1-8.目覚め【挿絵】
* * *
「あああああっ‼」
アミュウは腹の底から恐怖を吐き出すようにして叫んだが、その叫びは途中で止まった。かすむ視界に、鍋の中の灰汁のように浮かび上がってきたのは、暗い室内の、艶のある糸で模様を織り出したカーテンと、見慣れた木の天井だった。ここはカーター邸の、ほんの昨年までアミュウが使っていた部屋だった。
アミュウはベッドに横たわっていた。身体を起こしてみると、頭の奥がずきずきと痛む。心臓がばくばくと大きな音を立てて血液を押し出し、夢で味わった恐怖を現実の体いっぱいに満たしていく。口の中がからからに乾いて、喉が痛かった。藍色のカクテルドレスのままの恰好だったが、まとめていた髪の毛はおろしてあった。開いたままのカーテンの向こうに見える空には夜のとばりが下り、重い雲が垂れこめていた。
「アミュウ! どうしたの⁉」
寝間着姿のナタリアがノックもせずに部屋に飛び込んできた。
「怖い夢を見た……」
言葉にしてしまえばひどく幼く情けないが、まだ混乱しているアミュウにはほかに言いようが見つからなかった。ナタリアはあきれたようにため息をつき、ランプの灯をともし、アミュウの背中に手をまわしてさすった。
「ナターシャ、あの人は……?」
「どうしましたか?」
答えを聞くよりも早く本人がやってきた。セーキが部屋の外でノックをしている。アミュウは再び恐怖が体温を奪っていくのを感じた。
「まだいるの?」
「あんたが倒れたのは自分の責任だなんて言って、居座ってる」
ナタリアがドアの方を見やって、大きな声を出す。
「アミュウが目を覚ました! 夢にうなされたんだって」
「おいおい、何の騒ぎだ――開けるぞ」
セドリックが一呼吸おいてドアを開けた。セドリックの寝室は一階にあるので、駆け付けるのが遅れたらしい。
「アミュウ、大丈夫か」
ナタリアがアミュウの目をじっと覗き込んで言った。
「覚えてる? あんた、ミカグラ先生の旅路の無事を願ってとかなんとか言って、妙なまじないをかけようとして、ぶっ倒れたのよ」
ナタリアの強い視線にアミュウははっとした。セドリックに対して、結界騒動をごまかそうとしているのだと見て取れた。
「……徹夜明けにちょっと無理しただけ。大丈夫よ、お父さん」
アミュウはセドリックに笑ってみせたが、頬の筋肉がこわばってうまく笑えなかった。
「丸一日寝てたんだぞ、どこかおかしいんじゃないのか」
「丸一日って?」
「今は、夜十一時。庭でぶっ倒れてからたっぷり二十六時間も眠りこけてたんだ」
アミュウは目を丸くした。倒れたのは、つい今しがたのことだと思っていたのだ。道理で喉が渇くわけだ。
ナタリアが気を利かせて、自室から水差しとコップを持ってきた。水を口に含むと、だいぶ気分がましになってきた。
「もともと体調が整っていなくて、ガス欠を起こしちゃっただけ。本当に大丈夫だから心配しないで」
アミュウはセドリックにもう一度微笑んで見せた。
「そうか……今回はナターシャが無理に呼んだようで悪かったな。ゆっくり休みなさい」
セドリックはアミュウの頭にポンと手を置いて、階下の自室に戻っていった。ナタリアが小声で抗議する。
「何よ、パパってば。私が悪者みたいな言い方じゃない」
「どうして昨日のこと、お父さんに黙ってるの」
「アミュウ」
ナタリアは、今度は自分のために水を注いで、一気に飲み干した。
「大人になってから、いらないことで親を驚かせるのは、親不孝というものだよ」
それからナタリアは開け放されたドアの向こうを見遣って言った。
「ミカグラ先生にも立場があるし」
ドアの外には今もセーキが立ったままだった。さすがにアミュウの寝所に立ち入ろうとはしない。アミュウは恐怖心を追い出すように深呼吸をひとつしてからセーキを招いた。
「ミカグラ先生、伺いたいことが沢山あります。お入りください」
セーキは軽く頭を下げて部屋に入り、後ろ手にドアを閉めた。今は黒色の褪せた前合わせの衣を帯で締めている。寝間着だろうか。
「あなたが訊きたいことは、大体想像がついています」
「あの時、ナターシャを結界に連れ込んで何をするつもりだったんですか」
セーキは頭を掻いた。
「前にも言ったとおり、彼女とゆっくり、邪魔されずに話がしたかっただけですよ。本当に大事な話だったから、誰にも聞かれてはならなかった。それだけです」
「逢瀬に結界を使うなんて話、聞いたことがありません」
「ナタリア嬢は私がずっと探し求めていた女性です」
アミュウは思わずナタリアの方を見たが、彼女は顔色一つ変えない。セーキの方も、言葉は甘いのに、その言い方に一切の温度が感じられない。そのくせ二人とも真剣だ。
セーキは「失礼」と言いながら、窓辺の丸椅子に腰かけた。ナタリアにも掛けるよう身振りで示し、しかしこの部屋に椅子は一つしかなかったので、ナタリアはアミュウのベッドに腰掛けた。セーキは窓の外を眺めて、何を話すか考えていた風だったが、やがて口を開いた。