3-9.カーター・タウン教会にて【挿絵】
森から出ていく道中、イノシシを交替で担いだが、アミュウとジークフリートが組むと身長差のため歩きにくい。結局、ナタリアとジークフリートが組むことが多くなった。ピッチは横着にも、担ぎ棒にちょこんと留まり、ときどき右に左に身体を揺らして踊っていた。
「もうすぐうちで誕生パーティーをやるから、ジークも来てね」
ナタリアの言葉に、先を行くジークフリートが振り返る。
「おう、仕事がなければな」
アミュウはふと気付いて、ナタリアに問いかけた。
「ひょっとして、ケインズおじさんもパーティーに来るんじゃない?」
「あ、そうだ。来る来る。嫌だな、パパとどんな話するんだろ」
「お祝いの席なんだから、場が盛り下がるような話は控えるでしょう」
いとこ同士の選挙戦。想像しただけで頭が痛くなる。
アミュウにとって、ケインズは年に数回会うだけの遠い親戚でしかなかった。ケインズは、従兄の養女など見向きもしなかったが、ナタリアにしてみたって似たようなものだったろう。セドリックにきょうだいはいないし、祖父母はとうに墓の中。母アデレードを早くに亡くし、母方の親戚との関係が途絶えた姉妹にとって、ケインズとその息子は、唯一といってもいい親戚だったが、そのつながりは小川に流したイノシシの血のように希薄なものだった。
気が付けば背の高い木はまばらになり、灌木が道の両脇を彩っていた。この辺りは踏み固められ、随分歩きやすくなっていた。もうしばらく行けば畑が始まるだろう。アミュウはナタリアから担ぎ棒を奪い取るようにして、むりやり荷物番を交替した。先を歩いていたジークフリートが驚いて声をあげる。
「うわっ、一声かけろよ」
「ごめんね」
ジークフリートは背を心持ち丸め、屈み気味になって歩いた。アミュウは、薪を背負った背中をぴっと伸ばして歩きながら、ナタリアに問いかけた。
「ナターシャ。あれから、お父さんと選挙について話した?」
ナタリアは黙って首を横に振った。差し出されたナタリアの腕に、ピッチが飛び移る。
「おうち、かーえろッ」
「そうだね。おうちに帰ろう。私のおうち、見せてあげるよ」
農道を行き過ぎ、家並みが始まってから幾分進んだ四つ辻で、アミュウはナタリアたちと別れることにした。
「一人で大丈夫?」
「平気よ。聖輝さんも言ってたでしょう。脅迫者は自分を追っているって」
アミュウは担ぎ棒をナタリアに渡しながら、笑って言った。
「これを聖輝さんに」
ナタリアは器用に片手で鞄をまさぐって、封筒を取り出した。それを預かったアミュウには、何であるかすぐに分かった。
「パーティーの招待状ね」
ナタリアは頷いた。封筒には、ヴィタリーの文字で聖輝の名が記されていた。差出人は、ナタリアではなくセドリックだった。
「お父さんは、まだ聖輝さんをお客様として扱うつもりなのね」
ナタリアはため息交じりに首を振った。
「わざわざ招待状を出すほどでもないって言ったんだけどね。パパは、そういうわけにはいかないってさ」
アミュウは頷いて鞄に招待状をおさめると、ピッチに向かって手を振った。
「それじゃあね、ピッチ」
「バイバイ」
ピッチは担ぎ棒に留まったまま、翼を広げてはばたかせた。まるで本当に「バイバイ」をしているようだった。アミュウは思わず手を打ち鳴らした。
「上手! ほんとうに賢いわね」
「じょーずッ!」
ピッチは再びはばたくと「パチパチ」とクラップ音を真似て囀った。その芸達者ぶりに舌を巻いてアミュウは言った。
「確かに、こんなにいい子を失って、飼い主さんはさぞ気落ちしているでしょうね」
「早く飼い主さんが見つかるといいね、ピッチ」
ナタリアはイノシシの棒を担いだまま、手を伸ばしてピッチの頭を撫でた。ピッチは棒の上をぴょこぴょこと歩いていって、ナタリアの肩へと飛び移った。
「ナタリア、気をつけろよ。そいつクソするぞ」
ジークフリートが振り向きざまに声をかける。ナタリアが鷹揚に笑う。
「大丈夫、大丈夫。もし汚れても、どうせこれから家に帰るだけなんだから――気を付けてね、アミュウ」
二人と一羽は、そのまま通りをまっすぐに、セントラルプラザ方面へ上っていった。アミュウは西へと折れて行った。
一人で外を歩くのは本当に久しぶりだった。住宅街を突っ切っていくと、金工や石工、カーター・タウンで数少ない仕立て屋の工房が軒を連ねる通りに出る。アミュウも、蓄えに余裕ができたら、いずれ実家の勝手口からこの通りへ店を移したいと、かねてより考えていた場所だ。陶工の店の前には、色とりどりの絵付けのされた食器類や甕、壺が並んでいて、老いた犬がその傍らに寝そべっていた。猫や烏が悪さをしないか、番をしているらしい。
陶工の店の隣は空き店舗だった。確か、前は年老いた婦人が繕い物をしていたところだ。アミュウは幅の狭い窓から中を覗いた。すっかり片付いていて、荷物ひとつ無い。窓辺にあった足踏みミシンは跡形もなく消えていた。
(こういう小ぢんまりとした場所で、お客さんとゆっくり話せるようなお店にしたいな。扉の正面には目隠し代わりの戸棚を置いて、その奥を応接間にすれば、往来を気にせずに話し込むことができるわ)
夢想を膨らませながら歩みを進めると、職人街はやがて古くて小さな倉庫街へと様相を変え、いくらも行かないうちに教会の裏手に突き当たった。アミュウは道なりに歩を進めて教会の正面に回る。
小規模ながら左右に鐘楼塔をそびやかし、扉の上に薔薇窓を備えたカーター・タウンの教会は、スタインウッドの小さな教会を見物して間もないアミュウには、充分な威圧感を持っているように見えた。
アミュウは、教会内には足を踏み入れず、建物の外をぐるりと回った。礼拝堂に向かって右側には廊下が伸びていて、中庭を囲んで施療室や炊事場、管理室が並ぶ。それらを外から眺めながら、アミュウはさらに奥へ足を踏み入れる。北側には、教会の影から逃れるように質素な離れが佇んでいた。マッケンジー・オーウェンの居宅だ。その向こうには樫の木を主とした林が目隠しとなって、奥に墓地が広がっている。マッケンジーの家の脇にはライラックが植わっているが、今は黄色くなった葉の落葉が進み、余計に寂しい風情だった。
羽窓が細く開いていて、空気が通るたびにカタカタと震えた。アミュウはその音の内に、かすかな人の気配を感じた――話し声が漏れ聞こえてくるのだった。そしてその重低音は聞き慣れたものだった。
(やっぱりここに来ていたのね、聖輝さん)
会話の内容そのものは聞こえず、アミュウはその場を離れた。お昼まではもうしばらくだ。そろそろ引き取る頃合いだろう。
本堂正面まで戻り、石段に腰かける。前にも同じようなことがあったと思いながら、聖輝を待つ。
どれだけ待っただろうか。やがて足音とともに話し声が近づいてきた。聖輝とマッケンジーだ。二人は世間話をしながら、管理棟の向こうからやってきた。立ち上がったアミュウに気が付くと、聖輝の表情が固まった。マッケンジーはにこにこと笑って片手を挙げた。
「これはこれは、アミュウさん。お久しぶりです。あの嵐の夜以来ですねぇ」
「マッケンジー先生、今日は先生にご挨拶したくて参りました」
アミュウの言葉を聞いて、聖輝の眉がぴくりと動き、口元が引きつる。アミュウにはそれが可笑しくて、妙に胸の内がすっとした。普段は聖輝に振り回されてばかりのアミュウだが、今日は役どころが逆だった。聖輝を出し抜くことができて爽快だ。
「そうですか。どうぞ、居住棟のほうへ」
「いえ、ここで結構です」
アミュウは、暫くよろず屋の仕事を縮小することをマッケンジーに告げた。聖輝の緊張がふっと緩んだのが分かる。
「ちょっと身辺がゴタゴタしていまして。落ち着いたら再開するつもりですが、それまではそちらにご迷惑をかけるかもしれません」
マッケンジーは人の好い笑顔を浮かべた。
「なに、気になさらないでください。正直なところ、アミュウさんが欠けてしまうのはこの町の医療にとって痛手ですが、まあ、何とか踏みとどまってみせますよ」
マッケンジーはアミュウと聖輝に向けて指を交差させて軽く会釈をすると、私宅の方へと戻って行った。その背中が見えなくなると、聖輝は大きなため息をついた。
「びっくりさせないでください。どうしてこんなところへ来たんですか」
アミュウは無い胸を反らせた。
「どうしてって、聖輝さんがここにいると思ったから。どうですか。付きまとわれる側の気持ちが少しは分かりましたか」
「寿命が縮むかと思いました」
聖輝は胸を撫でおろすと、職人街の方へ歩き始めた。アミュウも小走りで彼に追いつき、並んで歩く。
「聖輝さんが私を遠ざけるときは、どうせ教会絡みなんでしょう。今日の狩りについていくことに反対しなかったのも、きっと私に黙ってマッケンジー先生に会うからだって思ったんです」
「あなたはもっと慎重になるべきだ。怖い目に遭ったばかりではありませんか」
「ええ、そうです。だから、目をひらいていたいんです」
聖輝は立ち止まり、何かを言いかけてから口を閉ざした。そして頭を振った。
「呆れた人です」
「何を話していたんですか」
聖輝は往来にさっと目を走らせ、近くに人がいないのを確認すると、小声の早口で言った。
「ただの世間話ですよ。このあいだジークに話したのと同じように、季節にかこつけてブリランテの話を振ってみたんです。彼は国王派ですね。ブリランテの保守系の新聞を取り寄せています。机の上に、随分と積み上げてありましたよ」
アミュウは首を傾げた。
「国王派とか法王派とか、何なんですか?」
聖輝が露骨にため息をついてみせたので、アミュウは苛立った。
「教会の派閥争いなんて、一般人には分かりません。説明くらいしてくれたっていいでしょう」
「いえ、もちろんそのつもりですよ。ただ、どう話したらいいものか……ともかく場所を変えましょう」
そう言って、聖輝はアミュウの腕から、薪を山のように括りつけた背負子を抜き取ると、自分で背負い込んだ。




