3-11.二十歳【挿絵】
ナタリアの誕生パーティーは、十一月に入ってから二度目の週末に、カーター邸の食堂兼居間で開かれた。ささやかなホームパーティーではあったが、この日のためにナタリアはイルダとともに三日がかりで料理や菓子を準備していた。
けっして狭くはないが広くもない室内に、二十人ほどだろうか、ナタリアが世話になった家庭教師の恩師や官吏たちがごった返し、カーター邸の居間は暖炉の熱と人いきれでむっとしていた。ヴィタリーが庭へと続く掃き出し窓を細く開けると、爽やかな夜風が舞い込んできて、アミュウは生き返ったような心地がした。
アミュウもナタリアも、聖輝と見合いをしたときと同じドレスを着ていた。アミュウは人ごみから逃れるように薄暗い廊下へ抜けだし、居間から運び出してあったソファに腰かけた。開け放した居間の扉の向こうでは、大勢の客人に囲まれて、ナタリアが辛抱強く笑顔を保持している。輪の中には、ケインズとその息子ダミアンの姿もあった。
(ナターシャってば、よくあれだけ愛想よく振る舞えるわね……)
実際にその笑顔の力で、ナタリアは慣れない役所仕事を乗り切っているのだろう。ナタリアは昔から、さりげない気配りと気さくな人柄で、周囲の人望を集めてきた。元よりはぐれ者のアミュウには、大勢の中で埋没せずに光り輝くナタリアが眩しく見える。
貰われっ子のアミュウの誕生日は、当然ながら分からない。森に一人でいたところを保護されたのが、十六年前の十月のことだった。その日がアミュウの仮の誕生日となったが、祝ってもらったのは子どものうちだけだった。アミュウが家を出て王都へ行ってしまってからは、セドリックとナタリアの手によるカードが届くのみだった。
王都から戻った年の秋、十六、成人の歳のその日に、セドリックから言われたことを、両の肩に置かれた養父の手の重みとともに、アミュウは一字一句違わず思い出すことができる。
「この日を無事に迎えることができて、ほっとしたよ。お前はこれからひとりの大人だ。今まで私が負っていた責任を、これからはお前自身がこの肩に担うんだ。同時に、ほんとうの意味で自由になれるんだよ、アミュウ。お前は、もう私に義理立てようとしなくていいんだ」
人の輪の中で談笑するナタリアを眺めてぼぅっとしていたので、アミュウは台所の方から近付く人の気配に気が付かなかった。
「アミュウ、疲れたかい? 酒は口にしていないだろうな」
セドリックだった。アミュウに水の入ったグラスを渡す。
「ありがとう。大丈夫よ、私に話しかける人なんていないから」
アミュウはグラスの水を一気に半分ほど飲んだ。セドリックは扉口から居間を覗き込んでアミュウに訊ねる。
「ミカグラ先生が見えていないが。いらしていないのかな」
「今日は来ないそうよ」
「……そうか」
アミュウは、ナタリアと聖輝の関係について自分から口にしてよいものかどうか迷いながら、口を開いた。
「聖輝さんには、まだ浮いた噂を流すわけにはいかない事情があるみたいよ。この間のお見合いの件も、伏せておいた方がよさそう」
セドリックは一瞬目を丸くしてから、半眼になってツーッとアミュウから顔をそらした。その反応を見てアミュウは呆れた。
「……お父さん。言いふらしたんでしょう」
「い、言いふらすとは人聞きの悪い! いや、世間話というか、近況報告というか、そういうのでちょっと……」
「なんて言ったの? いつ? 誰に?」
「その、枢機卿の御子息との縁談が舞い込むなんて、ナターシャもいい女に成長したって……」
「気持ち悪っ! オヤジじゃない‼ オヤジだけど」
「アミュウ……父親に対してなんて冷たい……」
セドリックはよろめいてみせると、アミュウの隣に腰を下ろした。
「別に、誰かれ構わずに言いふらしているわけではないよ。さっき、久しぶりにケインズと顔を合わせたから、お互いの近況を話し合っただけさ」
(よりにもよってケインズおじさんに!)
アミュウはがっくりとうな垂れた。いくらアミュウや聖輝が気を揉んで、あれこれ隠し立てをしようとしても、セドリックがこの調子ではやるかたない。そんなアミュウの胸中を知るべくもなく、セドリックはアミュウに気まずそうに問いかけてくる。
「ナターシャは、その……ミカグラ先生とは、うまくいっているのか?」
アミュウはそっぽを向いて言った。
「私に訊かないでよ。ナターシャ本人と話したら?」
「うん……まぁそれは……そうなんだが」
セドリックは宙を仰いで、数秒沈黙すると、やがて口を開いた。
「ケインズが言っていたよ。春の町長選に出馬するってね」
次に沈黙したのはアミュウの側だった。セドリックは言葉を続けた。
「向こうとしても色々主張はあるんだろうが、まぁ、こっちはこっちで今まで積み上げてきたものを、粛々とこれからも守っていくだけさ」
そう言ってセドリックは立ち上がり、居間へ続く扉の方へ歩こうとして、アミュウを振り返った。
「アミュウには、好い男はいないのか」
アミュウは気抜けして、ため息をついた。
「いないわよ、そんな人」
「いや……いないなら、いないでいいんだ。妙なことを訊いて悪かった。お前はしっかり者だから安心しているんだが、一応な」
そう言ってセドリックは居間へ入っていった。その背中が客人たちの合間に紛れていくのを眺めながら、アミュウはグラスに残ったもう半分の水を飲み干した。
(お父さんが、そっち方面で私を気にかけるなんて、珍しい)
人心地ついたところでアミュウは立ち上がり、グラスを下げに台所に入った。流しのたらいの水で軽くグラスをゆすいでいると、居間とは別の方向から妙な声が聞こえてきた。明々と燃えるキッチンストーブの煙突づたいに音が響いているようなのだ。その潰れたような声には聞き覚えがあった。台所の真上は、ナタリアの私室だ。
アミュウは、階上に上がりナタリアの部屋の戸をそっと開いた。
「おそと、いこうッ! あけて、ちょーだイ!」
思ったとおり、鳥かごの中でピッチがさえずっているのだった。アミュウは部屋に踏み入った。
「ピッチ! ここでお留守番していたのね。ひとりで寂しいの?」
「ピッチャン、さびしいノ」
狩りの後、ナタリアはペットの捜索願いが出されていないか、あちこち聞いて回った。しかし、しゃべる鳥に関する情報は見つからなかったらしい。「手がかりなし」と話すナタリアの顔は、アミュウには、どこかほっとしたような表情に見えた。
「お外に出たいの?」
「おそと、いこうッ」
「わかった。今、開けるね」
アミュウは鳥かごの扉を開いた。扉には、備え付けの掛けがねの上からさらにクリップが留めてあった。掛けがねだけでは、ピッチが自力で扉を開けてしまうと見える。
ピッチは鳥かごから飛び出すと、ピョロロと囀り、部屋の床をトコトコと歩き始めた。「ナターシャ、ナターシャ……」と言いながらあちこち見回している。
「ナターシャを探しているの?」
「ナターシャ、どこ、ナターシャ」
アミュウは迷った。客人のひしめく居間にピッチを連れていっていいものか。ピッチは森で、ジークフリートの頭に糞を垂れ流した。同じことが起きないとも限らない。それでなくとも、しゃべる鳥を連れていけば必ず大騒ぎになる。ピッチにとっても、大勢の注目を浴びるのは良くないのではないだろうか。
しかし、ピッチの飼い主を本気で探そうというのであれば、人の噂になるくらいでちょうどいいのかもしれない。そう思い直してアミュウはピッチのそばにしゃがみ込んだ。
「おいで、ピッチ」
ピッチの前に腕を差し出すと、ピッチは素直にアミュウの腕に留まった。そのままナタリアの部屋を出て階下に降りると、廊下をうろついていたジークフリートがほっとした顔つきで近付いてきた。
「おう、アミュウ! パーティーっていうから来てみたけど、知らない人ばかりでさ。会頭とも話せないし、手持無沙汰でよ」
「ナターシャとはまだ話していないの?」
「客が大勢取り巻いてて、入る隙がねえ」
「そうね。今晩の主役だものね」
アミュウは居間を覗いた。さきほどまで人の渦の中心にいたナタリアが見当たらない。
「ナターシャはどこ?」
「あれ? さっきまでそこにいたぜ」
突然、ピッチがアミュウの手を離れて飛び立ち、居間を滑空した。軽いどよめきが居間を走る。アミュウとジークフリートは人の波をかき分けながらピッチを追う。ピッチは掃き出し窓の細い隙間から庭へと躍り出た。庭の左手奥の花壇の近くに、ナタリアのシャンパンゴールドのドレスの閃きを認め、アミュウは暗い庭に目を凝らす。ナタリアは誰かと一緒にいるようだった。アミュウはジークフリートの手を引いて廊下へと引き返した。そのままずんずんとアミュウは土間を改装した店舗へ彼を引っ張っていき、扉の内へ引き込んだ。闇に沈んだ店舗は、白檀や乳香、各種のスパイスやハーブの入り混じった複雑な芳香に満ちていた。
「おい、アミュウ。ピッチはあっちに行っちまったぞ。ナタリアを放っておいていいのか」
「静かにして。ここからなら花壇の様子がよく見えるの」
アミュウは灯りをともさないまま、勝手口のドアを細く開いた。月明かりの差す庭のほうが明るかった。
「覗き見かよ」
アミュウは頭上にジークフリートの息遣いを感じた。
「悪いと思うなら、居間へ引き返したら」
ジークフリートは黙り込んだ。
細く開いた扉の隙間から庭を覗くと、ナタリアと一緒にいる人物はこちらに背を向けていて、判然としない。アミュウは、こうしてナタリアの様子を覗き見るのは、聖輝がナタリアを拐かしたとき以来だと思い返した。
「冷えるわね」
ナタリアがそう言った言葉にも既視感を覚える。
「戻ろうか」
そう言った相手がナタリアの方を振り返ったお陰で、アミュウはその人物を見分けることができた。ケインズの息子、ダミアンだった。




