリートの方を見た。起き上がっているのがそろそろ辛そうに見える聖輝を、アミュウはベッドに寝かせた。
「それで――馬鹿な話かもしれねえけどよ、こっちの手数が揃っているうちに、軽くジャブを食らわせてみるってのはどうだ」
聖輝が枕の上で天井を見たまま、露骨に顔をしかめた。
「駄目です。ザッカリーニの実力も分からないのに、危険すぎます。火に油を注ぐようなものですよ」
「でもさ。あちらさんは、聖輝がどこからでもナタリアたちのそばへ駆けつけられることを知ってるんだろ? だったら、今のうちに俺たちの力を見せつけてやれば、聖輝がこの町を出た後の牽制になるんじゃないのか?」
聖輝はゆっくりと首を横に振った。
「私の力では、どこからでも駆け付けられるわけではありません。飛び越える距離が遠くなればなるほど、消耗も激しくなる。森まで飛んだだけで、このざまです」
「あっちはそんなの知ったこっちゃねえさ」
ジークフリートが言うと、ナタリアが顔を上げて早口で言った。
「それなら、私がおとりになれば、ザッカリーニをおびき寄せられるわ」
アミュウは首がちぎれんばかりの勢いでかぶりを振った。
「駄目よ、危ない! それなら私がやるわ。私なら、結界を張れるもの」
三人が勝手に話を進めていくのに眉をひそめた聖輝は、額に手を当ててこれ見よがしにため息をついた。
「ザッカリーニの戦力が分からないのに、どうしてこちらが優っていることが前提なんですか」
「こっちには四人も揃ってる」
ジークフリートは歯を剥いて笑って見せた。
「それに、聖輝だって俺の戦力をろくすっぽ知らねえだろ。これでも腕の立つ傭兵ってんで、クーデンではちょっと名が知れてたんだぜ。俺と聖輝で挟み撃ちにすれば、ザッカリーニにぜったい一泡吹かせてやれる。そのうえ聖輝は、その空間転移とやらで、いつだってこっちに駆け付けられるんだ。こっちの実力を見せつけておけば、ナタリアやアミュウにちょっかい出すこともなくなるだろ」
聖輝は天井を見て黙って考えていたが、だしぬけにジークフリートへぽつりと質問を投げかけた。
「具体的な職歴は?」
「……大型狼の群れの駆除にチームで加わったのが初仕事で、そのあとは大型獣殲滅作戦を何回か。街道護衛任務は数えきれないくらいだ。ブリランテから流れてきたならず者が町に紛れたってんで、臨時で自警団に加わったこともあった。商船護衛は……えぇっと……六回。七回目に遭難して、あとはお前らの知っているとおりだ」
「かなり真面目に稼いでいたようですね」
「おう。まさかまた身一つになるとは思わなかったがな。貯金を作っておいて本当に助かったぜ」
聖輝は目を閉じて言った。
「一週間――いや、五日」
ジークフリートが訝るように聖輝を見た。
「それだけあれば、私の体力も戻ってきます」
ナタリアが緊張に頬を強張らせて――しかし口元に笑みを浮かべて言った。
「ちょうど、収穫祭の終わったころね……やってやろうじゃない。反撃よ」
アミュウはトントン拍子に進んで行く話に一抹の不安を覚えた。カルミノの、鍛え抜かれた鋼のように冷たいまなざしを思い出した。カルミノ・ザッカリーニは、本当にそんなふうにたやすく出し抜くことのできる相手だろうか。




