3-22.果報は寝て待て【挿絵】
ナタリアは食卓の椅子に座ると、首を振った。
「家を出たとたんに脅されたのよ。あいつ、アミュウを知っているみたいだった」
「ええ、前に私を脅したのはあの男だったわ」
アミュウが肯定すると、ナタリアは「やっぱりね」と言って首をすくめた。
「あいつ、妹を傷物にされたくなければ、小屋までついてこいって言ったの。全然隙が無くて、抵抗できなかった。で、小屋についたら刃物を持ち出されて、あとはあんたが言われたのと同じことを言われたわ」
アミュウはうつむいて目をそらした。聖輝は陰鬱なまなざしをナタリアに向けた。
「『御神楽の御曹司に近付くな』ですか」
ナタリアは頷いた。
重苦しい沈黙が狭い部屋を支配した。アミュウは椀に二杯目のワインを注いで、聖輝に飲ませた。
それまで黙っていたジークフリートが口を開いた。
「どうして今度はナタリアなんだ」
緊迫した事態が続いて忘れかけていたが、ジークフリートの顔を見て、アミュウはふと今朝がたの夢を思い出した。今はそんなことを考えている場合ではないと、アミュウは夢の余韻を振り切るように頭を振り、膝の上でこぶしを握って答えた。
「それは……私が、きのう聖輝さんを実家に行かせたから。きっと聖輝さんとナターシャが会ったところを見られたのよ」
聖輝は肯定も否定もせず、青白い顔を天井に向けていた。
ジークフリートも長い間天井を仰いで考え込んでいたようだが、やがてその顔を聖輝に向けて口を開いた。
「聖輝。この町から出ていったらどうだ」
すかさずアミュウが非難の目をジークフリートに向ける。しかしジークフリートは落ち着き払って、静かに言葉を続けた。
「おまえさ、アミュウたちの生活をどれだけかき乱せば気が済むんだ。実害が出てるんだぜ。しかも、姉妹そろって。迷惑かけてるって自覚を持てよ」
聖輝は天井を見たまま、軽くため息をついた。
「――確かに、ここらが潮時ですね。実は、いったん王都に戻ろうかと、実家に連絡をとっていたところです」
「聖輝さん」
アミュウが悲痛な声を上げる。ナタリアが席を立ち、無言でアミュウの両肩に手を添えた。その手を握ってアミュウはナタリアの方へ振り返った。
「ナタリアも分かっているでしょう。聖輝さんは、私たちを守るために、こんなにボロボロになるまで身体を張ったのよ。紙雛を持たせて、陰からずっと守ってくれていたわ。私たちが危ない目に遭っているときには、必ず駆け付けてくれたじゃない。それなのに、町から追い出すような真似をするの? ねえ」
ナタリアは言葉に詰まったようだったが、少し考える素振りを見せてから、静かに言った。
「聖輝さんのことを一番嫌っていたのはあんただったでしょ」
アミュウは頭の疼くのも構わずにぶんぶんと首を縦に振った。
「ええ、そうよ。だから、このまま逃げられるのは癪でたまらない。何が『私と居るのが何より安全』よ。あの言葉を嘘にするの?」
「逃げるわけではありませんよ」
聖輝は言った。
「ジークの言うとおり、距離を置いた方がいいと考えただけです。アミュウさんも近頃は夢を見ないようですし、いったん実家に帰って態勢を立て直します。ただ、懸念がひとつ」
そこで聖輝は深いため息をついた。
「さっきのカルミノ・ザッカリーニという男。私の本命がナタリアさんであると、あのとき初めて知ったかのような様子だった」
アミュウは、聖輝の口から「本命」という言葉が出てきたことに鋭い胸の痛みを感じたが、そんな感情の動きとは裏腹に頭の方は冴えわたり、聖輝の言わんとしていることがすぐに分かった。
「おかしい。お父さんは、もう一か月も前のパーティーのときに、ナターシャと聖輝さんがお見合いしたことをケインズおじさんに話していたのよ。そこから話が漏れていたのなら、ザッカリーニが今の今まで知らなかったなんてこと、あり得ない」
アミュウはそこで初めてカルミノ・ザッカリーニの名を口にして、妙な引っかかりを感じた。カルミノが名乗ったときに感じた違和感だ。アミュウは痛む頭の中を手当たり次第にひっくり返して、記憶を洗った。
「――そうだわ。ザッカリーニ。スタインウッドで聞いた名前だった。フェルナン牧師が話してた」
聖輝は天井に向けていた目線をジークフリートに移した。
「フェルナン助祭の付き従っていたグレゴリー・エヴァンズ司祭は法王派。ザッカリーニも、法王派に与する枢機卿の手先と考えるのが自然でしょう。奴らのやり方は荒っぽいですが、私さえこの町を離れれば、ナタリアさんたちに無用な手出しをする連中ではないとひとまず考えられます――むろん、いつその姿勢を覆すかは分かりませんが。
いっぽう、マッケンジー・オーウェン司祭の与する国王派がどう動くのか、あるいは動かないのか。今のところまったく読めません。私がこの町を離れた後に、こちらの手の者が悪さをしないか――ジーク。あなたがしっかりと見ていてくれますか」
ジークフリートは腕を組んで黙り込み、たっぷりの沈黙ののちに聖輝に念を押した。
「それは、聖輝が俺の雇い主になって、こいつらを守れってことか?」
「そういうことになりますね」
ジークフリートは再び黙考してから口を開いた。
「お前の手に負えないやつらだぜ。俺に、ナタリアとアミュウの二人を見ろと?」
「あなたが傭兵だから頼んでいるのです」
そして聖輝は僅かな沈黙を挟んでから、言い加えた。
「ナタリアさん一人なら、どうにかなるのでは?」
ジークフリートの目に数秒、疑問の色が浮かぶ。そして聖輝の意図が本気で分からないというふうに訊ねた。
「おい、聖輝。アミュウはどうする気だ」
ジークフリートの詰問に聖輝は答えなかった。気まずい沈黙が流れた後で、アミュウはこう言うしかなかった。
「私なら平気よ。自分の身は自分で守れる」
肩に置かれたナタリアの手が強張るのを、アミュウは感じた。ジークフリートが後頭部を掻いて呟く。
「お前さぁ……自分を大事にしろって、ちょっと前に言ったばかりだぜ」
「本当のことよ。結界を張るのは得意だもの」
「だったら、どうしてあの時、あんなに心細そうにしてたんだ」
アミュウが僅かに眉をひそめると、ジークフリートはもどかしそうに説明した。
「お前がザッカリーニとかいう奴に襲われたときだよ。震えながら小屋の周りにまじないをかけて回ってただろ。本当に自分で自分の身を守れるっていう自信のある奴が、あんなふうに怖がったりしない」
アミュウはかぶりを振った。
「怖がってなんかなかったわ」
「とりつくろってただけだろ」
ジークフリートは膝に肘をついて一息つくと、話題を変えた。
「……収穫祭は今週末だ。カーター会頭は忙しい。それ以上に忙しそうなのが、牧師の先生だ。本来収穫祭ってもんは、教会と商工会の二人三脚で進められる行事らしい。ところが今年は流行り病の流行で、教会側の準備がストップしちまった。それで、会頭はここ一か月、ずっと牧師の先生と会えてないんだ。まぁ、実務は例年通りに下っ端で進めているから、祭りの進行に支障はねえんだがよ」
天井を見ていた聖輝は、意外そうにジークフリートの方へ顔を向けた。
「ということは、マッケンジー牧師は、私とナタリアさんの見合いの件をまだ知らない?」
「恐らくな。会頭の秘書に確認した。あのパーティー以降、会頭は牧師と会ってない」
聖輝はほっとしたようにため息をついた。
「ケインズ・カーターの口止めが成功すれば、少しは安心というわけですね」
「ちなみに明日、会頭は教会にアポをとってるぜ。カバン持ちは俺だ」
聖輝の目が丸くなる。
「お前がナタリアにフラれたって、それとなく会頭に言えばいいんだろ。そうすりゃ、会頭もわざわざ牧師の先生に言わねえだろ。やってやるさ。聖輝、お前は寝て待ってろ。町を出るのは、それからだ」




