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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第三章 この空の下すべて

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3-24.運命の女(ファム・ファタール)【挿絵】

 職人街から倉庫街を抜けて教会にたどり着くと、ケインズとジークフリートは礼拝堂には入らずに、北袖廊の奥にあるマッケンジーの居宅棟へ直接向かった。ジークフリートが扉を叩くとすぐに扉が開き、くつろいだ私服姿のマッケンジー・オーウェンが出迎えた。脱帽したケインズとジークフリートがその奥へと消え、扉が完全に閉まってから、アミュウとナタリアは居宅棟に近付いた。


「何も聞こえないね。こんな季節じゃ窓も開けないだろうし」

「静かに。こっちへ来て」


 アミュウがナタリアを羽窓の下へと引っ張っていくと、果たして今日も羽窓は細く開いていた。その隙間から話し声が聞こえてくるが、会話の内容までは聞き取れない。アミュウとナタリアは壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。


「あーあ。せっかく来たのに、ここまでか」


 ナタリアが無念を露わにため息をつく。ピッチがナタリアの腕から地面に降りて、辺りをトコトコと歩き回った。アミュウは肩をすくめて言った。


「しょうがないわ。あとでジークに話を聞きましょう」


 マッケンジーの居住棟は、この辺りでよく見られるような木骨造りだった。古びた筋交いの木材の黒と漆喰の白とのコントラストが、どことなくスタインウッドのアップルホテルを思い出させる。しかし、アップルホテルにあったような柱の彫刻や花壇は、ここでは見られない。年季の入った質素な、言い換えればただのおんぼろな建物だった。

 ピッチが木骨造りの壁に沿って、角を曲がっていく。


「ピッチ、あんまり遠くに行かないで」


 ナタリアが立ち上がり、ピッチを追いかける。ピッチはライラックの裸木の向こうまで行き過ぎ、そこで翼を大きく広げたかと思うと、一気に屋根の上まで舞い上がった。


「ピッチ! 降りてきなさい」


 ナタリアが屋根の上のピッチを見上げて大声を出す。


「あまり大きな声を出さないで、ナターシャ。気付かれるわよ」


 ナタリアに注意を促しながらアミュウも立ち上がり、彼女に近付く。ピッチは、煙の出てる煙突に近付き、暫くその周りをうろうろしていたが、やがてナタリアの腕に舞い降りた。カツカツとくちばしを鳴らしてから、ゆったりと低い声でしゃべり始めたのだが、その声色が普段とあまりに違うので、アミュウは仰天した。


「――今やカーター・タウンは立派な町に成長した。その上まだまだ伸びしろもある。ブリランテの革命派をつぶすなら、拠点はクーデンやロウランドなんかより、ここだ」

「……は?」


 目を白黒させているナタリアを見上げて、ピッチはさらに続けた。また声色が変わった。今度は先ほどよりは少し高めの、耳ざわりな声だった。


「ああ、街壁を設置しようという公約のことですか。確かに森を切り拓いて街道を延伸すれば、街壁の材料には不自由しませんね。それに、近く国王は革命派の殲滅を命じられるでしょう。そこまで見越しているとは、いやはや」


 するとピッチはまた低い声で続けた。


「カーター・タウンが立派になれば、一人司祭区ではなくなり、あなたもラクができますよ」


 ピッチは「はははは……」と笑い声をあげ、ひとり芝居はそれでおしまいだった。

 ナタリアは目を点にしたまま、アミュウへ視線を投げかけた。アミュウもまったく同じ表情をしていた。


「これって」

「ケインズおじさんとマッケンジー先生の会話?」


 ピッチはピョロロと鳥らしい鳴き声をあげると、ナタリアの腕の上で片足を上げた。ナタリアはその足を握って言った。


「すごい、ピッチ! スパイしてくれたのね」


 アミュウはピッチの頭脳に度肝を抜かれていた。ピッチの知能が高いのはもとより知っていたつもりだったが、まさかここまでとは。


「ねぇ、ピッチ。あなた、本当にただの鳥なの?」


 アミュウが頭を撫でると、ピッチは気持ちよさそうに黒目を小さくして、首を傾げて自画自賛した。


「ピッチャン、カワイーイ!」


 ナタリアはピッチを乗せた腕を顔に引き寄せ、ピッチに軽くキスをした。その姿を見て、アミュウは何となく心配になった。ピッチの本当の飼い主が見つかったとき、ナタリアは冷静でいられるのだろうか。

 居住棟の表玄関が開いた。アミュウたちは慌てて建物の裏手、樫の木の植え込みの陰に隠れた。

 ケインズの声が聞こえる。


「では、お忙しいところ邪魔をしました」


 マッケンジーの声が応える。


「いえいえ。流行り病の騒動で、選挙の話はまだできていないんですがね。今回施療室へ来た患者なら、私の言うことも少しは通るのでないかと」

「ははは、違いない。収穫祭での説法、期待しておりますよ」


 そう言ってケインズは、ジークフリートを引き連れて倉庫街の方へと歩いて行った。ジークフリートの背中は、慣れない付き人仕事に気疲れしたのだろう、すっかり丸くなっていた。ケインズたちを見送ったマッケンジーは、すぐに扉の内へと引っ込んだ。

 アミュウはひとまず今日の尾行が成功裏に終わったことにほっとしてため息をついた。ナタリアも同様に、樫の木の根元に座り込んでいる。


 樫の木の植え込みの向こうには墓地が広がっていた。肺病患者の合同葬で建てたばかりの真新しい墓石の一群が、そこだけ陽の光を受けて輝いている。それらを眺めて物思いに耽っていると、今度は北面の勝手口のドアが開いたので、慌ててアミュウは灌木の茂みの陰に伏せた。ナタリアも同様に、樫の木陰に身を隠している。

 勝手口からは、何かごく小さなものを手にしたマッケンジーが出てきた。彼は、居住棟の東面に回った。東側の壁には鳩舎が取り付けてあった。マッケンジーは鳩舎の扉の掛けがねを外し、二羽の鳩を取り出すと、手にしていた何かをその片方の脚に慎重に取り付けて、空へと放った。そして、もう一羽にも同様に細工を施し、放鳥した。二羽の鳩が北へ飛んでいくのを満足気に見遣ると、マッケンジーは再び勝手口へと入っていった。


「追いかけて、ピッチ!」


 勝手口の扉が閉まるや否や、ナタリアもピッチを空へと放った。ピッチは勢いよく飛び出して鳩を追う。ナタリアは墓地辺縁の小道を駆け出した。


「もう……無鉄砲なんだから!」


 アミュウも蓮飾りの杖にまたがり急浮上すると、鳩とピッチを追いかけた。

 体長に差がある分、鳩よりもピッチの方が速いのではないかと思われたが、意外にもピッチの全速力はお粗末なものだった。アミュウはピッチを追い越し、さらに前を飛ぶ鳩に手を伸ばす。翼の羽ばたきに指先が触れたが、捕まえるまでには至らなかった。

 そのとき、ひゅっと空を切る音がして、アミュウは思わず仰け反った。地上を見下ろすと、ナタリアが弓に次の矢をつがえていた。



挿絵(By みてみん)



「ちょっと! 危ないじゃない‼」


 アミュウが空中で喚くのにも構わず、ナタリアは自信たっぷりに矢を放つ。矢は吸い込まれるように鳩の翼を穿ち、鳩は弧を描いて落ちていった。

 鳩の落下地点へと駆け寄ったナタリアのすぐそばに、アミュウは着陸する。追ってピッチも舞い降りてきた。ナタリアは、傷ついた翼をばたつかせる鳩を背中から掴んだ。アミュウがその脚からそっと文筒を外し、中の紙きれを取り出した。


「なんて書いてあるの?」


 ナタリアは、小さく畳まれた紙きれを丁寧にひろげるアミュウの手元を覗き込む。短い通信文が現れた。


   ◎        ◎


運命の女(ファム・ファタール)」発見。カーター・タウン町長の長女ナタリア・カーター也。

                      マッケンジー・オーウェン


   ◎        ◎


 アミュウは北の空を見つめた。マッケンジーの放ったもう一羽の鳩の羽ばたきが点滅となってちらついていた。既に遠く離れていて、追いようがなかった。





「マッケンジー牧師の伝書バトが、ナタリアさんのことを運命の女(ファム・ファタール)と?」


 聖輝が、わずかに血色の戻ってきた顔をしかめた。


「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」三階の部屋へ、ナタリアを伴って戻ってきたアミュウは、未だ寝込んでいる聖輝に事の次第を話したのだった。聖輝は、アミュウたちが家を出たときのまま、アミュウのベッドを占領していた。

 アミュウは自分のベッドに腰を下ろせない不満をぶつける先が見つけられないまま、憮然とした表情で頷いた。


「マッケンジー先生は、国王派っていう話でしたね」


 ナタリアは首をひねった。


「ジークは破談の件をしっかりケインズおじさんに伝えてた。なのに、どうしておじさんはマッケンジー先生にお見合いの件を話したのかな」

「私が女性を選ぶということの重大さを知っているということですよ。まったく、連中はどこまで嗅ぎつけているのやら……」


 聖輝は枕に載せたままの頭に手をやった。アミュウはじろりと聖輝に半眼で目をやる。


「また秘密主義ですか、聖輝さん」

「秘密があること自体は否定しませんよ。それよりも、ザッカリーニがこの辺をうろついているかもしれないというのに、よくもまあ二人でのこのこと出て行ったものです」


 ナタリアの腕の上で、ピッチがピョロロと鳴いた。だしぬけにナタリアが訊ねた。


「ねぇ、ファム・ファタールってなあに?」


 聖輝は乾いた笑い声をあげて答えた。


「一言でいえば、悪女ですよ。男を破滅に陥れる、魔性の女です」

「はァ?」


 ナタリアが口をあんぐりと開ける。ピッチも頭をぐるりと回して「ハァ?」と真似た。アミュウは、ナタリアの頭のてっぺんから爪の先までをまじまじと見た。容姿もその性根もこざっぱりとしたナタリアは「悪女」という言葉とは正反対に見える。

 聖輝は笑いながら説明を続けた。


「御神楽の家には、何世代かに一度生まれるんですよ、特別な子どもが。聖霊の化身だとか、申し子だとか呼ばれる赤ん坊がね」

「それが聖輝さんなのね」


 アミュウが念を押すと、聖輝は頷いて言葉を続けた。


「前に話したことがありましたね。私が特殊な知識と技能とを先天的に持って生まれたと。もうお察しかと思いますが、それがアカシアの記録を読み取り、空間を飛び越える力です。そうして生まれた赤ん坊は、長じると例外なく、たった一人の女のために人生を棒に振る。それがあんまり派手な生涯だから、次第に知る人ぞ知るジンクスとなったんですよ。聖霊の申し子と運命の女(ファム・ファタール)の運命としてね」


 ナタリアは、困惑したような笑みを浮かべた。


「その悪女が私だって言うの?」

「アクジョ」


 ピッチがナタリアの言葉を繰り返す。ピッチが話すと、その言葉は意味を抜き取られた全く別の言葉であるような響きに聞こえた。アミュウは、未だに「悪女」という言葉とナタリアの人となりのギャップを埋められずに、ナタリアをまじまじと見ていた。聖輝はナタリアの問いかけには答えずに、あらぬ方を見たまま言った。


「だから、私は家を出たんです。どうせ翻弄される人生なら、その女性は、自分の脚で探し、自分の目で見て選びたい」


 ナタリアが念を押す。


「それでお嫁さん探しの旅に出たんだ」


 聖輝は自嘲気味の笑みを浮かべた。


「そう願う私の意志すら、アカシアの記録に書きしるされた筋書きをなぞっているにすぎないのですよ」

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