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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第二章 銀の匙で海をすくう

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2-35.銀の匙で海をすくう【挿絵】

 アミュウたちは翌日の朝便の駅馬車でカーター・タウンへ戻った。二頭立て六人乗りの馬車は、四人で乗るとそれが定員であると言わんばかりに、軋み、揺れ、唸りながら街道を走った。当然のように到着は昼時を大幅に過ぎた。アミュウは、定員の六人で乗り合わせることができるのだろうかと訝った。

 四人は「アラ・ターヴォラ・フェリーチェ」で昼食をとると、それぞれ疲れ切った表情で家路に着いた――聖輝は「ザ・バーズ・ネストB&B」へ。アミュウとジークフリートは、ナタリアをカーター邸へ送り届けたのち、森の小屋へ。

 アミュウは四日ぶりの我が家に入るや否や、ジークフリートに椅子も勧めないまま、あれやこれやと棚をひっくり返した。


「帰って早々、何を探してるんだ」


 ジークフリートが呆れて問う。アミュウはそこでようやくジークフリートをほったらかしていたことに気付き、彼を座らせた。しかし、茶を淹れようにも水瓶の水が古くなっている。アミュウは仕方なしに、ジークフリートを伴って泉へ水汲みに行った。


「綺麗な水だな」


 喉が渇いていたのか、ジークフリートはアミュウが制するのも構わずに、湧き水を手ですくってそのまま飲んだ。


「交霊術って、知ってる?」


 アミュウは口元をぬぐうジークフリートに訊いた。


「あ?」

「名前の通り、霊魂と交信する魔法なんだけど」


 アミュウは水瓶を抱えて、腐葉土を踏み固めただけの道を小屋へと戻る。ジークフリートはアミュウから水瓶を奪うようにして受け取り、話の続きを促した。


「どれだけ交信が安定するかは、媒体と霊魂との結びつきの強弱が鍵なの」

「それで? 髪っていうのはどんなものなんだ?」

「最強」


 アミュウは即答した。




 その三日後の満月の夜、アミュウはジークフリートを伴ってタルコット家を訪れ、ジョンストンに断りを入れると、イアンを埠頭へと連れ出した。夜の海は明るい秋の月を映して、それ自体が生命を持っているかのように絶えず形を変えながら、うねりくねっていた。

 夜の海を一頻り眺めたあと、イアンは思い出したように口を開いた。


「カーターさん」

「なあに?」

「おれ、学校を辞めようと思います」

 アミュウは桟橋の石畳に白墨で魔法陣を描きながら、「そう」と頷いた。突き放すように、それでいて目一杯の愛情をこめて、アミュウは言った。

「イアン君の人生よ。イアン君が決めればいいわ」

 イアンは神妙に頷いた。

 アミュウは、香炉の皿に乳香フランキンセンス没薬ミルラを載せて火をつけた。煙に金のブローチをくぐらせ、銀の匙にマイラの遺髪を括りつけると、それらを魔法陣の中央に置いて、言霊を紡ぐ。


 神無月の望月に 哀れ亡者の魂を

 せめて東方の三賢者よ

 アンドロメダ、アルフェラッツのもと、彼の者を導け

 ペガススに乗りて黄道を下れ、彼の者を連れて

 いまひとたび、母と子の抱擁を叶えてよかし


 アミュウの言霊を受けて、匙が燐光を放ち、括った金髪がひとりでに揺れる。アミュウは銀の匙を拾い上げると、桟橋から身を乗り出して海水をすくい取り、イアンに差し出した。


「血を一滴たらしてみて」


 イアンは顔をしかめながら、言われたとおりに金のブローチの針で左の小指を突き、血を絞り出した。匙の中で血が海水と混ざり合うのを見届けて、アミュウは言った。


「咥えてごらんなさい」


 イアンは躊躇い、アミュウを見返す。アミュウは頷いてみせた。イアンは匙を受け取って目をつむると、意を決したように口に咥えこむ。

 イアンの口に、甘ったるい、獣臭さを孕んだ味わいが広がった。記憶にも残っていないような、最も古い記憶。赤ん坊のころ、昼夜を問わず求めた、お乳の味だ。イアンは驚いたように目を見開く。


「口から放してはだめ」


 アミュウが制する。

 イアンは匙を咥えたまま、うっとりと目を閉じた。その目蓋の裏に、人影が現れる。この世で一番優しげな声が、イアンを呼び、何かを訴えかけ、イアンを抱きしめる――温かいような、冷たいような、心地よいような、息苦しいような――イアンはたまらず、その人影を呼んだ。


「――母さん‼」


 匙から口を離したとたん、その人影は、海の彼方、星空に浮かぶ月へと遠のいていった。


――母さん、母さん‼


 イアンの目じりからは、涙がとめどなく溢れていた。再び匙を咥えてみるが、もう乳の味はしなかった。耳には、潮騒だけが鳴り響く。イアンは母の影を追って、桟橋の先端から身を乗り出す。涙が落ち、海に混じった。

 アミュウはイアンを抱き寄せた。イアンはされるがまま、アミュウの肩に額を預け、赤子のように泣き続けた。慟哭はいつまでも続くかと思われたが、やがて波が引くように静まっていった。イアンはアミュウの肩から顔を離すと、下を向いたまま嗚咽混じりに言った。


「おれ、母さんを知っています。ずっと柿の木の下にいて、おれに柿の実を食べないように見守ってくれてたんです――それに、父さんに干し柿の作り方を教えたのは、母さんだって聞いたことがある。母さんは、父さんなら毒気を抜いてから柿を食べるって、分かってたんだ」


 アミュウは頷き、イアンの髪を撫でた。


「お母さんは、あなたの成長を見届けたわ。そして、あるべき場所へ還っていったわ」


 イアンは上着の袖で涙と鼻水をぬぐいながら、二度、三度と頷いた。

 アミュウがふと振り返ると、離れて儀式を見ていたジークフリートの後ろに、いつからそこにいたのか、聖輝とナタリアの姿を見つけた。

 海へと吹く風が、彼らの会話をアミュウの耳まで運ぶ。


「なぁ。あの交霊術ってやつ、俺もやってもらえるかな」

「あの手の儀式には、遺品が必要だと聞きます」

「……そうか」


 ナタリアがジークフリートの肩に手を置いた。ジークフリートは星空を見上げた。東の空に、アンドロメダ座とペガスス座からなる四角形が、ひときわ明るく輝いていた。


挿絵(By みてみん)



【第二章 了】

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