3-3.妙案【挿絵】
アミュウのうちの感情の部分が真っ白になった。同時に、思考は冴えてクリアになる。
御神楽家と姻戚関係を結ぼうとしている者が、聖輝の傍らにいるアミュウを邪魔であると判断し、アミュウを排除しようとしている。
もしも聖輝がアミュウに興味を持たなかったら、聖輝はアミュウを付け回さずに、ナタリアの尻を追いかけていたのではないだろうか。その結果、危険な目に遭っていたのはナタリアだったのではないか。
アミュウはこれまで、聖輝からナタリアを守ろうと、自身の見る不思議な夢を盾として、聖輝の興味関心を引き付けているつもりでいた。しかし実際は、聖輝だけでなく、御神楽の権力を狙う者からもナタリアを守っていたのだった。
アミュウは奥歯をぎり、と噛みしめた。
(大正解――一石二鳥だったわけね。上々だわ)
しかし、冴えわたった理性が一瞬のうちに思考回路を駆け抜けて結論に至ると、麻痺していた感情がむくむくと鎌首をもたげてくる。もしも聖輝がそのことを承知の上でアミュウを追い回していたのだとしたら、それはあまりにも――あまりにもアミュウのことをないがしろにしていやしないか。
沈黙を破ったナタリアの声が、アミュウの頭の中のその醜悪な蛇の頭をねじ伏せた。
「それって、アミュウが私の身代わりになっているっていうこと?」
聖輝は何も答えなかったが、その態度自体が回答だった。ナタリアは声を荒らげた。
「ねえ、そういうことなの⁉ それを分かっていて、アミュウに近付いたの⁉」
沈黙が店内を支配した。エミリは素知らぬ顔でグラスを洗っているが、時々ちらりちらりと気づかわしげにこちらを見てくる。
それまで黙って話を聞いていたジークフリートが、抑揚のない声で提案した。
「なあ、アミュウ。前にナタリアや町長さんに心配かけたくないって言ってたけどよ、現にナタリアはこれだけ心配してるんだ。町長さん家に戻ったらどうだ」
アミュウは首を横に振った。
「何度か考えたけどね、迷惑かけたくない」
「迷惑なんてことない!」
ナタリアが反駁する。すかさず聖輝が抗弁した。
「ところがそうとも言い切れません。世話になったカーター氏や、ナタリアさん、あなたがたのことは信用していますがね。プラザホテルのケインズという人物には、どうも胡乱なところがある。もしも彼がマッケンジー牧師に私の居場所を洩らしていたのだとすれば、マッケンジーのその先に誰がいるのか分かりません。カーター氏とケインズさんはいとこ同士なのでしょう。実家にアミュウさんが戻ったら、筒抜けになるんじゃないんですか。アミュウさんを襲った輩と、マッケンジー牧師が裏で繋がっているとしたら。かえって危険かもしれませんよ」
「……ケインズおじさんとうちの付き合いは深くないし、マッケンジー先生はそんなに狡猾な人じゃないと思います。良くも悪くも凡庸な人ってイメージしかありません」
ジークフリートの漂着した嵐の夜を思い出しながら、アミュウは言った。
「取り越し苦労ならそれでいいのですがね。教会も、最近はどんどんきな臭くなっているものですから、つい要らぬ心配をしてしまうんですよ」
聖輝の顔に赤みが差している。酔っぱらってきているらしい。聖輝はエミリに向かってグラスを掲げた。カウンターから出てきたエミリが聖輝のキープしている瓶からグラッパを注ぐ。聖輝はストレートのままその透明な液体を舐めた。
エミリは迷うような素振りを見せながら、カウンターには戻らず、話の輪に加わった。
「――なんだか深刻そうな話をしているようだから、言ってしまいますけどね。ケインズ・カーターさんは、春の町長選に出るつもりよ」
「え⁉」
ナタリアが腰を浮かせて、また座った。エミリは中腰でじっとナタリアを見て話を続ける。
「商工会の主だったメンバーのところには、もう挨拶を済ませているらしいの。私みたいな零細事業者のところにはまだまだ伝わっていないけれど、この話は複数の筋から聞いたわ。町長もご存知なのではないかしら。噂が広まるのも、時間の問題でしょう」
「だって、私、パパからそんな話、一言も聞いてない」
「町長には町長のお考えがあるのでしょう」
アミュウは、すぐ隣でナタリアが唇を噛むのを見ていた。
カーター・タウンはその名の通り、何世代か前のカーター家が森を切り拓いて打ち建てた新興の町で、その黎明期からカーター家が代々町政を担ってきた。ソンブルイユの革命が起き、民主化が進んで選挙制度が整ってからも、他の多くの町と同様、同族経営であることに変わりはなかった。先代町長であるセドリックの父――ナタリアの祖父の早逝により、形ばかりの選挙を経てセドリックが町長になってからというもの、ついぞ対立候補は現れなかった。セドリックは選挙というものをまともに戦ったことがない。
セドリックは近頃、ナタリアに政治のいろはを叩き込もうと、機会を作っては彼女を役場庁舎の内外に連れまわしている。ナタリアの側も、父親の期待に応えようと、慣れない事務仕事に精を出しているのだ。そんな彼女の将来を左右しかねない一大事を知らされずにいたとあっては、ナタリアの口惜しさは察するになお余りある。
聖輝は酔っていよいよ舌が回るようになったらしく、怒りにうち震えるナタリアに向かって喋繰った。
「選挙が絡んでくるとは、ますます怪しいじゃないですか。商工会会頭のケインズ・カーターに、一人司祭のマッケンジー・オーウェン。いくらこの土地柄が保守であろうと、教会信徒を取られては、セドリック・カーター氏もなかなか苦しいのでは」
「余計なお世話よ!」
ナタリアは苛立ちを隠さなかった。聖輝はナタリアからアミュウに視線を移した。
「そう、余計なお世話です。あなたのお父さんは、今、とても大切な時期なのです。娘がいらぬ心配を増やしてはいけない。だから自分が実家に戻ってはいけない。森の小屋で頑張らなければ。アミュウさんはそう考えているんじゃないですか」
アミュウは神妙に頷いた。しかし聖輝は即座に言い捨てた。
「甘い」
アミュウはかちんときたが、聖輝は反論の隙も与えずに弁を繰り続ける。
「忠告を守って私と距離を置けば、あなたの身の安全は保障されるのですか。恐らく脅迫者は実行犯に過ぎないでしょう。そいつの後ろに立つ者が、突然強硬にふるまうこともあるかもしれない。アミュウさん。あなたの住まいは割れているんです。それでもまだ、あの森に一人で住み続けるのですか」
聖輝の冷たい物言いに反感を感じたのは、ジークフリートも同じらしく、彼は声を荒らげた。
「まわりくどいな。実家に戻るのも駄目。森に住むのも駄目。じゃあ、アミュウにどうしろって言うんだ。こっそり引っ越せとでも?」
途端に聖輝は晴れやかな笑顔をジークフリートに向けた。
「鋭いことを言いますね、ジーク。そのとおりです。アミュウさん、今すぐ住まいを変え、避難してください。それが身のためです」
アミュウは呆気にとられて言った。
「そんな。簡単に言ってくれますけどね、仕事に必要な環境だから、森に移ったんです。今更別の場所へ移れって言われたって」
「ケインズ・カーターやマッケンジー・オーウェンの目にも耳にも触れない確かな場所でなければなりません。プラザ・ホテルの近くはまずい。教会のある西部地区もいけません」
「ちょっと、話を聞いてくださいよ!」
「そうよ、さっきから聞いていたら、勝手なことばかり! アミュウを教会の権力争いに巻き込まないで‼」
アミュウとナタリアが揃って言い返すと、聖輝はグラスに残っていた酒を飲み干してぼそっと呟いた。
「宿も替えた、祭服もしまい込んで、こんな辺境の町で息を潜めている。私としても、目立たないように気を付けてはいるつもりだ。しかし、どこへ行っても誰かの回し者が追ってくる」
そして聖輝は額に手を当てて顔を隠した。
「――失敬。今のは忘れてください。確かにナタリアさんの言うとおり、私はあなた方を下らない諍いに巻き込んでいます。しかし、ナタリアさん。あなたが私の申し出を受けてくれていれば、もっと早く事が進んでいたはずなんですよ」
ナタリアはいっそう眉を寄せた。
「今、持ち出す話じゃないでしょ! それに、そのことならもう忘れたわ‼」
聖輝は額に当てた手をずるりと口元まで下ろし、ナタリアに目を向けた。
「それは私も同じです。アミュウさんをこれ以上巻き込まないためには、私もあなたも、できるだけ早く思い出さなければならないのですよ、私たちの使命を」
聖輝は据わり気味の目線をアミュウの上に置いた。
「何のことか分からないでしょうね。でも、発端はあなたの術だ。縁切りのまじないとやらで、私たちは大切な記憶を、アカシアの記録との繋がりを失った。あのアクシデントさえなければ、あなたを政争に巻き込むこともなかったのです。分かりますか。自覚はなくとも、あなたは自分で引き金を引いたんです」
「おい」
ジークフリートが声を震わせながら言った。
「それ以上言うと怒るぞ。アミュウのせいにするな。お前は、脅された次の日、たった一人で、家にまじないをかけて回っていたアミュウがどんな気持ちでいたかを知らないんだ」
「ええ、もちろん非は私にあります。だから、責任をとりましょう。これからは彼女を一人にはさせません」
今度はアミュウが眉を寄せた。聖輝は赤ら顔で、怖めず臆せず言い切った。
「私も同じ場所で暮らそうと言っているのです。断言します。脅迫者のバックが誰であろうが、絶対に私に手出しはできない。あなたの存在が向こうに割れている以上、私といるのが何より安全です」
何度目かの沈黙がエミリの店を覆った。聖輝はエミリに空になったグラスを差し出す。エミリは水差しの水を注いだ。エミリは酒焼けのかすれ声で言った。
「少し酔いを醒まされては?」
「そうですね、酔っていなければこんな妙案は出てこない」
「何が妙案ですか」
エミリが呆れて肩をすくめると、聖輝は片方の口の端をニッと持ち上げた。
「妙案も妙案、まだ続きがありますよ。エミリさん、あなたのお隣の部屋は、確か空いていましたね」
エミリはぎょっとした表情を見せた。整った目鼻立ちがアンバランスに崩れている。
「御神楽さん、あなたまさか」
「そのまさかです。ここの大家さんは『アラ・ターヴォラ・フェリーチェ』の先代でしたよね。あそこは行きつけですし、先代とも何度もお話しています。信頼に足る人物であるのは、確かじゃないですか」
アミュウは、聖輝の「妙案」の突拍子の無さについていけず、完全に置いてきぼりを食らっていた。ナタリアもジークフリートも、エミリでさえ、口をあんぐりと開けていた。
「大家さんに紹介していただけますね、エミリさん」
その後しばらく続いた応酬で、聖輝の口上手にエミリは抗えず、ついに首を縦に振らざるを得なかった。当のアミュウはといえば、反論する余地さえ与えられなかった。




