3-2.求縁【挿絵】
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さかのぼること五日。
スタインウッドでの騒動以来、「御神楽卿の御曹司に近付くな」との脅迫により、アミュウの行動は大きく制限されていた。何をするにも、どこへ行くにもジークフリートと一緒で、単独行動が取れなくなっていたのだった。
人懐こいジークフリートと行動をともにするのは気安かったが、アミュウの事情で一方的にジークフリートの自由を奪っているという事実が、少しずつアミュウの負担になっていった。
「だからこそ、宿代とメシ代がそっち持ちなんだよ。これは立派な護衛の仕事だ。ボランティアでも何でもない。気にすんな」
ジークフリートはそう言ったが、一日、また一日と時間が経つうちに、アミュウの憂鬱は降り積もっていった。
ナタリアへの遠慮もあった。
アミュウとジークフリートが一緒にいるわけが、脅迫者を警戒してのことだと分かってからは、ナタリアは不機嫌をあからさまに態度に示すことはなくなった。しかし彼女がそのことで心を痛めているのは、妹であるアミュウには充分すぎるほど分かっていた。
アミュウはジークフリートに頼んで、四人で食事をする機会を設けてもらった。
エミリの店「カトレヤ」に、追跡を警戒して、時間をずらし集合する――はじめにアミュウとジークフリートが、三十分ほど遅れてナタリアが入ってきた。
ジークフリートが振り返って片手を挙げる。
「よぉ。仕事は終わったのか」
テーブルを挟んで向い合わせのソファのそれぞれに、アミュウとジークフリートが座っている。ナタリアはアミュウの隣に腰かけながら愚痴をこぼした。
「パパの後をついて行って、あちこち顔を出してるだけよ。仕事っていうほどのものでもないわ……今日は鳥獣被害対策会議。農林課と防災課で仕事の押し付け合いをしてるのが、外部の人たちにもバレバレなんだもん。恥ずかしかった」
「鳥獣被害って、例の大イノシシの件?」
アミュウがナタリアのケープや手荷物を、座席の奥へ押し込みながら訊ねる。
「そうよ。他の町でも、大型化したけものの被害が相次いでるの。ここカーター・タウンでも、いつまた次がくるか分からないわ」
ナタリアは頬杖をついて、エミリの手による流麗なカリグラフィのメニュー表を眺める。
「エミリさん。白のスプマンテを、ボトルで」
「はいはい」
カウンターの奥から、栓を抜く小気味の良い音が聞こえてくる。ナタリアの注文は聖輝の好みではないだろうと感じながら、アミュウは黙っていた。アミュウ自身は酒を飲まないが、いつの間にか、ワインの種類が少しは分かるようになっていた。
卓上にはグリッシーニがたっぷりと盛りつけてあり、豆のペーストが添えられていた。ナタリアはその細長く硬いパンをポキンと折り、ペーストを載せて口に放り込んだ。
「美味しい!」
「でしょう。『アラ・ターヴォラ・フェリーチェ』のご主人から分けて頂いたのよ。バジルを練り込んであるんですって」
「このお豆も?」
「それはうちで作ったの。栄養たっぷりだから、どんどん食べて」
ジークフリートが酒を飲み干すと、ナタリアはそのグラスにスパークリングワインを注いだ。ジークフリートは、グラスをナタリアのグラスと合わせ、喉を鳴らして飲んだ。
「このへんじゃビールは出回らないんだな」
「ええ。ワインばかりね」
「ワインも美味しいけどよ、そろそろビールが恋しくなってきた――やっぱり炭酸は旨い」
ドアチャイムの涼しげな音が鳴り、聖輝が店に入ってきた。聖輝の宿は「カトレヤ」から目と鼻の先なのに、二重マントを羽織っていた。
「冷えますか」
アミュウが訊ねる。
「上着が欲しくなる程度には」
ジークフリートが振り返って言った。
「王都の出なんだろ。寒さには慣れてるんじゃないのか」
「……苦手なんですよ。実家を出てからは、冬になるとブリランテへ避難していましたね」
ジークフリートの隣に腰を下ろした聖輝に、エミリがグラスを差し出してスパークリングワインを注いだ。聖輝の眉がぴくりと動くのを、アミュウは見た。聖輝は何も言わずにそれを口にするが、やはり口に合わないらしく、渋面を浮かべた。聖輝はカウンターに並んだ料理を見ながら、次々と注文していく。そして最後にグラッパを付け加えた。
グリッシーニをつまみながら、ジークフリートが言う。
「ブリランテっつったら、最近は物騒だろ」
「独立派がどんどん過激になってきていますからねぇ」
「あの海は昔から海賊が出てたけどよ、最近は小物のチンピラが増えて、いよいよ通りづらくなったぜ」
グラスをテーブルに置いて、ナタリアが言った。
「このあいだマッケンジー先生が、ブリランテからの荷物が届かないってこぼしていたわ」
「そりゃ、船が襲われたのかもな」
ジークフリートがグリッシーニを口に入れたまま、もごもごとしゃべる。
聖輝がふと虚空を見つめ、思い出したように話す。
「――マッケンジー先生といえば、どうして私の宿を知っていたんでしょうね。ジークが漂着した嵐の夜、あの緊急事態の中で、あてもなく私を探したとは考えにくい。私が『ザ・バーズ・ネストB&B』に滞在しているのを予め知っていたかのようだった」
アミュウは聖輝の言葉を意外に感じて言った。
「教会の人たちのネットワークがあるんじゃないんですか」
「いえ。確かに内部の人間同士の情報網はありますが、私はまだ正式に教会に所属しているわけではありません。そもそも私は、まだこの町に滞在しているのを教会に知られたくなくて、わざわざ宿を替えたんです。だから、私があの宿に泊まっていることを知っている人はごく限られています。ここにいる面子に、『ザ・バーズ・ネストB&B』の主人や宿泊客。洗濯屋……」
聖輝は目を半ば伏せて、馴染みの面々を挙げていく。そして少し間を置いて、言い加えた。
「……あとは、はじめに泊まる予定だったホテルの主人か」
「プラザ・ホテルの? ケインズおじさんが?」
ナタリアが頓狂な声を上げる。聖輝も驚いたようにナタリアを見た。
「おじさん?」
「遠い親戚よ。大おじさんの息子。商工会の会頭なの」
やや考えてから、アミュウも口を開く。
「ケインズおじさんとマッケンジー先生って、前からよく一緒にいたわよね。今の時期は収穫祭の準備もあるし、世間話として聖輝さんのことをしゃべっていても、おかしくはないんじゃないかしら」
ジークフリートが首を傾げる。
「ホテルに滞在中の客のことならともかく、わざわざ逃した客のことを、普通話すか? なんか変じゃないか?」
聖輝は黙り込んで思案しているようだった。会話が途切れたところで、ジークフリートが口火を切った。
「そろそろ今日の本題に入ろうぜ」
聖輝は頷き、アミュウを見て言った。
「例の脅迫について、ですね」
「日がな一日護衛ってのも、アミュウの方が気を遣っちまってるみたいで。俺は別に全然構わないんだけどよ」
ジークフリートが苦笑いを浮かべて話す。アミュウは心底参ったと言わんばかりに首を横に振った。
「ジークを付き合わせるのも、そろそろ限界よ。聖輝さんに近付くなってアレ……、何か心当たりはありませんか」
「無くはないのですが――というか、あり過ぎて困るほどです」
聖輝はグラスに残っていたグラッパを飲み干すと、ソファの背もたれに上体を預けて、天井に向かって長い溜息を絞り出した。
「『どういうつもりで御神楽卿の御曹司と一緒にいる』のか、そして『近付くな』……でしたね。つまり、脅迫者は、アミュウさんが私と行動を共にしているのが気に食わない。
私の生家、御神楽は、法王に最も近い椅子を代々守り続けた結果、今や法王よりも発言力を持つとさえ言われています。当然、その座を狙う輩も多いわけです。力尽くで向かってくるもの、媚びを売るもの、奸計を図るもの、色々ありました。我々はそういう障害を退け、跳ねのけ、かわしてきたわけですが、その中には姻戚関係を狙って近付いてくるものもいました。
私が実家を出て旅に出てから、もう五年以上が経ちました。旅の理由は、関係者のあいだでは周知の事柄です」
「お嫁さん探しね」
ナタリアがためらいがちに念を押す。聖輝は頷いた。
「ここカーター・タウンに来てから、私はかなりの時間をアミュウさんと一緒に過ごしました。そういう輩の目に、このことはどう映るでしょうかね」




